想い出を紐解いてみると・・3


3. 歳行けばなお悔いる差別

 小学生時代の遊びは多種多様の時代。幼稚園から低学年にかけては紙芝居屋さんがやってくるのを待ち侘び、型抜き飴、ねり飴、マンボ(砂糖とハッカを混ぜて練り2cmあるかないかの四角に整形した菓子)削りなどから一品を選ぶ。
沢山の子どもたちが5円支払った後、臨場感たっぷりの紙芝居に熱狂した。

 釘刺し、カッチン玉(都会ではビー玉)、缶蹴り、馬乗りじゃんけん、チンパー(けんけんパー)・・どれも近所の子どもが3人も集まればすぐに始まり、気がつくと10人くらいの遊びになっていることが常だった。

 遊び場にも困らない。田んぼの横には空き地、墓地の隣には薪置き場(基地遊びに最適)、神社やお寺の境内、川から街を守る堤防、そこから本流までの川原もあった。

 みんなで石切りに興じ、メダカにかぶち(小魚)、川エビをバケツに入れて帰る途中、1人の女の子と出会った。皆んなの顔色がかわった。ニ級下の一重の目がキリッとしたエリ子だった。じっと僕らを見てる。
 僕は話したこともない、家が近いのに登下校でも見かけることがない子だった。誰かの友達かなと思って皆んなを見回した。

 不意に1人が「チョンが来た、逃げよう」と叫んだ。その声につられて皆んなが走り出した。それに呼応してエリ子も反対側に走り出した。
 何故逃げなきゃいけないのか考える間もなく響く皆んなの「チョンや」「チョンはあかん」などの声。
 エリ子は朝鮮人、朝鮮人は汚い、エリ子の兄はケンカが強い、近付いたらアカン、そう聞いていた。だから皆んなは走ってエリ子から離れた。それは僕も同じ。

 家に帰ってメダカを金魚鉢に移しながら、胸の中に燻る思いの処理に困っていた。赤い金魚は僕ら?黒いエリ子はメダカ?金魚とメダカは仲良く泳いでいる。
 見た目は違わないのにな・・・。

 1週間後に来た紙芝居屋さんに皆んなが集まった時、道の向こうにエリ子が隠れるように立っていた。
「おいでよ」と呼ぶ勇気は、ボクにはなかった。

 社会人となり、障害のある人や外国籍の方などと共に働くのが当たり前になっても、自分の中に巣食う差別の根っこが
「お前、最低」
と叫んでいる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?