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「ロック」が音楽の何を変えたのか、だんだん分かってきた。

「良い音楽は問答無用に伝わる」「音楽に国境は無い」といったスローガンや、音楽に対して過度に非科学的・霊的なパワーを見出すということについては僕は慎重になりたいと考えていて、同じ理由から歴史上で特定の偉人を無条件に神格化するような態度も、出来れば距離を取りたいと僕は思っています。

クラシックだとバッハベートーヴェン。ジャズだとチャーリー・パーカーマイルス・デイヴィス。ロックだとエルヴィス・プレスリービートルズ。ソウル・ファンクだとレイ・チャールズジェイムズ・ブラウン。ヒップホップ・ネオソウルだとディアンジェロエミネムなどでしょうか。

彼らを過度にリスペクトする風潮に対して僕は斜に構えているものの、ただやはりこうして名前が残っているということは(政治的・人為的な理由も含めて)取り上げられるべき「何か」があり、それによって社会に何かしらの影響があったということも事実であり、それは無視するのではなく、せめて「世間の常識」として俯瞰では知っておきながら慎重に検討していきたい、という気持ちで、これまで音楽史を調べてきました。

この作業を通じて僕が特に問題視してきたのが、クラシック史の主流の史観が「19世紀のドイツ人の視点」に寄り過ぎているということと、ポピュラー音楽史を標榜する主流の史観が実質「ロック史」のみに寄り過ぎているということ、そしてそれ以外の分野については、閉じられた世界で独自の系譜・史観を形成していて表になかなか出てこれないということです。それらを接続していくことで「音楽ジャンルの分断」について考えていきたい、というのが僕の目標でした。

(記事リンク)
●クラシック史とポピュラー史をひとつにまとめた図解年表(PDFあり)
●メタ音楽史(クラシック史+ポピュラー史 )記事一覧

そして、前回の記事(【音楽史】「西洋音楽と黒人音楽の融合」って一体どういうこと? 民族舞踏を起点に綴りなおす、クラシックとポピュラーの関係) では、クラシックの正史からもポピュラーの正史からも除外されてしまった「クラシックからポピュラー音楽へゆるやかに変化する系譜」の存在を指摘し、そこに焦点を当てて、オペレッタやポルカなどのクラシック音楽的な社交音楽から派生してラテン音楽やジャズ史を通過しロックンロールの誕生までをひとつなぎに記述してみるということにチャレンジしてみたのです。



この系譜は主に19世紀後半~20世紀前半が舞台であり、この時代はクラシック全盛期でありながらポピュラー音楽の成長期でもあります。

そして、この時代の音楽受容のされかたや感覚、空気感を詳しく掴んでいくことによって、対比的に20世紀後半(=ロック時代)との違いやその特徴が正確に見えてくるような気がしたので、今回はそのことについて書いていきます。


まず、この時期(20世紀前半)の各音楽の立ち位置をざっくりととらえると、学術的に"最先端の音楽"を更新していく使命を負った「西洋芸術音楽ガチ勢」は、音楽理論的に難解な無調音楽へと突っ走っていったため、ひとりでにアングラ化していってしまいましたが、一般的な中流階級の聴衆にとっては、難化する前の段階からそのまま続くオペラやオペレッタの名曲や社交ダンスの音楽、流行歌などを消費していたと言えるでしょう。特にドイツでは芸術音楽と大衆音楽の間に厳格な線を引く差別的な二分法が顕著でしたが、フランスやイタリアではシャンソンカンツォーネなど、クラシックの系譜にある大衆歌謡も大いに発達していました。

中南米諸国で発生したラテン音楽、ハバネラ、タンゴ、ソン(ダンソン)、ショーロ、サンバなどは、リズムの面でアフリカの打楽器音楽の影響がありながら、メロディーやハーモニーの面では西洋クラシックの社交音楽、ポルカやワルツなどが引き継がれたのでした。

さらに、黒人奴隷の労働歌などをルーツとしてアメリカ南部で発生していたブルースやジャズなどは、現在「ホンモノ」とされる農村部で荒々しく演奏されていた音楽については当時の白人たちにとって「よくわからない怪しい音楽」という立ち位置だったものの、それらを西洋音楽的に取り入れた「シティブルース」やジャズ・エイジの「ジャズ」などは西洋音楽的に整理されたティン・パン・アレーの流行歌の一種として、ミュージカルなどとともに、都会的なイメージで広まっていました。

この構図こそが、そしてこの「都会的」というイメージと実際の音楽との結びつきが、注目すべきポイントだと思うのです。

当時の「洗練された都市の流行音楽」という立ち位置にあった音楽を現在の我々が聴くと、「時代を感じる、やや古臭い演歌のような音楽」というイメージを受けないでしょうか?

逆に、当時の「農村部の怪しい音楽」という立ち位置にあった音楽を現在の我々が聴くと、むしろこちらのほうが「クールでカッコイイ」というイメージを受けないでしょうか?


つまり、当時の受容と現在の感覚に逆転現象が起こっているのです。

当時、オーケストラやホーンなどのアンサンブルで整えられたものが「都会的で洗練された音楽」、ギターを使った荒々しいものが「農村部の怪しい音楽」という構図だったのが、いつの間にやら、オーケストレーションされたほうが「田舎臭く」、荒々しいギターのほうが「洗練されている」というイメージに塗り替わっていったのです。

この価値観の転倒を巻き起こしたのが、「ロック」なのだと言えるのではないでしょうか。

音楽史を「奴隷の境遇や魂が・・・」といった精神論のみに帰結させたくない僕の立場としては、「ロック」の浸透の直接的な要因は、エレキベースとエレキギターの登場による楽器の大音量化、バンドの少人数化だと考えています。そして、それこそがギターという楽器の地位向上と価値観の転換をも巻き起こしたのだと推察します。

50年代のロックンロールの登場以降も、それ以前のティン・パン・アレーの系譜にある西洋アンサンブル的な「ポップス」は継続してヒット曲を生み出していました。ミュージカルといったエンターテイメントショーも好調だったはずです。しかし、それらはロックンロールを前にして最先端の若者には響かず、音楽に世代間の分断が発生してしまいました。そしてその流れを受け、ロックンロールブームが収束した後は、音楽業界は若者を対象とした「ティーンポップ」を生産し、それらが流行したのですが、ロック史の立場としてはロックンロールとビートルズの間に挟まれた「暗黒期」として目の敵にされています。

60年代、ビートルズをはじめとした当時のロックバンドらは、都市で流行したアンサンブル的なシティブルースではなく、本場でのギターをかき鳴らす荒々しいルーツミュージックを模範としてロックを発展させていきました。そのため、この視点を中心に据えたロック史では、西洋音楽的要素は徹底的に糾弾され、「土臭い黒人らしさ」がクールである、という表象を浸透させていったのだと考えられるのです。


しかし、60年代後半に再びこの境界線が揺らぎ始めます。マルチトラックレコーダーが登場し多重録音が可能になったため、オーケストラを含めて様々なサウンドがバンドサウンドに重ねられるようになったからです。ビーチボーイズの「ペット・サウンズ」をきっかけに、後期ビートルズのアルバムで特にこの兆候が見られます。

「アンサンブル的な古い商業音楽」から脱却し、ギターを中心とした荒々しいカッコよさを提示した「ロックバンド」が、再びシンフォニックなサウンドに寄ってしまったことについて、これを正当化し説明を可能にしたのが、「コンセプトアルバムの発明」という功績と、「サイケデリック・ロック」というドラッグカルチャーからのアプローチでの評価だったのではないでしょうか。

これによって、特に当時ロックや芸術の価値とされた「反権力」的なサブカルチャーの性質を失うことなく、むしろ強化されることになり、矛盾も抱えながら20世紀後半の歪な「ロック史」というものが隆盛を迎えていったのだと考えられます。


いかがでしょうか。あくまでも歴史に「正解」など無く、一個人による一視点の提示・提案ということでお読みくだされば幸いです。

ただ、なぜ既存のロック史の「外側」をこれほど重要視するかと言うと、日本の音楽史での流行歌などを考えていく上で、絶対に避けられない分野になってくると考えているからです。世界だけでなく日本の音楽史に興味のある方もたくさんいらっしゃると思いますが、ここに書いてきたような視点も念頭に置きながら調べてみると腑に落ちる部分がたくさんあると思います。参考にしていただければ幸いです。

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