本を書きながら気づくこと、思えること
今三冊目の本を書きながら思うこと。
自分は、思っている以上にいろんなことから「逃げて」きたんだなと、思いきり気づかされます。
順調に、2週間ほどで2万字、ざっくりさっくり書き上げたものの。
そこから「仕上げ」の工程に入るとき、「あぁ、これも足りない」「あれも伝えないと…」と、どんどん深みにはまってまいります。(約4万字超)
その「自分と向き合う」過程が、好きでないと、越えられないと本は仕上がらない。
わたし自身のキャリアはまだまだですが、少しだけ場数を踏ませていただいて、あらためて感じています。
***
「楽しい」だけじゃない…
必然的に
「向き合う」ことにもなる本作り。
自分事で恐縮ですが、それでも止められないのはなんでだろうと、自分でもふしぎに思ってしまいます。
それでも、なにかを続ける、続けたいとするときに人は何かがひらいていくのだろうと、信じて
コツコツ、本当にただコツコツ仕上げていっております。
あなたには、止めてもいいのに、むしろ別の道を選んだ方が常識的にはいいかもしれないのに、「止められない」と魂から躍動されるものってあられますか?
もしかしたら、わたしはそれこそがgiftなのかもしれないと…
そういうものに巡り合える、気づけることもまた人生の豊さであり、財産であるとも思えるようになりました。
その答えは、別にどうだっていい。
ただ一瞬一瞬のこころのパッションに素直になって、もっと本能のままで生きてみたい。
それが、自分にとっての本作りであり、書くということ。生きるということ。
もう、どうしようもない生き方を選んで生まれてきたことをある意味諦めて、自分を受け容れながら生きるのもわるくない。
そう思うこと、思えることって、もしかしたら馬鹿なことなのでしょうか…?
変わっているとか、変態と笑われますか……?
でも、そんなことさえどうだっていい。
ただ、自分に正直に生きる
ことだけ、繰り返して生きたい。
流香
(追伸.あなた自身の「夢の核」にも、あらためて繋がってみられませんか?)
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書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
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