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言葉にとらわれる心を、反省する
・自己肯定感という言葉にとらわれる
最近、YouTubeにおいてもあるいはこちらでも、「自己肯定感」という話をよくしています。自己否定せずに、ありのままの自分の感情をよく認めてあげることが大事である・・・。そのように主張してきました。
しかしそのことは、“自己肯定感”という絶対的な正解のようなものがあり、それができていないと、自分の価値はない。あるいは自己肯定できていないと、「なんで自己肯定できていないんだ・・・?」と自己否定する・・・。そのようなことのために自己肯定感ということを話しているわけではありません。
ともすれば私たちは言葉にとらわれてしまい、「自己肯定感が大事だよ・・・」と言うと、「ああ、そうか。自己肯定感が大事なんだ。よし、明日から毎日、自己肯定感をあげるよう努力するぞ。自己肯定感・・・、自己肯定感・・・」というように、呪文のようにその言葉に執着して、教条主義的にうけとってしまいます。
それができていないと、自分で自分のことを否定してしまったり(自己否定)、自分の「自然な感情」を無視してしまったり、挙げ句の果てには「自己肯定感が大事なんだろ?なんでも自分の心の内側に浮かんできたものは肯定すればいいんだ。悪口をいいたくなったら、顔中口にして、相手に悪口を言えばいいんだ!」と社会通念上、おかしなことをやりはじめるようになります。
最後の例は、今までよく注意を促してきたのですぐにおかしいと分かると思いますが、自己啓発本などが好きな人では、自分を変えるために、そういった思想を“外部注入”する必要があると感じて、“自己肯定感”が大事と聞くと、そのことに呪文を唱えるように執着し、できていないと「何で自分を肯定できないんだ!」と自己を否定するようになります。
・自然な心の動きを大切に・・・
そんなことを言いたいのではありませんよね。真摯な読者の方は分かっていただけると思います。
つまり、自己肯定感が大事ということは、自然な自分の感情を大事にする、ということなのです。言葉にとらわれないでいただきたいなと思います。自然な心の動き、感情を大事にするということですね。それが自己肯定感を育むということです。だから、何もすることがないときは、時間を取って、自然な心の動きを観察してみる。自分の感情が何をしたがっているのか、それを時間を取って観察してみるということですね。
仏教では八正道(中道を実践する8つの項目)の一つに“正念”という行が教えられます。パーリ語でサンマ・サティといい、そのサティを英語ではマインドフルネスという言葉に訳されます。マインドフルネスとは、「~べき、~ねばならない」という思い込み・価値執着を捨て、いまこの場所で起こっている意識を内観していく方法で、その手段として瞑想が使われたりします。
いろんな知識を知ってはいても、それらに価値執着して、「~ができないと自分はダメなんだ、価値がなくなるんだ」と言っていては、自尊感情は育たず、自己効力感=自分はやれる・できるという感覚は育っていきません。自分を否定するばかりで、「自信」を自分で握りつぶしている・・・。そういうような状態と言ってよい。敵は外ではなく、自分の内側にいる。自分の自信を喪失させる、自己否定の心が原因なのですね。それは価値に執着することによっておこります。
ある本では、起きてすぐにノートを開き、意識の流れのまま、ただ手を動かして心に浮かんでくるものをそのまま書き留めることで、やりたいことが見つかる・・・。そういうワークが教えられています。『モーニングページ』と言われますが、そういうことを教えられると、こうなる。つまり、書くことに執着し、書いてさえおればいいんだと思い、自然な自分の感情を内観し、見つめる・・・。それを見失ってしまうのです。結果、自分の本心とは違うことをただ長々と書き連ねることになってしまい、脱線していく。あまり意味をなさなくなるのですね。
こういった方法論は「絶対的な正解」として受け取る可能性があるので、自分に合ったものが見つかればいいですが、合わない場合は「一つの意見」としてだけとらえておく。あまり“執着”せず、合わないなと思ったらサッと手放していく。そういうのが吉かと思います。
大事なのは、繰り返しになりますが、「自然な自分の感情」を発見し、見つめて、それを大事に暖めて、しずかに肯定してあげることなのです。そのための手法は最近はいろんなものが教えられていますが、そのキーになるところを外してしまうと、自己肯定感という言葉だけが空回りしてしまうことになり、かえって自己否定の心が強くなったりします。瞑想もいい面ばかりではなく、精神疾患を持っている場合などは逆効果になる場合もあるので、注意が必要です。
あくまでも方法論や何らかの価値にとらわれず、内的に浮かんでくる、自然な心の動き(感情)を大切にしていく。それを肯定してあげる・・・。そのような意味で、自己肯定感の大切さを話しているよということを受け取っていただきたいと思います。
・人生を楽しむ
自然な心の動きは、価値に対するとらわれや、「~すべき、~ねばならない」という思考で一杯になっているときは、なかなかわからない場合もあると思います。よく休息をとって、食事を摂り、買いたいものがあるなら買うなどしてプチストレスを解消し、時間的に余裕をもっておく。「自然な感情、自然な感情・・・」などといって教条主義的に言語(価値)にとらわれず、「やりたいこと・好きなことを楽しもう」とか言って、楽しく過ごしている中で見つかってくることが多いです。
気力のないときは、休息・睡眠がとれていなかったり、買いたいものを購入できていない、ドライブに行きたいのに行っていない、お風呂に浸かってゆっくりしたいのにしてない・・・など(感情の)抑圧状況にあるときに、そうなることが多いような気がします。
まずはゆっくりと休息をとり、好きなことを楽しむなかで、感情なんて放っておいて、好きなことを楽しんでいると、意外なところに発見があり、自分の素の感覚に気づくことが多いような気がします。
自然な感情に気づき、それを肯定しながら生活することで、心の満足感、安定感(安心感)は高くなり、それに従って行動することで、自分の望んだ世界が形成されていくと思います。
何ごとも執着せずに、心軽やかに暮らしていきたいものですね。