料理嫌いアレッサンドラの美味しいトマトのリゾットとアフリカ病の話
ブログページはこちら:
https://draft.blogger.com/blog/post/edit/201525837496232733/8647677497501375618
インスタグラムはこちら:
https://www.instagram.com/cucina_kajorica/
トマトのリゾット
お料理嫌いアレッサンドラが「これは美味しくできるのよ。」と作ってくれた美味しいリゾット。
夏が近づきハウス栽培のトマトがメルシェから姿を消す頃に作り始めます。
飽きないので秋まで頻繁に作る事になります。
<二人分材料>
・お米 約130g 量はその時の空腹度で加減する。
(私はヴィアローネ・ナーノかカルナローリと言う種類のお米がリゾット用には好き。日本で入手が難しければいわゆる一般的なリゾット用米でOK)
・トマト味の濃いもの 360g 写真はピカデリーを使用。
*一般的にはトマトはお米と同じ重さ、という量なのですが、私はトマトが大好きなので倍量にしています。それでも全然多過ぎという感じはしません。
*トマトのリゾットはトマトの味が決め手です。とにかく味の濃いトマトを選んでください。
イタリアでもスーパーマーケットなどで売られているトマトでは美味しく作れません。ハウス栽培のものはNG。
トマトの種類に関しては先日別途書きました。こちらです。
https://cucina-kajorica.blogspot.com/2023/09/blog-post.html
・バジリコ 葉っぱ十数枚程度
・ニンニク1片 (なくても良い)
・玉ねぎ小1個(大きさで加減)
・エキストラヴァージン オリーブオイル 適量
・ブロススープ お米の体積の倍程度。
・おろしたパルメザンチーズ 40g程度(好みで加減)
*ブロススープとパルメザンチーズの塩分で十分なのでお塩は入れません。
<作り方>
1・鍋にオリーブオイルを熱し、潰したニンニクを入れ香りをつけます。
2・その間玉ねぎをみじん切りにし1に加え、しんなりするまで炒めまます。
3・ざく切りトマトとバジリコも葉2枚を残し2に加えしばらく炒めます。
4・玉ねぎに十分火が通ったら米を加えます。
*普通イタリアではお米は洗わずに放り込みます。
5・潰したニンニクを取り出し、別途の小鍋で沸騰させておいたブロススープを加えます。
*野菜だけのリゾットなので野菜のブロススープを使うのが王道ですがあっさり系が好きなら野菜ブロススープ、コクのあるのが好みなら肉のブロススープを使ってもOK。
*リゾットの煮方は流儀は2つ分かれ、かき混ぜ続けながらブロススープを徐々に加える人が一般的で大半のイタリア人はそうします。でもお米料理の達人を誇る人ほど適量の煮立ったブロススープを一気に加え、蓋をして混ぜずに調理します。日本の白米の炊き方のように「赤子泣いても蓋とるな」とまではいきませんが稀にしか蓋をとりません。
*圧力鍋を利用する場合はで7、8分炊いた後、蓋をとってまだ水分が残っている様なら蒸発させると調理時間が短縮可能。
6・お米火が通ったら、大皿、または銘々皿に盛り付けます。
*リゾットのお米は微小に芯が残るくらい炊きます。
7・6の前にバターやパルメザンチーズを混ぜ込む家庭も多いですが、私はトマトのリゾットにはバターは省略。パルメザンチーズは好みで量を加減するのが好きなので、そのまま盛り付けます。
8・食べる前に好みでパルメザンチーズを適量加え、全体に混ぜてます。
*****
アレッサンドラは料理が嫌いだ。
イタリア人には珍しく会食も嫌いだという。
自分がオーガナイズしたくないというだけでなく、呼ばれるのも好きでない、と。
2時間も3時間も食卓に座って会話をするなんてうんざりするとも言っていた。会食が国民最大のレジャーであるイタリアでそんなことを言うイタリア人を、私は他に知らない。
でも嫌いだからといって料理が下手なわけではない。
アレッサンドラとは1990年代の半ば、個人宅のパーティーで知り合った。それまで外国人や中部や南イタリア出身の知り合いが多かった私にとって最初のミラネーゼの親しい友人になった。
初対面のパーティーでアレッサンドラは「私は絶対結婚なんてしない。何年間も離婚物件扱ったから、綺麗事言っていても二人の関係がどうなっているのかすぐわかるの。この歳で老婆の洞察力がついてしまったわ。」と言い切っていた。当時30代半ばだった彼女の職業は弁護士。初就職の弁護士事務所で離婚物件が多く、カップルの終わりを嫌という程見て、独立してからは離婚は扱わないことにした、と言っていた。
お嬢様育ちで遠出はもちろん、市内でも日没後は誰かが車で迎えにいかなければ出かけない人なので、マイカーを持ったことのない私は他の誰かが車を出してくれない限り夜一緒に出かけられない。会食も嫌いでスポーツもしない、展覧会も興味がないとなると、付き合いは週末の午後のティータイムを一緒したり、長電話でお互いの近況を報告し合うのが主になる。文系出身でも理性的で論理的、早口で頭の回転が早い。こういってはなんだがイタリア人の文系出身の女性には珍しく、どちらかというと理系タイプ。スリムな体型で太れないからスカートが似合わない、というのが悩みなのも羨ましい。
権利意識が強く小さな民事問題を弁護士や裁判所の助力で解決することの多いイタリアで、アレッサンドラは姉の様に頼れる存在で弁護士の親友がいるというのは ー 多分、頼りない伴侶より余程 ー 心強い、と長いイタリア暮らしで何度たのもしく思ったことだろう。
大昔、会食嫌いとは知らずうちのディナーに招いた時、車で送り迎いをした付き添いの男性実業家が「アレッサンドラ、君は料理できるの?」と聞いた。彼女はキッとして「私はなんでもできるの。聞くなら料理をするのが好きか嫌いか聞いてくれない?好きか嫌いかと聞かれたら、嫌い、と答えるわ。」と返事をした。もちろん同席した人の中で彼女の家に食事に招待された経験のある人はいなかった。
そんな彼女の手料理をはじめて食べたのは生家のあるコモ湖畔北部のグラベドーナに夏休み招待され一週間ほど滞在した時だった。
グラベドーナはイタリア北部スイスとの国境に近いコモ湖北部の紀元前から人が住んでいたという小さくて歴史のある町。
西欧の近代文学にも頻繁に登場するコモ湖は独特の魅力があり、中世から壮麗な貴族の大屋敷も多く建てられ、スタンダールやドストエフスキーの小説やエッセイにも「コモ湖畔の邸宅」というのが登場する。今ではハリウッド・スターやロシアの富豪が別荘を持っているのも納得する。伯爵家出身の映画監督ルッキーノ・ヴィスコンティは今はイヴェント会場と見本市会場にもなっている湖南部のヴィッラ・エルバで幼少期、夏を過ごしたのだという。
コモ湖は漢字の「人」の形をした、南北に細長い左右に山の迫った湖で古名をラリオと言う。その魅惑的なイメージとは裏腹に日当たりの悪い町が多いのだが、湖北端近くに位置するグラベドーナは数少ない南向きの湖岸を持つ町だ。
アレッサンドラの実家はそのグラベドーナのお城のすぐ裏にある、とても大きい家族代々の屋敷を3世帯住宅に改装して姉妹で暮らしていた。と言っても、三人中二人にとっては夏休みや連休を過ごすセカンドハウス。
一番上のお姉さんのマリアは昔ブルガリでジュエリーデザイナーをしていただけあってインテリアもモダンで良い趣味の内装。
アレッサンドラの家は家族代々受け継がれたアンティークで埋め尽くされ格調高く上品だけどちょっと息苦しかった。
唯一そこに通年住んでいるのは二番目のお姉さんのリーチャ。そのリーチャの家の一部にある、お祖父さんが作った「アフリカの部屋」が特に印象的だった。
戦前に真珠貝の貿易で長くアフリカに暮らしたお祖父さんは引き揚げてくる時に持ってきた調度品、家具や小物だけでなく窓枠や扉まで、と徹底して「アフリカの部屋」を作り、晩年をその部屋で過ごしたと言う。
一時期はホーム・ミュージアムとして一般公開もしていたほどの濃度。訪問者による盗難が後を絶たず、今では一般公開はやめてしまった。
初めてアレッサンドラのミラノの家に行った時、居間に額装された美しい首飾りに目が留まり質問したら、それがどこのものかを話してくれた時にお祖父さんがマーレ・ダフリカだったと言う話は聞いていた。
Male d’Africa。マーレ・ダフリカ。
直訳すると「アフリカ病」。 言葉の響きは悪い。
アフリカで人生の一部を過ごしたヨーロッパ人がその土地に恋し、自国に戻った後、ノスタルジーに一生苦しむ。それをイタリアではマーレ・ダフリカ「アフリカ病」と呼ぶ。
世界で最も切なくて美しい病気ではないかと、私は思う。
写真は紀元前1-3世紀ごろのアラバスター(柔らかい大理石の一種)の彫像。高貴な人の棺に一緒に入れられたもの。アレッサンドラのお父さんが10体あった彫像を1体300万リラ(現在の約1500ユーロ、当時の貨幣価値で30万円くらいだったはず。)でスイスの古物商に売ったのだそうだ。
その彫像が2007年のニューヨークのサザビーズオークションで121,7万ドルで落札されたもの。オークションにはコレクターとして有名だったお祖父さんの名前も出されていた。
アンティーク家具や調度品で埋め尽くされたちょっと重々しいアレッサンドラの家の中で、唯一明るく息の抜ける空間はキッチン。細長い長辺に窓が幾つもあるので明るい。ご両親の他界後三姉妹で家を分割した時にその区画をもらったのは、そのキッチンでいつも宿題をした思い出があるからだという。
自称料理嫌いの彼女は一週間滞在した私に、いろいろご馳走を作ってくれた。料理嫌いの人の料理は美味しくないのが常だけれど、どれもお料理本のお手本のように美味しかったと記憶している。今思い出そうとして思い出せるのは、ミートボールとトマトのリゾットだけなのだけれど。
明るいキッチンの黄色いテーブルクロスの上でいただいたリゾットの味は今でもよく覚えている。
知り合ってから約25年後、恋人がいるときもいない時も「私は絶対結婚なんてしない。」と言い切っていたアレッサンドラは59歳の時に婚約者ができた。
お相手は男芸者のように気のきく南イタリア出身の警察官。警察と言ってもポリスではなくカラビニエリと呼ばれる国家治安警察隊で、国民から親しまれおちょくられてる存在でもあり、イタリアではカラビニエリに関する笑い話には事欠かない。
イタリアで平の警察官と弁護士のカップルというのは結構不釣り合いな感じもするが、それよりも最大のギャップは、彼は会食が大好きで4時間でも5時間でも家族や友人と食卓で過ごす。しかも週に何回も。さらに食事をしながら食べ物の話をする筋金入りの会食好き。当然彼女もすべてでないにしろ同席する。
それでもうまくいくものなのだなぁ、、、、と。