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「存在と無」松浪信三郎の最終講義

岩波新書で10月、松浪信三郎『実存主義』が復刊されるというのを知り、松浪の最終講義の記憶が急によみがえった。

松浪信三郎(1913-1989)は早大教授で、サルトルの主著「存在と無」の翻訳者として知られていた。

私は高校時代に松浪訳の「存在と無」を読み、理解したつもりでいた。自分は実存主義哲学者に生まれついたのだと自覚していた。

ところが、東京の大学に入ってみると、実存主義はとっくに時代遅れで、構造主義なんぞが流行っていた(サルトルも1980年に死んでいた)。私は哲学者の道をあきらめたのだった。

それでも、松浪信三郎の最終講義がある、という話には心が動いた。私は学生ではなかったが、早稲田に潜り込んで、最終講義を聞いた。松浪の話を聞いたのも、松浪を見たのも、それが最初で最後だった。

1983年、いまからちょうど40年前のことだ。


その最終講義の内容に驚いた。

「みなさん、実存主義を、じつぞんしゅぎ、と呼んでいる。

しかし、じっそんしゅぎ、という読み方もある。

じつぞんしゅぎ、と、じっそんしゅぎ、と、どちらが正しいか」

という話が始まった。

私は「じっそんしゅぎ」なんて呼び方は初めて聞いたので、何を言いたいのかとまどった。

実存主義哲学の深遠な話が聞けるかと思ったら、だいぶ違うぞ、と思った。

もう詳しくは覚えていないが、その後もほぼ、

「じつぞんしゅぎ、か、じっそんしゅぎ、か」

という話に終始した。

大教室に集まった満員の聴衆もとまどっているようだった。

これは何か、高級な冗談なのだろうか、と思った。

大学教授の定年年齢、70歳の松浪の口調は、東京出身の人らしく、江戸弁で話す噺家のようで、闊達だった。

これが哲学者の最終講義?

あっけにとらわれているうちに100分の講義は終わり、きつねにつままれた思いで教室を去った。


松浪信三郎は、早稲田の哲学科出身ではあるが、いまから思えば、哲学者、思想家ではなかった。

むしろ、哲学・思想方面のフランス語学者、翻訳家、というべき人だった。パスカルやモンテーニュの訳業がある。

哲学者の主著を訳しているから、偉い哲学者なのだろう、というのは、私の幼い勘違いだった。

それにしても、その後、実存主義を「じっそんしゅぎ」なんて言う人は見たことがない。

40年前の記憶を掘り返して、あれは何だったんだろう、と改めて思う。





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