生きていても死んでみても苦と迷いが付き纏う。
分が何かをしてきたから、何かが自分に起きている。偶然はない。全て必然。これが実相。己が生きている世界。善でもない、悪でもない、どっちつかずの中途半端な生き方をしていいると、生きていても死んでみても苦と迷いが付き纏う。自分の本来持っている素晴らしい能力の発揮も出さぬままに、現世での命を終えていく程、勿体無いというという言葉では済まされず、「生きているのに生きていない」と、心疚しいと言わざるを得ない。己の生き様を猛省し、そのいい加減さ、不勉強さ、体たらくさを認め、全てをやり直す覚悟を持って生きるが良い。未熟な人間を脱し、人として完成させるためには、“人としての智慧の修得”と“すべてのものへの慈悲の心”そして“決断する勇気”の三つが完全な形で整う必要がある。本当の智慧を蔑ろにし巷のハウツーばかりに満足し、己の損得のみに動き目の前の慈悲を見捨て、いつも物怖じ依存し自分で決められずにそのことすらも誰かの所為にする。この“智慧”“慈悲”“勇気”が無くば、今世もまた未熟なままの人生を終えていくことになる。それの繰り返しを永遠と繰り返すのであれば、もはや輪廻転生すら許されぬ。自己なりにそこそこの評価では何ともならない。もはや末法の世なればそのような段階ではない。己の生き様を天が認めるか否か。それが実相。あの世で後悔してももう後は無し。
そのことを肝に銘じ、今生きるこの瞬間を寸分たりとも無駄にせず、智慧を学び、慈悲の心を持ち、勇気を持って己の道を進みます。
有難う御座います。
幸せを呼ぶそよ風チャリダー/サステナビリティイノベーティブコンサルタント。「感謝感動を世界に地球に」のカングロ代表、ザッポス研究会、イノベーションサロンZ、システムD研究会、サステナ塾、セブメディ創設者