かんちゃん先生

35年の教員生活(特別支援学校・小学校・中学校)の後、教員時代に授業に新聞を活用してい…

かんちゃん先生

35年の教員生活(特別支援学校・小学校・中学校)の後、教員時代に授業に新聞を活用していたことから某新聞社NIE事務局に5年勤務。現在フリーで執筆、講師などをしております。岐阜新聞では「教室からこんにちは」というエッセイを20回連載させていただきました。

最近の記事

想い出を紐解いてみると・・3

3. 歳行けばなお悔いる差別  小学生時代の遊びは多種多様の時代。幼稚園から低学年にかけては紙芝居屋さんがやってくるのを待ち侘び、型抜き飴、ねり飴、マンボ(砂糖とハッカを混ぜて練り2cmあるかないかの四角に整形した菓子)削りなどから一品を選ぶ。 沢山の子どもたちが5円支払った後、臨場感たっぷりの紙芝居に熱狂した。  釘刺し、カッチン玉(都会ではビー玉)、缶蹴り、馬乗りじゃんけん、チンパー(けんけんパー)・・どれも近所の子どもが3人も集まればすぐに始まり、気がつくと10人く

    • 想い出を紐解いてみると・・2

      2 母とボク  小学生時代の想い出。それは家や場所ではなく、母の存在が紐解く鍵となる。  小学校に上がる前からバイオリンを習い始めていたボクは、母と一緒に行動することが多かった。そうした時に出会う大人からはよく「小さいのにしっかりしたお子さんですね」と言われていた。それを嬉しく思い、いつもお利口でいたいと思っていたのは、母がその言葉を喜んでいると感じていたからだろう。  だからこそ母を悲しませた出来事は印象深い。  まだ低学年の頃、母と2人で市電に乗って出かけることがあ

      • 想い出を紐解いてみると・・#️⃣エッセイ

        1 幼少期の衝撃  自分の記憶を出来るだけ遡ってみる。いつのことかははっきりしないけど・・という想い出がいくつか自分という轍のなかにいくつも転がっているんだけれど。  なるべく古いもの。  住んでいた家の記憶を手繰ると場面がいくつか浮かんでくる。  少し大きめの長靴を足をふって脱ぎ散らかしたまま階段を駆け上がるボク。「チエちゃん!」と精一杯の声を出すが早いか、ミシンを踏むチエちゃんに抱きつくボク。  チエちゃんは隣の大人のお姉さんだから自分の家ではないけれど、チエちゃん

        • 板書

          昨今の教員不足で私のような老兵にも声がかかり、小学校の3年生の学級に週2日5時間ほど行っております。 算数は大体2日ともあるので、担任の先生が1週間に受け持つ学習のうちの半分をさせていただいてます。 さて写真は「あまりの大小」という単元。 みかんを13個貼り出したあと、 あ、袋もあった、と言って2枚だけ出してあまりは5個だね、って言うと 「違う!」「違う!」の大合唱。笑 いつも私が荷物入れてるカバンを指差して、「それにまだ入る」って言う始末。 そこでおもむろに、「あ、もう

        想い出を紐解いてみると・・3

          字源

          教員不足が深刻化しています。週に2日だけ助けて欲しいと現役時代の仲間に依頼され、小学校に講師に入るようになりました。 3.5.6年の書写、1.2年の英語。1限から5限までびっしり。疲れるけれど貴重な子どもたちの学びの時間。充実させねばなりません。 「書写って、どういう意味かな」 「書き写す」 「その通り。でも何故それを学ばなきゃいけないんだろう」 「将来のため」 「将来、毛筆を使うつもりなの?」 沈黙 指導要領を噛み砕いて必要性を話しました。でも、それだけでは楽しくはなり

          #教育  ごあいさつ

          #教育  ごあいさつ

          先生の学校:分校(4)

          朝の会・帰りの会には大体シメとして先生の話がありますよね。これって結構大事にすべき時間なのですが、なんとなく何をするでもなく終わってしまっている先生方、多いのではないでしょうか? 私は53歳で初めて中学校勤務になりました。しかも赴任する前年には生徒が逮捕される(決して悪い子ではないのですが・・)事件もあった所謂荒れた学校でした。実際、着任の挨拶の時、壇上から見た生徒たちの景色には驚きました。女子も立膝、あぐら、話を聞く姿勢ではなかったのです。 初めての中学校だというのに3年

          先生の学校:分校(4)

          先生の学校:分校(3)

          児童や生徒さんが亡くなるのは筆舌に尽くしがたい悲しみがあります。残念ながら私は何度も経験してきました。 岐阜で中学生が飛び降りて亡くなりました。いじめがあり、それをめぐり担任、学校、教育委員会、関係者がいろいろ言われる中、対応に追われているようです。 児童・生徒さんと担任、教師の信頼関係作りはすべての教育活動、つまり学校生活の鍵になります。 私の最後の勤務校は、ある意味理想でした。担任が受け持ちの子どもの基本的なことを理解しているだけでなく、他学年の先生、教務主任、養護

          先生の学校:分校(3)

          先生の学校:分校(2)

          教師という職業は、確かに教育の専門的なことを学んでその職に就きます。ただ、大学を卒業して学校に赴任したその日から、先輩の先生方からも子どもたちからも保護者の方々からも先生と呼ばれる立場になります。ここが一つ目の関門かもしれません。もちろん何の疑問もなくすんなりと先生業をこなす人が多いのでしょうが・・。 私は高校、浪人、大学と劣等生でしたから、なりたかった先生になれたのに、その責任の大きさに狼狽えました。最初に受け持った子らは障害のある子らでした。常に死と向き合わねばならない

          先生の学校:分校(2)

          先生の学校:分校(1)

          はじめまして。元教員をしていて、つい先日再雇用を5年勤めて退職したジイちゃんです。 再雇用でも教育関係の仕事をしていたので、教育には40年以上関わってきました。少し時間と距離を持てている状況の中で、この後自分は何をすべきか考えています。 私の時代は混沌とした時代でしたが、落ち着いていたとはいえ戦争が遠くない時代でしたから、教師と呼ばれる方々に教育にかける信念の迷いがなかったように思います。子どもたちを二度と戦争に巻き込まない、その一点が根底に強くあったからだと思います。

          先生の学校:分校(1)