2023年1〜3月を振り返る ・ 映画版
今年もあっという間に四半期が過ぎました。
そんな訳で1〜3月に映画館で観た映画の感想など。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
『響け! 情熱のムリダンガム』
なに「オレ最初っからずっと応援してたし」みたいな満面の笑顔で10点札出しとんじゃい!>マニ
あちこちに要素を詰め込みすぎて、若干消化不良なきらいも。キリスト教徒描写から始まったので、てっきり「自分の信仰と違う神への捧げ物としての音楽をやる葛藤」が出ると思ったら皆無とか、シヴァ神のお守りもらった時に「これを持ったからには酒と肉を絶て!」言われたのにお守り首から下げたまま普通にお酒飲むとか(笑)。指を怪我して、これの後遺症が巨大な壁になるのかと思ったら一切問題なかったし。なら思わせぶりな注射シーンとか要らんやん(笑笑)。
でもそんな気持ちもラストの演奏シーンがすべて吹き飛ばしてくれる。役者さんがきちんと演奏しているのが凄い。ムリダンガム演奏のサントラをつくってくれないものか……!
「リズム」を掴む為の旅がとても良かった(曲も)。でもムリダンガムは持っていけ。
上級社会が消費する高級なものに、それを実際につくっている下級クラスの人達は決して手が届かない、という構図は昨年に観た『ミセス・ハリス、パリへ行く』にも見られた状況です(感想はこちら)。生まれでかっきり身分が分かれてしまっていて、それを越えることはほぼ不可能。そんな中での「下層の人々」の奮闘にこころが震えます。お父さん(伊藤淳史似)がすごく好きで、途中仲違いした時にはほんとに悲しかった。素晴らしい人だよね。
パンフの出来がもう図抜けて素晴らしい。愛と専門知識にもりもり満ちあふれていて、小声で言いますが、普段の映画パンフに載ってる「専門家」の文章、確かに専門的ではあっても「この映画に対して特段愛が無い、いかにも頼まれ文章」なことが時にあるんですが、そんな人達にこころから見習ってもらいたい。最高です。
映画冒頭の「大将」ヴィジャイの初日初回を祝うシーンがたまらん。いいなあインド映画ファン。
※2024年7月後記・めでたくBlu-rayが発売されて購入しました!
また、ムリダンガム演奏も入ったサントラCDが『響け! 情熱のムリダンガム』を配給された東京のインド料理屋・なんどりさんが販売されているのを知り、そちらも無事購入。やはりラフマーンサウンドは良いなあぁ〜。
『川のながれに』
朋友・杉山嘉一監督作品(脚本・編集も)。
詳しい感想はこちら↓にあります。
『ヒトラーのための虐殺会議』
観ていて一番こわいなと思ったのは、シュトゥッカートがドイツにはドイツ人とユダヤ人の夫婦が結構多いことをあげて「一体どこまで『虐殺対象』にしてくつもりなんだ」てなこと主張してるのを聞いて、だんだんと「あれ、この人いいヒトなんじゃ……?」て思えてくるところ。
次の瞬間「じゃどうしろと」と問うメンバーに「断種です」て、まるで通販番組でお勧め商品名を言うくらいのノリで言い放ったので「いやいやいやいや」と我に返れましたが。
イヤでも本当に、他の人達がまるで使えなくなった資材の移動や処分について話してるがごとき雰囲気の中で、この人だけが一応「人間」について語ってる空気感があるので「あれもしかして……」とついつい思ってしまう。「イヤ違うぞ正気に返れ自分」と思いつつ。つまりはこれがマシだと錯覚してしまうくらいに他の人がヤバいにも程があるレベルな訳ですが。
話の内容が異常なのに、建物もきちんと並べられた文具も青みを帯びた画面も、すべてが静謐で美しいのが何とも言えずこわい。何なら車や軍服までもがすべてぴしりと痺れる程に格好良い。ドイツのこの辺のヒトのこころをぐいと掴みこむ感じは本当に凄くて恐ろしいな。
それにしてもこんな異常な会話をしつつも、互いのプライドとか出世欲とか対抗心とかがガチガチぶつかりあっているのがほの見えるのが何とも言えない。下世話だ……。
それにしてもアイヒマン、こんだけがっつり積極的に提案しまくっておきながら、「ワタシ上司命令に従っただけなので無罪です」などとよくものうのうと言い放ったもんだな……。
『破局』
(※以下タイトル横に(ピ)が付いてるものはピエール・エテックス レトロスペクティブ作品)
えっ、「fin」? いや「fin」?? いやいやいやいやちょっと待って!???
黙って立ってれば生真面目そうで端正なイケメンが、くそ真面目な顔で次々繰り出すお間抜けムーブがたまらない。キートンはじめ、深刻顔のイケメンがその顔つきのままアホっぽい動きするのって、もうえも言われん程に面白いよね。得だわ。
冒頭の手紙を受け取った時の仕草、階段ですれ違った女性のほんのわずかな目の動き、それだけで「その手紙がどういう相手から来たものか」「彼女はそんな彼をどう思っているか」がひと目で伝わるのが本当に凄い。見事な演出力。
ピストル型のシガレットケース兼ライターが出てきた瞬間とその後の正体バラし、そこからあの「fin」に繋がっていくところがもう実に凄い。ほっとした後のアレ。緩急の付け方が凄い。
でもきっとあのヒトのことだから、あんなんなっても下の木の枝とか店の布屋根とかにぶすっと上手いこと突き刺さってて、ただの怪我で済んでいるよね。そしてその隣であの冒頭のお嬢さんがまめまめしく看病しているに違いない。きっとそうだ!
しかしパリで道路を渡るのは命がけだね……。
『恋する男』(ピ)
ちょっと歳がいっててちょっとでかい息子がいるくらいなんだってんだよ!>主人公
それにしてもなんでまたいきなりあんなに結婚スイッチ入ったのか。あんな一言であれだけ動けるのなら、パパここまで息子がこじれる前にもっと早いこと忠告してやれよ。
ステラの写真びっしり貼りまくった部屋がまさにドルオタの推し部屋で笑った。古今東西、芸能人の推しを持つ人達は写真やポスターを部屋一面に貼るのね。等身大看板が最高。
すんごい騒々しい女の人が本当に騒々しかった(としか言いようのない騒々しさだった)。でもフラれはしたけど最初の男性も彼氏だった訳だし、一瞬で婚約者ゲットしたし、実はモテるのか。フランス男のオンナの趣味はよく判らない。
ラスト、さーっとすれ違ってしまって、ああ、と思ったところにカメラが引いてすーっと戻ってくるのがたまらない(笑)。けれど完全に戻り切らずに「この後のハッピーエンド」をゆだねてくるところが素敵です。
それにしても本当にこんな男と結婚しちゃっていいのかイルケさん!!!
『ヨーヨー』(ピ)
「あと10分で電車が出るから」とホテルの廊下を去っていくイゾリーナ、奥突き当たりの扉を開くとそこはサーカスのステージで、チュチュをまとって袖から舞台へと消えていく。このシーンに胸が陶然としました。自分鑑賞映画史上屈指の美しくも切なく胸打つシーン。
子供ヨーヨーがもうかわいすぎてかわいすぎてたまらんかった。ピエロメイクも素顔もかわいい。だが車の運転はとっても危ないのでダメですよ(この当時だとガチ運転させてそう……)。ママもステキに美人でした。
しかしまさかヨーヨーがあんな一大事業家になるとは予想外でした。おバカ商品を次から次へと持ち込んでくる太っちょおじさんが好きだ。
小さい頃に潜り込んだ夢の国、それがずうっとこころにこびりついて取れなかったのねえ。夢の国は舞台にもちゃんとあったのに。
上の『恋する男』同様、少しほろ苦くも、確実にこの後に訪れる幸福がうっすら見えているラストが良い。
しかしいくらコメディベースとはいえ、世界恐慌で次々ビルから人が飛び降り自殺してくるのを避けようとあたふたしている人のシーンで声をあげて笑う人がいたのにはちょっと寒気がしました。そこそこ歳いった女性のグループぽかったですが。
それにしても上の2本も同様、ガキガキとやたらデカくて硬い効果音がサイレント映画時代を彷彿とさせてたまらない。古めかしさが強調されていいですな。
『エンドロールのつづき』
お母さんが町に出て食堂するのが一番儲かるんじゃ……?(インドはおうち弁当文化が強いので駅弁屋では儲からないと思うので)
もうホントまさかの飯テロ映画でした。こんなにもしっかりと全編にわたって料理描写があるインド映画って初めてかも。しかも「すごい美味しそうだけど何が何だか判らない」と思っていたらパンフにみっちりレシピが載っているのに感激(でもガチの現地レシピなので「材料:タロイモの葉」とかあって途方に暮れる(笑))。
それにしてもインドのあの足で押さえて手で材料押して切る包丁、いつ見てもすごいコワい。半目になるよ。
とてもキュートで素敵な映画なのだけど、一点惜しいと思ったのがフィルムを盗むタイミング。これ、映写室に出禁になってからの方が良かったと思うんですよ(その場合「シャッター」の解決シーンがかなり先になってしまうけど)。
映写室でいろんなこと学んで最高に楽しい日々の真っ最中に、まさに映画を台無しにするフィルム泥棒やっちゃう、ていうのがどうにも。しかもあの本数いくら何でも盗み過ぎです(笑)。出禁になって、それでも何としてでも見たい、フィルムの魔術を自分の手で再現したい、という盗みならまだやむをえん、と思えるのですけども。
ラストの電車からのお別れのシーンで、残されていく友達の表情に胸が引き絞られる。そうなんだよな、餓える程の妄執にも似た強い憧れ、それが本人を、そして周囲の人達も動かして掴み取ったこの結末、それは一種の才能なんだよな。彼等にはサマイと違ってそこまで強い「何か」が無い。でもそれを持たないと出ていけない、振り切れない場所ってあるんだよ。そこを振り切った彼と、残される彼等。切ない。最後の電車、女性を美しく彩るぴかぴかの腕輪に涙が出た。
エンドロールで最初に別枠で大きく表記される役者紹介に、ちゃんと子供達全員が載っているのが嬉しかった。パンフ、素晴らしく出来が良いんだけど最終ページのキャスト表記にそれが無いのが本当に惜しい。
しかしあのトロッコはあまりにも『ストーカー』過ぎて、「乗っちゃダメだサマイ!」と強く思いました(笑)。
『幸福な結婚記念日』(ピ)
大好きこの奥様(笑)。見事なまでの飲みっぷり食い散らかしっぷり。
しかしこれだけいろいろピエール・エテックス作品を見て思うのは、ピエールさんポイ捨てしすぎ。イヤまあそれは映画的演出であることは判ってるんですが、もうありとあらゆるものをちょっとダメになったくらいでどんどん脇に寄せて地面や床に落としてくので、「コレ後でお掃除大変だろうなあ……」と現代人の自分は思う。一瞬上に座ったくらいで花束まるっと捨てなくていいよ!(でも花の部分が切れた鉢植えは何故か後生大事に持ち帰るピエールさん)
それにしてもパリの路駐って、いろんな映像でいろんな時代のものを見るけどすべてに渡ってひどい有様(笑)。パリの人、日本に移住してきたら衝撃受けるんじゃないかな。「路上じゃない車庫を車持ちの全員が持ってるの? この狭い国土で!??」て。
『大恋愛』(ピ)
やはり白眉は寝室から音も無く走り出すベッドカー。美しくも切なく物哀しい。愛し合って結婚して隣のベッドに寝ていても、夢は、想いは決して共有できないものなんだよね。しかしコレ、ちょっと乗ってみたい。乗りながら寝てみたい。
「オレと別れて傷ついたろうな」と思ってる幼馴染がさっさと次の男を見つけてるのが実に良し。
それにしても、一度浮気したと思い込んでるのによくもまあ18歳の美女を秘書につけようなどと思ったものだなこの両親は。
マダム・ルイーズがずーーっと歯を覗かせた笑顔のままで仕事してるのが何だかツボにハマった。
それにしても相手の好意を一切確認せずに、自分は既婚のまま18歳に告白しようとする40男は、それがピエール・エテックスであってもやはりさすがに気持ち悪いね……。
『絶好調』(ピ)
皮肉の効いたユーモアが実に良い塩梅。車をでかいテントに入れて自分達は激狭のテントで棒のようになって暮らしてる夫婦が好き。
あんなところでも子供に統制とろうとしてるところが何とも。キミ達も早く穴から逃げて!
冒頭のコーヒー淹れるところまでの流れるようなピタゴラ失敗ぶりがたまらない(笑)。一、二滴しか出ないコーヒーに、「うん、そりゃそうだよね」としか。その後砂糖に吸わせてかじるのには意表をつかれましたが、自分はコーヒー嫌いなのでよく判らないけど、アレ案外美味しいのでは……?
『健康でさえあれば』(ピ)
67分あるので確かに「長編」ではあるんだけど、中身は短編4本を集めた作品。
最初の『不眠症』が一番好き。ほんの一瞬映る、主人公の後ろから開かれた本のページを映すシーンがどこかマグリットの絵を思わせる。ホラー映像ものによくあるオチも嬉しい。しかし眠りに着く時の枕元の時計が「午前0時」で、ハードカバーをまるまる一冊読んだことから考えるに、それは「不眠症」ではなく、ただ単に床に着く時間が早すぎるんじゃ……?
『シネマトグラフ』はCMモードに入ってからがもう面白すぎた。今でも充分通用する通販CMあるあるネタてんこもり。「そこでこの◯◯」。このパターン昔から変わらんのね。
『健康でさえあれば』主人公の薬を誤って飲んでしまったヤブ医者がゾンビのごときでヤバかった。リラックス大事ね。車に皆が「笑って!」てステッカー付けてて、渋滞しながら顔だけ笑顔なのが妙な新興宗教じみてて可笑しくもコワい。
『もう森へなんかいかない』ドゥニーズ・ペロンヌ女史のコメディエンヌぶりが炸裂している。この一篇ではエテックスを食ってる勢い。今なら三谷幸喜作品の常連になるんだろうな。ラストのカーテンコールがラブリー!
『バンバン!』
雪山でヒトに睡眠薬を盛るのはやめましょう>ラージヴィール
カーチェイスならぬ船チェイスで、イルカのごとくざっぷんざっぷん波につかっては飛び出すリティクさんに爆笑してしまった。それにしても銃ってあんなに水に強いんですね。
だがしかし捜査にかこつけてあまりにも個人的復讐に走りすぎでは。『ナイト&デイ』のリメイクだそうで、そっちは未見なんですが、元作でもこんなに無茶展開なのか。巡り合わせのとことん悪い銀行の副頭取さんかわいそう……(笑)。
しかしこちらの記事にも書いた通り、カトリーナさん地味どころかもう特に化粧も衣装もなしのシャワー浴びてる顔のアップだけで超のつくキラキラぶりでした。イヤもうほんとお綺麗。
実を言うと今までカトリーナ・カイフって、自分にとっては「超絶美人、でも『タイプ』ではない人」だったのですが、今回なんかもうありとあらゆるシーンでたまらんツボにハマった。30回は惚れた。なんて言うのかなあ、まろやかさが増したと言うか。そらラージさんもひと目で参るわ。
だんだんキレっぷりが逆転していって、最後にはちょっとサイコパス入りかかるレベルになるのも良き。どこに連れていくのかと思ったら、「我が家(何この表札)」だったのでほっとしました。
リティクの脱ぎっぷりが素晴らしかった。CGかと思うレベルの筋肉。そらハルさんも釘付けですわ。なんかスゴい綺麗なつき方じゃないですか? ムキムキにする人って肩と上腕部分がやたら厚く盛り上がるイメージがあるんですが、そこが程良い感じで、上半身の見た目のバランスが美しかった。
歌とダンスも良かった。やっぱインド映画はこれだよね。しみじみと良い。トゥメリも好きだけど、ラストダンスが最高でしたね! あのエンドロールへの入り方!! 大好き!!!
『イニシェリン島の精霊』
こんなツンデレってアリ……?(怖)
なんなんだろうなこれは一体。まあ本当にただ「ヒトとしてコイツに飽きた」「よく考えてみたらむっちゃキライやった、アイツにかかずりあって時間ムダにした自分にも嫌気がさした」てなるのは判らんでもないんですよ。人生終盤、そういうこともあるかもしれない。
でもだったら単純に突き放したままにしておけよ、と思うんだけど、あるところではもう殆ど「恋の駆け引き」やってんのかアンタは、と言いたくなるふるまいっぷり。よそものと仲良く楽しくしてるの見せつけまくったり、かと思えば警官に殴られたり暴言吐かれたりしたらガッチリかばって優しさ見せつけ、何なのコレもう、まさにひと昔前の少女漫画のつれない傲慢男子系じゃないですか。惚れさせたいのか嫌われたいのかどっちなんだコルム。
まあ「親しくしたくないだけで情はある」てことなんでしょうが。しかし指切って投げる、って、江戸の遊女が愛のしるしに指切るのにちょっと似ていなくもないですね(実際にはニセ指が大半らしいですが)。「オレの体を傷つけたくないならオレから離れろ」って「相手が自分を大事に思ってる」て前提が無いとできない宣言だし。ラストは『トムとジェリー』のテーマソングが脳内をよぎりました。
そして意外なまでに笑いどころが多かった。結局皆、パードリックをバカで退屈だと思っているのね(笑)。指を靴箱に入れるところがもう可笑しくて可笑しくて。妹(キャラがいい味出しすぎ)の絶妙な突っ込み芸がたまりません。
ドミニク、あれシボーンにだけはマジ惚れだったんだろうなあ。唯一信頼していたパードリックも「いい奴」じゃなくなりシボーンにはフラれて島を去られ、自分の家にはもう絶望しかなく。哀れな末路でした。
ジェニーちゃん(ロバ)がかわいくてかわいくて。言うことちゃんと聞くのが賢くもかわいい。まさかあんなことになろうとは(涙)。ちなみにエンドロールのキャスト表にもちゃんと入ってて、ロバ本名も「ジェニー」でした(サミー(犬)は「モールス」、ミニー(ポニー)もミニーだった)。
それにしても警官が無闇に人を殴ったりとか、神父が「地獄に落ちろ」言うとか、一番いかんヤツじゃないですか。イニシェリン島恐ろしい。ミセス・オリオーダンが実にもう「イヤな感じに歳をとった女性」を煮しめたタイプのヒトであった。
それにしても民族音楽が美しい僻地ものに駄作ナシだな。
『ベネデッタ』
「慈善事業をしてるんじゃないんだから」……イヤそれ修道院長の口から出ていい言葉かな!?>シスター・フェリシタ
もうこの院長がバリバリの実利主義。信仰心ゼロ。まあそもそも教皇大使からして信仰心の持ち合わせなんて無いんですが。こういう人達がトップに立って、下の人達にガチガチの信仰心を強いる、という図が何とも中世キリスト教的です。「修道院」という一応きちんと規律立った組織に対して、外部の男性達が簡単に院長のクビをすげ替えてしまうことも含めて。
しかしまあヒトはまず生物なのだから、特に思春期にいろんな欲望をガシガシに禁じるのはあまりメンタルにはよろしくないですね。べつだん宗教施設内部に限った話ではないですが、特に女性の肉体的欲求に対して「そんなもんは最初っからナイナイ!」的にスルーしていた人達にとって、彼女の存在はそれこそ「魔女」「悪魔」と取られたであろう筈。にもかかわらず火炙りにもできずに投獄(と言っても刑務所ではなく修道院の中)だけで当時としては相当な高齢まで生きられたのは、彼女に対する街の支持を無視できなかった、ということなんでしょうな。痛快です。
それにしても女性に対して「男性の劣情」をあおらない為に禁欲的な服装で美を封じる、という宗教的やり口ってありますが、結局「その装いがたまらん……」てなってしまうのって皮肉だよね(笑)。シスタースタイルって実に何とも、良いもんですよねえ。
しかしあの修道院長や教皇大使が最後に「信仰めいたもの」にたどり着くのがまた皮肉。ベネデッタはフェリシタに一体何を言ったのか。知りたい。
『オルフェ』
見終わった後、脳内で映像を思い返すと何故かフルカラーになってるんですよ。ふしぎ。
愛の為にあなたを現世に返すわ、というラストなんですが、結局その結論になるのなら、王女様が惚れたオルフェを引っ張り込みたいが為だけに黄泉の国召喚されたセジェストさんってまさに死に損(笑)。「雑誌に載せてもらえる!」てウキウキとカフェに向かったのだろうになあ……。
死の国の王女も惚れ込む納得の美しさ、ジャン・マレーが本当に本当に打ち震える程の美形なのですが、「自分の死」のことをすっかり忘れ去った後、一瞬でマイホームパパの顔になるのが凄かった。
なんかもう、セリフだけでなく見た目や声音で判るんですね。「あ、このヒト素晴らしい『家庭人』にはなったけど、『つまらない人』になったんだな」て。同一人物なんだから顔の造作に変わりは無いのに、それまであった電撃のような美がさくっと抜けている(言うまでもないが『家庭人』=『つまらない人』ではないのでご注意)。だが当然同じ人なので、これはこれでまた別の魅力があると言えばある。相手にどっちを望むか、てことなんでしょうな。
ラストの「愛の為に彼を返し自分は罰を受けひとりに戻る」という結論、セジェストとかユリディスが召喚後、どっか魂抜かれたみたいで「身も心も王女の僕」て感じになってるのを見るに、黄泉の国でふたりで暮らすことを選んだとしても、この先だんだん「それは本当に相手の想いによる決断なのか、それとも自分の願いの反映なのか」てことが判らなくなってきそうな気がするんですよね。それくらいなら自分の胸の内だけに「永劫の愛」を閉じ込めて「愛の為の罰」を受ける方がマシなのかもしれない、とも思った。
それにしてもジャン・マレーくらい美形だと、恋人にしたいと言うより同じビルの違う会社で働いてる他人、くらいでいてほしいと思う。朝晩やお昼にたまに見かけてエネルギーを補充するんだよ。出勤するのが苦じゃなくなるよね。
『バビロン』
あの状況だったらわざわざ象なんか出さんくても、誰ひとりとして気にもしないんじゃ……?(笑)
歳をとった(でも顔は全然老けてない)マニーが映画館の中で涙を流し、カメラがゆっくりと観客を映してまた彼に戻る。近年よく聞く「クソデカ感情」、なんとのうイメージはできても実感として受け止めることができていなかったのですが、この瞬間に感じたものこそがまさにこれだと思いました。何なのこの感覚。
大きくて長く続くものの中に自分も確かにそのひとつとしてそこにいる。スクリーンの内側にいる人達だけでなく、映画を観る、映画を観続けている人も確かにその輪の一部である。長いこと映画を観ていると、稀に「映画館で映画を観続けてきたことへのご褒美」のような映画に出逢えることがあるのですが、自分にとってこれはまさにそういう作品でした。
サイレントからトーキーに移行する中で起きる悲劇や苦悩、はすっぱで奔放な気質の夢を追う女性と、彼女に振り回されながらも恋心を抱き続ける実直な男性。筋だけ見るとすべてがどこかで見たことのある、手垢のついた物語で、けれどそれがここまで素晴らしいものに仕上がっているのは、この映画館シーンを含めた「映画愛」と、主演二人の優れた演技力だと思う。
特にラスト近く、逃避行中なのに寄り道して、酒場に乱入し踊りまくるネリーを見るマニーの顔が絶品だった。遠い昔の輝きを確かにそこに見出して、どうしようもない女にどうしようもなく惚れ抜いている、唇をかすめる苦く甘い笑みと細めた瞳。どうしようもない愛のあふれるまなざしに心臓を撃ち抜かれた。もうこの表情ひとつでオスカーに値するわ。
『ブローニュの森の貴婦人たち』
まさかの犬映画……!
イヤもう本当に予想外でした。あまりにもかわいいので画面に登場する度にどうしても目がそっちにいってしまう。特に別れ話した後、ベッドの中でエレーヌにひっついて顔うずめて寝てて、電話のベルにびっくりして顔上げた後、またむにゅむにゅと脇に顔突っ込むところがもう! もう!!!
だらーんとだっこされてるところも一目散に走ってくるところも、すべてが本当に本当にかわいい。エレーヌさんあんな情無しのクズ男なんか放ってわんちゃんと幸福な蜜月を送りましょうよそうしましょうよ。
そう、ホントもうこのジョンがクズでクズで。上手に別れたいと思ってたところに相手から「冷めた」言われて「ラッキー」思うのは判る、まあ判るが、だったらすぐにその手の中のプレゼントを返せ! この状況でそんな金無垢の高価な品を何ちゃっかりもらっとんじゃい!!
別れた後にもちょくちょく家に来るのは、まあ最初は「向こうも冷めてる」と思ってる訳だからいいとして、後半で「自分が結婚したいのはあなただけ」て打ち明けられたのを完全無視で自分の恋の成就への協力もちかけるとことか、貴様頭がどうかしてんのかと。
しかもコイツ、エレーヌだけじゃなくアニエスにもひどくないか。決死の思いで手紙を渡す彼女の懇願をことごとくスルー。いいからヒトの話を聞け。「晴れた空の下で二人で読もうよ」にマジ殺意を覚えました(笑)。
どうもエレーヌの財力にたかり気味っぽい感じもするし。大体「この親子は何か事情があって今の環境から出られないようだ」と勘づいた時にやることが「娘に母親を捨てさせて逃避行」って。「君もお母さんもまとめてオレが面倒みるよ、ここを離れて一緒に暮らそう」じゃないんかい! エレーヌに結婚の段取りを相談する時の様子見て、「もしかしてコイツ、式の段取りや費用も全部エレーヌ任せにしたんじゃ……?」と想像してしまい震えた。可能性がゼロじゃないから怖い。
しかも結婚した瞬間、急にものすごい支配的な態度やものいいをするのにも軽い恐怖を感じた。うっすら疑惑植えつけられただけで詳細何も判ってない時点で、あの態度なくないですか? イヤもうホントこいつやめた方がいいってアニエス。
自分の熱い希望としては、あのラスト、アニエスには申し訳ないけど「離れないわ」と言ってそのまま息をひきとっててほしい。この男がこの流れで幸福掴むのが許せんわ。どうせ結婚したって周囲の冷たい視線や嘲りの態度に長く耐えられるヤツじゃないと思うし。あれは死にかけたところを見た為の一時の情熱、一時のセンチメンタルに過ぎないわ。二年前、エレーヌにきっと固く誓ったであろう愛の証と同じで。
それにしてもこの男に対してアニエスを「用意」するエレーヌさんの手腕に震えました。それってつまり、「アンタの好みって結局こういう女なんでしょ、判ってるのよ」てことじゃないですか。
明るくも清楚な美しさ、けれど不幸な身の上の為ににじみ出る陰、そういうのにジョンが庇護欲ばんばんそそられちゃうだろう、て判っているのね。まさに手のひらの上。
しかしアニエスさんの方は一体なんでまたこの尻軽男が良かったのか、正直全く判らない。ろくに会話もしない内に花攻撃、ストーカー、つまりは見た目だけで寄ってきてる訳で、踊り子の時の男達と何にも違わないわ。なんか惚れる要素あったか??
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
成程、確定申告とはどの国でもかように人心をカオスに追い込む魔のシステムなのですね……(違う)。
イヤもうすんばらしく面白かった。基本のアイデアとしては割とよくあるものだと思うんですよ。並行宇宙が山程あって、その世界すべてに君臨する悪役がいる。それを滅ぼしてほしい、と平凡な世界の平凡な主人公が突然戦いに巻き込まれる。戦う為に特殊な方法で能力をインストールする。
そのよくあるストーリーがこんなにも優れたものになっているのは、惜しみない贅沢な映像と、2つの別テーマ(この場合「すべての並行世界の危機」と「家族問題」)が同時進行し互いに影響を及ぼしあいつつ同時解決する、その組み立て方ではなかろうか。自分もこの、異なる問題が同時進行し相互に影響を及ぼしあって解決に至る、という構成が大変に好きで、自作によく使用します。
それからウェイモンドというまさしく宇宙並に懐の深いキャラの素晴らしさ。あの「親切にね」は痺れました。
前半のエヴリンのイライラと憤りも判るんですよ。ああいう時にああいう優柔不断でとろくさく見える相手が隣にいたら、そらもうキリキリもするでしょうよ。確かにあの時点ではエヴリンは自分の夫の美点を完全に見過ごしてはいるのだけれど、見過ごさせてしまっている方にもやっぱり原因はあるのよね。天井のペンキの色間違えたりとか。まあ色なんてどっちだっていいっちゃいいんだけども、ああやって念押しするのはああいうミスをもともとしがちな人だからなんだろう。だからこそ「僕が悪かった」て言う訳だし。
とにかく節々で面白いんですが、石になって「ha ha ha」ってやってるところがもう面白すぎて面白すぎて、この可笑しさをいかにせむと思っていたら、その後じりじりと動き出し可笑しみをひきずったまま怒涛の感動に背負い投げされてしまった。泣けたし笑えるし。
ありとあらゆる世界の自分の中で一番なのは「この自分」。昔のゼクシィの「結婚しなくても幸せになれるこの時代に私は、あなたと結婚したいのです」という名コピーを思い出しました。どんな未来だって選べた、けれど自分が選んだのは「あなた」と「あなた」がいる「この自分」。アルファ界から見たら「何ひとつ持たない最低ラインのエヴリン」、でもそれが彼女にとっては最高の場所。
それにしても「ヘンなことをしてダウンロードで能力ゲット」して、その能力で戦う訳だから、あの時点でおしりのブツを抜いたところで特に解決にはならない気がするんですが……(笑)。
ちょっとサラ・ピンスカーの『そして(Nマイナス1)人しかいなくなった』(竹書房『いずれすべては海の中に』所収)を思い出しました。すべての並行宇宙のサラ・ピンスカーが集まって全員でパーティーをする話(笑)。なんとそこで殺人事件が。サラ・ピンスカーを殺したサラ・ピンスカーは一体誰か(サラ・ピンスカーです)。それぞれのサラがそれぞれに持つ特技や性格を利用し推理して「どの」サラが殺人者かをつきとめる話。面白いので未読ならばぜひ。
狙った訳ではないけどパンフレット↓が初回限定版だった。立体目玉!
『RRR』
♪〜血が騒いだら 旗を挙げろ ←できます
♪〜武者震いがしたら 山を打ち砕け ←無理です
二度目の鑑賞。一度目の鑑賞感想はこちらの記事にあります。アカデミー歌曲賞とった記念の記事はこちらから。
前々から思ってたんですが、歌が事前に入ってる状態で見るインド映画、良いですよねぇ。言語が判らぬ自分には、歌詞の意味なんてとんと判らないのでネタバレることもないし(まあ判ったところで大体は、「主人公は素晴らしい人だな」「ラブラブになるな」「悲しい目にあったな」「お祭りは楽しいな」「インド(故郷)は素晴らしいな」「日々が楽しいな or 日々を楽しめ」くらいしか読み取れないのでさしたるネタバレにはならないんですが)。
一回目より時間が短く感じました。「あれ、こんなあっさり進んだっけ?」とつい思う、それは脳内でいろいろ妄想シーンがつけ加わっているせいである。特に「Dosti」での「兄貴とオレのウキウキライフ」は「いや、もっといろいろあったよな……??」と思ってしまったわ。
改めて見るとつくづくとアジャイが格好いい……若い頃より今の方が渋みがあって男前度が増したなぁ。子供に銃を持たせて人を撃たせるのは見ていて苦しいけれど、でも実際にそういう時代があったのだものね。そういう厳しく苦しい時代を経て今の独立インドを掴んだのだから。
最後に総督に銃弾を返す時、銃のプロであるラーマがあえてビームにやらせるのが熱いよね。ああ、父から受け継いだものをこうやって渡していくのだな。
二度目の良さは、そこでキャラがとってる行動の意味が判ること。お互いに何も知らないまま友情を育むラーマとビーム、ビームに向けるラーマの目が優しくて、「ああ、死んだ弟のことを思い出したんだな」とか「父親のことを考えてるな」とか思うとじいんとくる。
それにしても肩車スクワットてしみじみ凄い。インドの筋トレどうかしてるよ。
まとめ
そんな訳で今期のまとめはこれ、「観客運が最悪」だった……。
大いびきかいて寝られるわ、椅子後ろから蹴られるわ(異なる映画で複数回)、ダウンコート的な服がこすれるシャカシャカ音を延々と鳴らされるわ、もうサイアク。
長く映画館に通っていると、必然的にこういうお客さんにはそれなりに当たるんですが、これだけ短期間に集中したことはなかった。事前に席選ぶ際に、可能な限り周囲に人がいない・かつ自分好みの席になるようにはしてみたんですが、その後に近くを選ばれるのはもう防ぎようがなく。
自分は小さい声が届く範囲に相手が座ってる場合、結構「やめてください」て直接言っちゃう方なんですが、今回は言ってもきかない人が多くてそれもイヤさ度倍。言うのって言う側も結構相当な逡巡をした上で、それでも、と心理的に高いハードル乗り越えてやってるので、それできいてもらえないのは本当に応えます。
この悪運集中っぷりは、多分今期に古典名作や賞がらみの映画が多かったからかと思います。そういう映画って普段あまり映画館に来ない人が来がちなので、どうしても「電車やバスなら気にしないけど、映画館で隣の人にコレやられたらすごい迷惑」な行動が判らなかったりするんですよね。
『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は、ギリアカデミー賞発表直前に行けたので平穏に観られて良かった。受賞後だったらと想像するだに恐ろしい……。
ちなみに自分はエンドロール大好きっ子なので必ず最後まで観るんですが、観ないで出るのもそれぞれの好き好きだと思います。ただ、スクリーンの真ん前を横切る時にはできればかがんでほしいし、喋ったり携帯オンにするのは劇場の外に出るまで待ってほしい。それだけですね。
4〜6月は今期程は観ない予想なんですが、さてどうなるか。
多分最初は『メグレと若い女の死』か『赦し』になる予定。
そういやこないだ、チラシコーナーで『フラッシュ・ゴードン4K』というのを見て笑いました。ものすごく細部のくっきりキレイなフラッシュ・ゴードン、想像するだけでたまらん面白い。
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