わたしの膠原病記ーー痛みの不思議とつきあう
なんとなくで「わたしの膠原病記」としたものの、あとからかんがえたら、大仰なタイトルな気もして、少し恥ずかしくなった。
その恥ずかしさは、多分、自分自身とのアイデンティティーのズレからきてると思う。
自分のアイデンティティーってなんだろうってもう一度考えた。
そのことについてはまた、今度書こうと思っています。
とりあえず、今日は当初からこれを書こうと思っていた目的であるところの、痛みの不思議について書きます。
ちなみに今現在、背面痛はマシにはなってきたものの、今度は右手首が腱鞘炎症状になってるので、音声入力と保存しておいた文章とを合成して、今日は書いてみます。
痛みの不思議
どうしても消し去れない痛み。
西洋医学ではどうにもならないこともある。
そんなとき、どうすればいい。
わたしが痛みをいなすためにやってみたことは、こんな感じです。
アロマセラピー(香り系)
音楽
呼吸
瞑想
落語
アロマセラピー
アロマセラピーをしっかり勉強している人やプロの方もいるので、そういう方にアドバイス貰ってもいいとは思う。
だけど、とりあえず自己流でも結構OK。
本を何冊か持っておいて、あとはネットで調べて、自分の好きな香りや、自分の病に効きそうなアロマ精油のボトルをいくつか持っている。(ただアロマでも、なかには禁忌もあるので要注意)。
そして、なんとなく焚いてみる。
アロマディフューザーを使ったり、ティッシュに数滴垂らしてもいい。
これが、本当につらい時には、結構身も心もゆるませてくれる。
痛みが10段階の8だったら、その痛みの8が少しだけ後ろの背景に退き、やさしい香りが私の近くにきて寄り添ってくれるようなイメージ。
アロマで痛みが消えるわけではないのだけど、
香りがあると、なにかが和らぎ、まぎれるから、楽になるという不思議さ。
本に書いてある効能だけで選ばずに、いくつか嗅いでみて、その時の自分が心地よく感じる香りを選ぶことにしている。
香りの場合、布団に横たわっていても、できる気分転換ってのもいい。
アロマオイルがなかったら、好きなコロンや香水でもいい。横たわる時に、ふわっと香らせてみると、気分が変わる。
音楽
こちらも人それぞれお好みなのですが、やはり心地よく感じる音楽を聴く。
ボーカルが入っているものは、自分を励ましたいときや、逆に感傷に浸りたいときに聴くと、その世界に入れる。結果、痛みに引きずられているメンタルのケアになる。
私の場合、痛みがひどかったり、症状が悪い時は、激しいアップテンポの曲は無意識に避けている。
ロックが好きだけど、そんな時は、やっぱり聞かない。
なんだろう、ロックの叫び声とかガガガとかが、いつもより気分じゃない感じ。
やはりyoutubeでヒーリングミュージックや、〇〇Hrzと書かれた波長が良いとされる音楽を聴いたりする。
症状別に効果ありとされる音楽も公開されているから、これも試してみる。
モーツァルトが、病を持った人に効果があるというのは、有名な話で、
健康な人よりも病を持ってる人の方がより効果的らしい。
研究されてる人もいるので、読んでみたりして、
モーツァルトもときどき聴く。
好きなハープとフルートのとか。
バッハも好き。
痛み緩和というよりも、平常心や癒しをもたらしてくれる。まあ、でも症状重い時は、ちょっと重ためと感じる場合もあるかも。
眠れない夜の場合は、静かめの音楽で、せせらぎや波の音、雨の音、焚火の音とコラボしたものなど、自然音が入っているのもいい。
メロディーがはっきりしてなくて、そのまま眠れるモードに誘ってくれそうなものを、小さめの音でかける。
すると、ウトウトと眠っているときもある。
呼吸
これは痛み逃しといっても過言ではない。
横たわっていても、もう、どうやっても痛いとき。
呼吸に意識をむける。
ゆっくり4秒吸い込む。
7秒止める。
ゆっくりと8秒で吐く。
どこかの雑誌記事で知った呼吸法だけど、アンドルー・ワイル博士が提唱している呼吸法のリズムとのこと。これが、結構いい。
呼吸に意識を集中すると、なんとなく痛みがゆるむ。
これは骨折したときに気づいた方法。
ジンジンジンジン痛いのが、ジンジンくらいに感じられる。
(胸周りが痛ければ、呼吸も痛くて、浅いかもしれない。
そのときは無理しない。)
瞑想
上に書いた様々な工夫を試しても、無理だなあと諦めそうになったら、
痛みをそのままにしよう……と私の場合はなる。
諦めというのだろうか。
痛みをそのまま経過させるしかないだろうって感じ。
台風みたいなものだ。
ただ通り過ぎるのを、待つしかないのだと。
痛いけどね、と。
痛みがそのまま通り過ぎるのを待ちつつ、
ふと思い立ち、今回は、瞑想の音源をかけてみた。
それもアファメーション入りのものはどうかと思い、藁をもつかむ思いで、深夜にかけた。
マントラみたいに、誰かがポジティブな言葉をずっと話しかけてくれるなら、意識がそちらに向く気がした。
引き寄せの法則とか、スピリチュアルとか、
信じようが信じまいが、とにかく、
この優しい女の人の声で、ポジティブな言葉だけを語り掛けてもらいながら、横たわっておく。
今回の背中の関節炎では、この音源にかなり助けられた。
激痛で輾転反側していた夜、知らぬ間に寝落ちしていた。
場合によっては、マインドフルネス瞑想とか、自分に合う動画や音源がもっとあるかもしれないので、いろいろ試してみるといいかも。
肉体の痛みを瞑想で乗り越えようなんて、もはや悟りの境地?!。
いや、それくらい痛みってのは人を必死にさせるものなのだなと。
落語
あとはもう眠れない夜は、今回はyoutubeで落語を聴いたりしてみました。
現代落語より、古典落語がいい気がした。
ワハハ笑ってしまうものより、プッと笑ってしまうような感じので、
おじいさんの声が活舌いいんだか悪いんだか、聞き取りにくいような、落ち着いた声で話してると、意識がその波に乗っていく。
そして聴くのに飽きたら、寝るといった感じ。
笑うと免疫力が上がるってのも、有名な話。
痛みについてはどれぐらい効果があるかわからない。
けれども、まだ笑える余裕がある事は、まだまだ大丈夫なのかなぁって思ったりもできた。
やぶれかぶれのお笑いかもしれないけど、
いつもの痛みがないときの自分の笑いに近い状態にそのうちなっていけるような気がした。
まとめ
今回の経験で改めて思った。
痛みというものは、意識をむけると、それに比例して輪郭がくっきりする。感じ方も、強くなる。
逆に、意識を向けないと、痛みは存在感が弱くなる。
すると、痛みを感じづらくなる=楽になる。
痛みを完全に0にすることができないとしても、
意識の向け方や工夫で、楽にしたり、小さくすることはできるのではないか。
そんなふうに思い、この頃、いろいろ自分の身体で実験している。
帯状疱疹後神経痛でお世話になってるペインクリニックの先生が言うには、「楽しいこと、夢中になること、趣味でもやってくださいね」と。
やはり、痛みと別のところに気持ちがいってると、痛みが感じにくくなるのだそうです。
痛みって不思議ですよ〜って。
痛みの感じ方は人それぞれで、消えない痛みのために、不眠症・食欲も無くなり、大変つらい人もいると。
そもそも慢性病を持っているということが、
病と共に生きていくということ。
病の中身もそれぞれで、痛みや症状があまりなくて進む場合もあれば、
痛みや症状があるものもあって、
もし痛みが常にあるのならば、痛みと共に生きていく、と同じことになる。
そんなふうに考えたら、
確かにメンタルに来る人もいるし、
人生や未来に、希望を持てないようになる人もいるだろう。
どうせなら楽にゆるゆると生きていきたいし、
どうにか付き合って生きていくしかないのかなあって、
私の場合は思ったりする。
(そんな風に思えないくらい酷い痛みの人には、
こんなこと甘いって感じられるかもしれない。
そしたら、ごめんなさい。
痛みは、その人唯一無二のもの。
その人にしか、わからないもの。
だから、全て同じように語るのはできない。
わたし個人の場合は、こんなもんだと思って、読んでみてください。)
できることとできないことと、症状や年齢によって変わっていくのかもしれないけれど、
そのできる範囲の中で、
自分ができることを、
なるべく自分にとって良い方法で、
心地よく生きられたらなぁと思ったりする。
痛みを敵だと思うだけで、
すでにもう痛みとの戦いが始まっていて、
自分もより辛くなるし、
痛みもひどくなる気がする。
この不思議な友達をそばに置きながら、
私は自分の心地よさや楽しさを追求して、
自分の心や体に良いことを選んでいく。
そんな風に詩人みたいに考えてみた。
痛みとダンスと踊る。
とまではいかないけれども、
知らぬ間に家族になってしまった、この不思議な妖精みたいな友達を、
とりあえずそこに置いておこうと、今は思っている。
ちなみに、
痛みがダンス相手だとしたら、
ワルツかな思った。
なぜなら、
同じリズムだけど、
曲調が盛り上がったり、静かになったり、
緩急があるから。
スピードが早くてメロディーが盛り上がってる時は、痛みは強くて、
次第にゆるゆると静かになっていくときは、
痛みは弱まってる状態。
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