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「新・小説のふるさと」撮影ノートより『曼荼羅道』について思ったこと。
霊峰立山を舞台に、薬売りという日本国のみならず世界を旅して生活の糧を稼いだバイタリティ溢れる男とマラヤの女、そして現代の男女を軸にこの怪奇な物語は展開してゆくのだが、その年ちょうどある儀式が復活していた。
布橋灌頂会である。
立山信仰において女人禁制による女性を救うためにうまれたこの灌頂会は
堂川にかかる布橋を目隠しをして渡り、黄泉の国に降り立ち、うば堂で念仏を唱えまた橋を渡り戻れば死後、極楽浄
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『センセイの鞄』について思ったこと。
夢の中のツキコが惑う不思議な干潟は見つけられないから、せめて子供の頃のおぼろげな潮干狩りの記憶の破片を拾おうと君津、袖ケ浦、木更津を貫流して東京湾にそそぐ小櫃川の河口に広がる盤津干潟に行った。
アクアラインで木更津に着いた頃は日暮れて、木更津港に浮かぶ中之島へつながる大橋は天空に突きだしていた。そのスロープを辿ると港は唐紅色に染まってしみじみと寂しかった。工場地帯の風景からはのどかな干潟など
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『天安門』について思ったこと。
しばらくぶりに『天安門』を読み返しておどろいたのは、自分が覚えていた構成とだいぶ違っていたことだ。この小説世界へのアプローチは空港からのバスの場面だろう。
夜、まったく慣れない都市にたどり着いて今晩のホテルに無事たどるつけるかわからない。親切な人はだれもいない。言葉も通じているのかあやしい。そしてバスは暗い高速道路を疾走してゆく。目指す北京飯店のネオンが見えたが、バスは止まる気配はなくどんど
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『花腐し』について思ったこと。
男の小説だなぁ、というのが最初の印象だった。
男の悔悟、そのあきらめ、どうとでもなれという気分。久しぶりに壊れ行く男のいい気な甘えを見たとおもった。男の小説を読んだのも久しぶりだった。クッツェーの『恥辱』以来かもしれなかった。
そのころ僕はちょうど「松岡正剛の書棚」という写真展を表参道で行っていた。最終日の前日、その地震が来た。幸い地下の画廊には影響がなかったが、最終日には撤収に行けずに一日
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『タイムスリップ・コンビナート』について思ったこと。
〇某月某日
午前四時、車で神奈川県横浜市鶴見区末広町二丁目の浅野駅に向かう。本来なら川崎駅から乗って行くべきなのだろうが、満員電車を少しでも避けたいという軟弱な気持ちが働いたのだった。浅野で鶴見線は二股に分かれる。そしてそこから海へ向かう電車に乗った。新芝浦を過ぎるとあきらかに突堤へ向かうような細い海沿いのレールの上を電車は走った。冬の朝日が角度低く車内を強いコントラストで照らした。個性の少ない
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『燃え上がる緑の木』について思ったこと。
小説にゆかりの場所へと旅をつづけると、小説世界が投影された現実に、小説の外構とでもいおうか、露地とでもいおうか、その小説世界へのアプローチを強く感じる時がある。それは『奇跡』では熊野川の鉄橋であったし『海辺のカフカ』では深夜バスがひた走る明け方、のぼる朝日を凝視した高速道路であったりした。そして物語への境界がどこかにあるとすれば、この犬寄トンネルもその一つに違いない。
松山空港から車を借り出し
最終日。ミニマルな展示と垣根の低さのお話。
「新・小説のふるさと」展では、いろいろな方からご感想をいただきありがとうございました。その中でも多くの方が展示の仕方が良かったと言ってくださりました。
今回このテーマでの展示を考えた時に最初に思い浮かんだのが標本箱でした。大きめの標本箱にそれぞれの小説の写真をピンで留めて、一つの箱が一つの小説をあらわすかのような展示です。しかし大型の標本箱の値段のことやガラス面が封印されたかのような印象を与え
温又柔さんとはなしたこと。写真展「新・小説のふるさと」で。
「新・小説のふるさと」では温又柔さんの『来福の家』から「好去好来歌」をとりあげさせていただいた。ギャラリーで久しぶりにいろいろお話をした。
やはり小説の話になってゆく。「物語る」ということに。物語は常に強い磁力を発揮していて読み手はその世界に取り込まれてしまう。時には著者自身も取り込まれてしまうことや、因果律としての物語、口当たりの良い物語。逆に序破急の「破」ばかりやってしまうことなどなど。そ
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『佃島ふたり書房』について思ったこと。
本や書棚を撮り始めてもう6,7年になる。「もの」としての本をますます意識するようになる。ヘンリー・ペトロスキーの『本棚の歴史』からは多くのヒントをもらった。例えば、背表紙はなぜ「背」表紙なのか、巻物からコデックスそして現代の本の形への変遷、そして本はある時期中身だけ売られ、表紙、裏表紙はお金をかけて作ったということなどなど。中野三敏の『和本のすすめ』からは印象的なフレーズが頭にのこっている。実際
もっとみる写真家の林義勝さんとお話したこと。
写真家の林義勝さんが写真展にいらした。
林さんは、伝統芸能や文学・風土といった時の記憶を確かな構図と美しい色使いで活写される日本を代表する写真家で、また林忠彦氏のご子息。
「新・小説のふるさと」はもちろん林忠彦氏の『小説のふるさと』に多大な影響を受けていることは言うまでもないし、実際、尊敬をこめてタイトルに『小説のふるさと』のお名前を戴いた連載だったわけで、この日ようやく林義勝さんにお会い出
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『奇蹟』について思ったこと。
伊半島豪雨(平成23年9月初旬)のすぐあと、名古屋でようやく特急の切符を手に入れて新宮へ向かった。駅に着く少し前に列車は熊野川を渡る。かつて筏師(いかだし)が運んできた杉や檜が川面を覆っていた河口は雨が運び来た土で赤茶色に染まっていた。中本の「高貴にして澱んだ」血はこういう色だろうか。この川にかかる巨大な鉄橋を渡って中上健次の世界に足をふみいれた。
翌日も雨が降っていた。新宮図書館の三階に設け
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『赤目四十八瀧心中未遂』について思ったこと。というよりはちょっと場所の解説
赤目四十八瀧は名張川にそそぐ宇陀川の支流、滝川の上流部にある。厳めしい名前に深山幽谷を想像するが、滝を巡る約4キロの道のりは遊歩道が整備され関西、中京の小学生たちも遠足で訪れる場所だ。景観は目くるめく変化し高低差はあるがどんどん歩いて行ける。近鉄赤目口からバスで20分。渓谷の入り口、オオサンショウウオセンターから生島とアヤちゃんが辿った道を行った。
四十八とはその多さを示すが実際には二十ほどの
「新・小説のふるさと」撮影ノートより『ミーナの行進』について思ったこと。
とても緻密な小説だと感じていた。
毎日の生活がエピソードの中に埋没する朗らかなたのしさ。逆にその緻密な世界が楽しすぎて、いざ小説の場所にゆくと何を撮っていいのかわからなかった。芦屋を往還すること数回、ようやく朋子の視点でこの町を歩けばいいのだと思った。
アンリ・シャルパンティエでクレープ・シュゼットを食べて、乳ボーロにフレッシー(プラッシー)。寒空の下、真っ青な空を見上げて開森橋のバス停か