【格言】常識なきを恐れず、学識なきを憂れうと森鴎外は言うけれど…
森鴎外は、常識なきを恐れず、
学識なきを憂えると言った。
と、文学評論家でエッセイストの
吉田健一さんは書いています。
『わが人生処方』(中公文庫)
これだけなら、あるあるかも
しれないのですが、
吉田健一はさらにこう続けます。
「『知恵袋』などというものを書いた
鴎外は常識があり過ぎたので、
かえってこういうことを言った
のかもしれない」。
森鴎外は陸軍医のトップにまで
登り詰めた陸軍省の官僚でもありました。
相当に世間知にも長けてたでしょう。
学識があったのは勿論ですが、
こう並べて「常識」を非難する
くらいだから、世間知が跋扈する
官僚暮らしに辟易していた
のかもしれませんね。
ふと思うんですが、
夏目漱石ならこうは言わないし、
これとは反対に、
「学識なきをおそれず、
常識なきを憂れう」と言ったかも
しれません。
夏目漱石は、せっかく
ラフカディオ・ハーンを
退任させてまで就いた
東大英文学教授のポストをやめ、
朝日新聞社に雇われ、
ほぼ自宅にひきこもりの執筆生活。
木曜日に師弟が集まる木曜会が
人間関係の基礎になってたでしょう。
基本的には、世間から離れ、
学識ばかり蓄えている自分を
憂いていたにちがいない…。
言葉と、
それを言ったパーソナリティは
案外、正反対だったりする
のではないでしょうか?
格言はまるで自分に言い聞かせる
ために言ってるかのような…。
これは自分や身の回りの人からも
感じてしまいます。
ふだんから孤独な人は
「孤独は大事だ」なんて
改めていいませんが、
あまり孤独ではない人ほど、
自分に言い聞かせるように
「孤独は大事だ」と口にします。
こうしたことを考えると
言葉を単独に受け取るのでなく、
書いた人、言った人の
パーソナリティを探った上で
その人がなぜその言葉を
表に出したか?を考えることが
非常に重要に感じます。
言葉は単独にあらず、
あくまで心の氷山の一角。
その背景を想像することが
欠かせないのでは?
そんなことを思いたくなりますが、
たくさん読んだり聞いたりしても、
正直、その言葉や情報の
背景にまで心馳せてない自分を
今はよく発見してしまいます。
もう少し余裕が必要ですね。