15年間の柔道生活と、最高な大学生活を振り返って
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大学で所属している柔道部後援会、
卒業生挨拶で掲載させて頂いた記事です。
「脳筋って、どんな人生を歩んできたの?」
「人を笑わせる、自分語りの方法を知りたい!」
「面白い自虐の方法を知りたい!」
↑ こんな人にお勧めの記事です(^^)
では、本題へ入りたいと思います!
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個人情報などの、
伏せたい部分には〇を利用しています。
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アンダーウェア、スパッツ、道着・帯の刺繡、すべて赤。そんな「自己主張の塊」の○○です。僕は4回生のため、今年の7月で「学生柔道」が終わりました。なので、この場を借りて、僕の15年間の柔道生活を振り返らせて頂きます。
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僕は小学二年から柔道を始めました。柔道を始めたきっかけ。それはポケモンの「ジュカイン」です。僕は母親に連れられ、町道場へ柔道の見学に行きました。この時、僕は母親の目を盗んで、家からゲームボーイを持ち出すことに成功。そして柔道を見学せずに、終始ポケモンゲームをし、「ジュピトル」を「ジュカイン」に進化させました。めちゃくちゃうれしかったなぁ。練習が終わり、家に帰ると、そこには激おこの母親。「なんで、あんなところまで行って、ゲームをするの!」めちゃくちゃ怒られました。おかん、すまん。こんな感じで、僕の柔道生活が始まりました。
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小学校低学年の頃は、なんとなーく柔道をしていました。勝ったらうれしいし、負けたら悔しい。しかし負けて悔しいからといって、特に何もしない。ただ悔しがる。そんな感じでした。
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僕の町道場には「しごき」という、伝統的な練習法があります。「しごき」とは、小学校高学年の選手が、大きな先生と何本も何本も乱取りをする。そしてボコボコにされる。もし立てなかったら、引きずり回される、蹴られる。そんな練習。僕はこの「しごき」によって、柔道が大嫌いになりました。言い忘れていましたが、「しごき」では、好きな技を掛けることは出来ません。僕が許されていた技はたった2つ。「大内刈り→大外刈り」。つまり、何十分も自分が投げることが出来ないだろう相手に、「大内刈り→大外刈り」をかけ続ける。それが僕にとっての「しごき」でした。本当に練習が嫌で嫌で、仕方がありませんでした。※あまりにも練習がきつかったので、ここで僕は「わざとゲボを出す」という必殺技を覚えた。これは大学の飲み会にて、大いに役立っている。
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・乱取り
試合形式の練習
スパークリング的な
・大内刈り→大外刈り
脳筋Doの得意技
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なんとか町道場を卒部し、中学校に入学。そこで僕は…グレました。気に食わない同級生を柔道技で投げてみたり、板の間で父親を裏投げで投げてみたり(この後、ガチギレした母親にフライパンで殴られて指を骨折)、テストでカンニングがバレて0点になってみたり(人生初の五厘になりました)、若い新任教師をいじめてみたり。他にもたくさんの悪さをしました。そして自分で悪さをする度に、家に電話がかかり、両親が学校に呼びだされ、先生に謝る。学校の先生、両親には申し訳ないことをしたなと深く反省しています。そんな中、勉強と柔道だけには真面目に取り組みました。その結果、一度だけではありますが県チャンピオンになることができ、また地元から少し離れた、県内有数の進学校に進学することが出来ました。
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・裏投げ
ほぼバックドロップ
柔道で最も危険といわれている技
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そして僕は高校で、更生しました。やさぐれるのではなく、目の前のことを本気で頑張る楽しさ。尖らず、周りの友達と協調する大切さ。他人の目を気にせずに、自分の好きなことをする大切さ。こんなことを学びました。うん、すべて当たり前だ。また中学同様、高校でも勉強と柔道を本気で取り組みました。その結果、○○大学に入学。また中学校からの目標だった、「全国大会出場」を達成しました(全国大会では1回戦で片手内股により秒殺を食らった)。
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・内股
柔道で最も人気のある技の1つ
シドニーオリンピック金メダリストの
井上康生選手の得意技
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最後に大学。ここで僕は「まともな人間」に転生しました。入学したての僕は、新幹線の乗り方も分からない、ネクタイも自分で結べない、家のワイハイも繋げることも出来ない。そんなクソ人間でした(ネクタイはB先輩、ワイハイはH先輩が手伝ってくれたことを覚えています)。ここで僕をまともな人間に転生させてくれた存在。それが○○大学柔道部です。柔道ももちろんですが、特に私生活の面でたくさんの勉強をさせて頂きました。また大学2年から3年にかけて、主将という役職を務めさせて頂きました。これも本当に勉強になった。話し合いの大切さ、ある程度は適当に仕事をする大切さ、人に気持ちよく仕事をしてもらう方法。これら以外にも、たくさんのことを学びました。
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僕たちの代は、コロナウイルスの影響により、試合をせずに引退が決まった。正直、めちゃくちゃ悔しい。勝っても負けても、最後にみんなで並んで団体戦に出たかった。しかし、何を言ったって、過ぎさった過去は変わりません。なので、これからはコロナウイルスの不平は言わないようにします。
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僕は来年から、○○大学の大学院に進学します。そのため、あと3年間は岡山で生活することが出来ます(今のところ一年間、休学する予定です)。先述のように、僕はたくさんの人に迷惑を掛けながら生きてきました。またこの大学生活では、○○大学柔道部のOBの皆さん、師範、監督、先輩、同期、後輩にたくさんの迷惑を掛け、たくさんのことを勉強させて頂きました。
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自分で言うのも何なんですが、僕は柔道が強いです。またそれ以上に、柔道を教えることが上手な自信もあります。なので、今後は○○大学柔道部に恩返しが出来るよう、定期的に練習に参加し、自分も本気で柔道を行いながら、後輩の指導出来たらなと思います。
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また僕は大学生活において、柔道以外にも、たくさんことにチャレンジし、たくさん失敗をしてきました。酔っぱらって〇大のプールで全裸で泳いでみたり(本当にごめんなさい)、両親のお小遣の入った財布を無くしてみたり(本当にごめんなさい)、合計3人の彼女に振られてみたり、必修の授業に一回も行かずに留年をほぼ確定させてみたり(みんなに謝り倒したら単位がもらえた)、青森の北端でド派手な交通事故をしてみたり。他にもたくさんの失敗をしました。しかし、僕はこの大学生活に一片の悔いはない。むしろ、毎日が刺激的で、楽しすぎて、幸せすぎて、死にそうでした。
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僕は人生で最も大切なものは、お金でも地位でもなく、「幸せ」だと考えています。そして、僕は今、胸を張って「最高に幸せだ!」と断言することが出来ます。しかし、僕は昔からこんな幸福人間であった訳ではありません。たくさんのことにチャレンジし、失敗し、深くまで考え、試行錯誤した結果、今の「自分」に辿り着くことが出来たのです。なので、今後は、インターネット上には乗っていない、自分の経験から得た経験・知識を、人生の先輩として、柔道部の後輩にも教えてあげたいなと考えています。
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最後にはなりましたが、~の皆さん、4年間本当にお世話になりました。今後もよろしくお願いします。
(終わり)
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