先生の学校:分校(3)

児童や生徒さんが亡くなるのは筆舌に尽くしがたい悲しみがあります。残念ながら私は何度も経験してきました。

岐阜で中学生が飛び降りて亡くなりました。いじめがあり、それをめぐり担任、学校、教育委員会、関係者がいろいろ言われる中、対応に追われているようです。

児童・生徒さんと担任、教師の信頼関係作りはすべての教育活動、つまり学校生活の鍵になります。

私の最後の勤務校は、ある意味理想でした。担任が受け持ちの子どもの基本的なことを理解しているだけでなく、他学年の先生、教務主任、養護教諭、さらには図書整理員さん、給食の世話をして下さる方、みんなが全校の子どもたちのことを理解しようと努力し、いつでも、◯◯さん今日元気ないね大丈夫かな、とか、▽▽さん今日〜で頑張ってたよ、といった会話ができました。

私は6年担任ばかりしていました。児童会を受け持ってることもあり、毎朝玄関を開ける時から児童玄関を入った所に立ち、◯◯さん、おはようございますと声をかけていました。一般的に受け持つ児童が自分の子という感覚が教師にはあります。僕は全校児童が自分の子という考えでした。最後の勤務校には私と同じ考えの先生方が多かったのでしょう。
そういう感覚がなかった先生も私の様な年寄りが毎日毎日玄関で挨拶する姿、教務主任がどの先生の児童の問題にも、しっかり人物把握して相談にのれること、相談内容がすぐに職員室に共有され、いろんな先生が経験から助言や励ましがされることで、影響を受け同じ様な考えになって下さったのだと思います。

私は、児童におはようございますと言える子になってもらうには、教師もおはようではなく、おはようございますと言っていかないとダメだと考えていました。
トイレ掃除は誰でも嫌です。私は新しい校舎だったこともあって、膝をついてトイレの床拭きをしました。児童には求めませんが便器洗い、壁拭きなど懸命に取り組んでくれました。
玄関まわりの廊下の床拭きも膝をついてしました。いつのまにか子どもたちもするようになりました。校長室で机に向かっておられた校長先生も時間が取れる時は、同じように床拭きをして下さいました。

何もせずに信頼関係は築けないです。受け持ちになった、先生だから、といって何もしないでいては深く関われません。
先生自ら態度で示し、指示してさせるのてなく、子どもたちが姿を見て何かを感じ取り行動するよう仕向けることが重要なのだと思います。

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