名付けという願い、名前という呪い
子供の名付けに親は願いを込めると聞きます。“和樹”という名は、“和”を父親から、“樹”は家の裏にたくさん木が生えていたから名付けたそうです。ここにどんな願いを込めているのか私はもはや知ることはできませんが、小学校の先生に「平“和”を“樹”立するじゃない?」と言われたときに、そんなに大きなものを背負わされなくて良かったと思いました。
名前の願いとは、意味が文字から出られないように、強く影響を与えることはないような気がします。よっぽど音の方が、本人を形造っていきます。“和樹”は、“かずき”とひらがなで呼んでくれればいいのに、皆一様に“カズキ”とカタカナで呼びます。名前を呼ばれるたびにKの音が刺さって、私はサボテンのように生きていかなくてはならなくなりました。