【授業】生徒を「板書コピー機」にしてはならない
大量の板書をしながら喋りまくる先生がいます。この先生の授業で、生徒は何をしているでしょうか。そう、板書をノートに書き写しています。必死に。
では、必死に板書を写している間、生徒は先生の話を聞いているのでしょうか。または、自分の頭で何かを考えているのでしょうか。
多くの生徒は、書き写すことに集中し、話を聞こうとはしていないでしょう。これで生徒たちは「学んでいる」と言えるのでしょうか。
〈私の授業思想〉
授業は「先生が教える場」ではなく「生徒が学ぶ場」であるべきです。先生の話や教科書から新しい知識を得ること、練習問題などで知識を使って考えること、生徒同士の議論で李式や考えを深めること。こういったことがなされるべきではないでしょうか。
生徒をただの「板書コピー機」にしてしまう授業は「生徒が学ぶ場」たり得ません。先生の自己満足のための「教える場」に過ぎないとさえ言えるかもしれません。
〈私の工夫〉
授業を板書を写すだけの時間にしないために、生徒を「板書コピー機」にしないために、私は毎時間、授業プリントを配布しています。
授業プリントは穴埋め形式になっており、生徒は教科書を使って調べ、自分で穴を埋めていきます。
自分で調べる時間の後、生徒同士での確認の時間をとり、その後で穴埋めの確認をしながら私からの説明を加えますが、その時生徒が使うのがメモ欄です。
プリントの右端にメモ欄があるので、生徒は説明を聞きながら、自分が必要だと思ったことはメモ欄にメモします。こうすることで、自分で考えて情報を取捨選択できるようになります。(絶対に学んでほしい内容は穴埋めになっているので、大切な部分が漏れることもありません。)
〈まとめ〉
生徒を「板書コピー機」にしてはいけません。授業を「生徒が学ぶ場」に、手ではなく頭を使う場にするため、書き写す作業をなるべく減らす工夫が必要ではないでしょうか。