書くとき、周りにどう思われるかなんて気にしない2 ~自己表現がニガテなら~
以前、こんな記事を書きました。
そして、ずいぶん日が経っていますが
今もその気持ちは変わっていません。
なぜなら、もし数を気にしたとして、そのひとたちは
もし何かのときには助けてくれたりする人ですか?
きっと、その答えは「そうじゃない」。
だったら、そこを気にして「書くの、どうしようかな…」なんて
躊躇しているヒマはない。
だったら、その分
ほんとうに届けたいとするひと優先に書いて生きていくことは
なんにもおかしな事じゃない。
むしろ、正常。
いのち、もったいないからね♪
でも、もしそれを「え?」と思われるなら、思われたなら
それはそれで大丈夫。
だって、自分の「軸」を生きて 合わないひととは
結局その先交わっていけないんだもの。
そんなふうに、書く時は「自分軸」以外にも
自分なりに「書く軸」だっている。
そんなときは、「言語化力がなくって…」ではなくて
「自己表現がニガテ」の奥にあるもの…
それは、いろんな要因があるけれど、一つは
優先順位がはっきりしていないこと。
つまり
「軸」があるかどうか、なんだと思うのです。
わたしがそうですが、数を追うと人はカンタンにぶれます。
でも、わたしには明確な「軸」がある。
ほんとうに大切なものだったり、コトだったりご縁は
いつも見失わないように書いてきたつもりです。
***
“一人ひとりの”幸せ作家。
いま、この名前が自分で大好きなのですが。
“一人ひとり”のあり方から、何かが広がっていくことが
わたしの場合は好みなのですが、
正直、書くときに「正解」なんてないし、それこそ人の数だけ
価値観があって「軸」があるもの。
そうすると、ちゃんと見えてくるものがあるから…
そうして、何度でも“自分”と手を結びあって生きていく♪
そんな生き方が、わたしの場合は大好きです。
「正解」のない、そして「保証」もなにもない世界を生きるには
ときに勇気だっているはず。
でも、そのたびに還ってこられる場所を自分の中にもてたなら…
人は、きっと何度だって立ち上がっていけるはず。
ときどき振り返ったり、感じてみたりもして。
「自己表現がニガテ」になるときほど、
“優先順位”を洗い出してみられると、いいのかなと思います。
どんなときも、“究極の一人”がいてくださったなら
乗り越えられることもきっとある。
だからそう、その“一人ひとり”の力をどうか忘れないで…
いちばん大切にしたいひと(人たち)に軸をおいて、ときには
「書くとき、まわりにどう思われるかなんて気にしない」
で一度書かれてみてくださいね。
きっと、驚く自分の「軸」にも出逢えるはず…♪
そして、そうして書き(生き)つづける中で。
そのとき「最後に頼れるのは何なのか?」
も感じてみられるのも、いいかもしれません。
きっと、もの凄く大切な答えが「これだ!」と出てこられるはずですよ♪
ここから先は
書く軸を定める文薬-ふみぐすり-(読むセッション)
書く軸を定めていきたい時の「読むセッション」です。 読むと、自然と「真ん中」に還っていける… 日々のプロセスから生まれる、飾らないことば…
ご厚意に感謝いたします!