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【能・狂言】最近思うこと(吉野静、2024/5/11)

■はじめに

 私は、能・狂言を月に一回ほど鑑賞することがあります。その都度、感想を残そうと思うのですが、なかなかまとまらないのが実状です。
 理由として、以下の点が挙げられます。

  • 連続公演ではないため、同じ舞台の感動を共有しづらい(ように思ってしまう)ため。

  • 鑑賞する視点が、(文楽と同じように)十分定まっていないため。

 最近、一公演を一記事にすることに拘らず、期間の幅を持って、雑記を書いてみてはどうかとひらめいたので試してみようと思います。

■能・吉野静

(1)公演概要

  • 令和6年4月13日(土)、国立能楽堂にて。

  • 桜間右陣(金春流)

<あらすじ>
静御前と源義経の家臣・佐藤忠信は吉野の衆徒を欺き、主君・源義経を落ち延びさせるための策を巡らします。そして、静は、義経が吉野山から逃げ出すための時間を稼ぐために、緊迫した状況の中で優美な法楽の舞を舞い、義経の身を衆徒たちの手から守るのでした。

国立能楽堂の配布チラシより

(2)メモ・感想

 能の後半に入る「舞」は、あまり時間を計ったことはないのですが、15分から20分ぐらいあるように思います。
 夢幻能ということで、ボンヤリと見ていればよいのかもしれませんが、私の場合、眠くなったり、長く感じたりしてしまうことが、多いです。(この点、本当に申し訳ありません!)
 しかし、今回、白拍子の静御前の舞という対外的な「意味」が明確についていたせいか、眠くならず、目をパッチリして鑑賞することが出来ました。いつもより楽しめたように思います。

 そして、今回の経験を活かして、他の演目の「舞」も楽しめたらいいなと思いました。また、「舞」についての世阿弥の本なども、早めに読んでみたいなと思いました。

■最近の問題意識

 さて、次の項目です。私は、ここ2年ほど能・狂言を鑑賞してきました。演目の種類や系統など理解が進んできたように思います。
 しかし他方で、詞章に出てくる〈サシ〉や〈クセ〉など、謡曲の術語が理解出来ていないことに引っ掛かりを感じることが度々あります。
 手持ちのハンドブックなどに、定義が書いてあるのですが、私の努力不足もあって、なかなか頭に入ってきません。
 
 販売されているCDを皆さん聴いていたりするのでしょうか。
 能楽師の方に質問したこともありますが、うたいや仕舞を習いに行くこまではいかないレベルです。

 現段階では、もう少し、本を片手に、自分で勉強してみたいと思います。最近、次の本を買いました。『お謡ひ稽古の手引』です。

 鑑賞するだけでなく、鑑賞するポイントなど、形式面・内容面をともに充実させていきたいです。

■最後に

 今後、また気づきや理解の進捗などがあったら、もう少し気軽な気持ちで、能・狂言についても記事を書いてみたいと思います。
 冒頭の画像は、国立能楽堂です。
 本日は以上です。ありがとうございました。

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