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「重ねる」にみる日本文化の様式美とその精神。時を重ね、陰翳を重ねる

 
 これまで私は、日本人の、包む、巻く、結ぶといった所作にみられる、日本文化とその精神について紹介してきた(下記関連記事参照)。その象徴としての食べ物として、「おむすび(お結び)」を取り上げさせてもらった。

「命の根」である稲で作られたお米、そのお米は、八方に広がるエネルギーの源。そのお米で包むものが、梅(生む、産むの生命力の象徴)であり、そこに海苔を巻く。それが、「おむすび」とよばれる。

 記事の反応がよく、読んでくれた友人からも、『一年かけてコメを育てるという努力が、収穫の時を迎え「実を結ぶ」。努力という細長いものを紐のように結ぶと丸っこい「結び目」ができる。それは果実のようでもある。「おむすび」というのはそこにさまざまな絵面が浮かぶ呼称である』といった、素敵な感想を頂いた。

 noteの読者からも『「着物」もそうですよね、着物は「布で体を包み、帯を巻き、結ぶ」ものである』というご指摘を頂いた。言われてみて、はっとなる。着物もまた、日本の文化を象徴するものである。

 この着物は、さらに「重ねる」という概念につながっていくことであろう。平安貴族の象徴でもある十二単にみられるように、何枚もの着物を重ねて着ることで、表地と裏地の色の組み合わせで移りゆく季節の草花を表現するのだそうだ。

『十二単』の美しさは 『かさねの色』にあります。
一つ一つのかさねの色には自然の草花『梅・桜など』や自然の現象『雪・氷・枯れ野など』の名前が付けられているのは 日本独自の文化であり いかに日本人が自然と共に生きてきたかの証でしょう。

有職文化研究所」HPより

 色を「重ねる」ことで、配色美をあらわす「かさねの色」は、世界最古の配色マニュアルと言われるようだが、これらは四季の草花を表現したものであり、徹底した「自然」の研究、「自然」への愛、一体感への想いからきているのだろう。十二単は貴族文化の象徴ではあるが、その伝統と色彩感覚は、能、狂言、雅楽、日本舞踊、歌舞伎といった他の伝統文化や、宮参り、七五三、十三参り、入学式、卒業式、成人式、結婚式のような儀式、行事において受け継がれている(参考:『京都をつなぐ無形文化遺産』)。

 これら「重ねる」ことによる和の精神と様式美。食文化においては、和食は最たる例であろう。「重箱」による、懐石料理は、大切な客のおもてなしや、親族、親戚で集まる時のお祝いの場などで食す。正月のおせち料理もそうだし、「鰻重」もまさに重箱でたべる鰻、高級料理の扱いだ。

 室町時代の文献の中に、既に「重箱」の記述を見ることができるようで、その歴史はかなり古いと考えられている。もとは中国の撞盒と食籠(じきろう、六角形や八角形の重ねて使用する容器)だったものが、日本に伝来して重箱になったとのことで、一般庶民に普及したのは江戸時代(1610年)とのことだ(Wikiより)。

 この重箱の考え方の、日常食、携行食への展開が「お弁当」であろう。お弁当は、もともと中国語の「便當(べんとう)」が、語源だと言われてて、便當とは、「好都合」や「便利なこと」を意味する中国南宋時代に作られた造語なのだそうだが、この言葉が日本に伝わった際に、「便道」「弁道」などの漢字が当てはめられ、戦国時代、大勢に一度に食事を与える際、簡単な器に盛って配膳する必要があり、ここから「配当を弁ずる」または「当座を弁ずる」→「弁当」となった。このお弁当、どうも広めたのは安土桃山時代の織田信長だという逸話がある。(参照:『弁当の語源は中国語だった!日本で定着したのは織田信長?鎌倉時代?』)

 重箱も弁当も、日本独自の文化というわけではないが、日本人の感性がそこには加わっていると考えられる。

 この「重ねる」の概念、日本の伝統的な日用品に目を向けると、至るところで目にすることができる。重ねる、あるいは折り畳むということも加えると、布団がまずそうであるし、扇子や、屏風、重ね草履にも、重なり、折ることで織り成される美くしさへの追求がみられる。伝統工芸の漆器などは、木や紙の上に、うるしの木からとれる樹液を塗り重ねることで作られる。器などの強度を高め、使いやすくすることが目的のようだ。

 そして、もっとも日本が誇るべき「重ねる」の日用品という点でいくと、これはやはり「畳」ではないだろうか。「畳」は、稲わらなどの素材を何層にも重ねて作る。日本独自の文化として発達してきたもので、その歴史は古い。奈良時代に書かれた日本最古の歴史書「古事記」には、畳の原型となるものらの記述がすでにあったようだ(参照:『日本独自の進化を遂げた「畳」に隠された効果や魅力』)。

 畳床は、もともと稲藁を何重にも重ねてできた、天然素材100%の「藁床」を使用したものだそうである。近年は住宅事情の変化で変わってしまったようだが、稲藁による藁床は、お米を収穫した後の稲わらを使用した、自然の恵みそのもので、重ねの文化の概念が、再び、お米へと結びつくのである。

 藁の利用は畳にとどまらない。米俵、家畜の食料、藁ぶきの屋根、藁の箒、藁の籠、藁草履、藁帽子、背中蓑や腰藁といった衣服としての藁の利用、そして神様がいることを示すしめ縄など、食べるものも、住まうためのもの、暮らしを便利にするためのもの、保存するためのもの、文化的・宗教的なもの、これらほとんどが田圃から生まれ、日本人の生活を支えてきた。そこには、日本人の生きる知恵が詰まっている。こうして藁でできた日用品などもふまえると、「重ねる」文化の原点に、「命の根」である稲藁、があることがみてとれる。

 この「重ねる」の概念は、上記のような食品や伝統工芸品、日用品といった形あるものだけでなく、日本の時間や空間への意識においても現われているのではないだろうか。

 時間なんかは、日本人の思想が込められた表現であるといえないだろうか。「時を重ねる」がまさにそれである。

 英語では、「time passes」、「time goes on」、ラテン語でも「tempus transit」とあるように、時間とは「過ぎていくもの」「流れゆくもの」「移りゆくもの」という捉え方が一般的であると思う。日本語にももちろん、「時間が過ぎる」「時間が経つ」「時間が流れる」「時間を費やす」という言葉はあるが、これらの時間の捉え方は直線的だ。

 しかし日本人の場合、ユダヤ教やキリスト教などにみられる時間の概念、始まりと終わりがある直線的なものに対し、加藤周一氏が言うように、「円周上を無限に循環する時間」、「無限の直線上を一定の方向に移動する時間」といったような無限の時間の概念があるのだと思われる(『日本文化における時間と空間』)。

「時を重ねる」という言葉が、まさに上記のような無限の時間を表わしているように思える。そこにおいては、時間の分節化は難しく、「現在(いま)」だけが連続し、重なっていく。過去も現在も未来も区別されることなく、<現在>のみが重なり合い、広がっていくというイメージだろうか。

 また、空間においても、谷崎潤一郎の『陰影礼賛』にもあるように、暗がりの中に美を求める傾向がかつての日本人にはあったのだろう。そしてその暗がりの中にわずかに入り込む光を「障子」で演出するのである。日本の建築では、この「陰影」を曖昧に「重ねる」ことで、深みをつくったり、奥行きを表現したりするのである。

「陰翳」とは光の直接当たらない暗がりのことだが、真っ暗な闇を指しているのではなく、光の存在をわずかに感じるぼんやりとした薄暗がりの状態を意味する。『陰翳礼賛』の中では、その例えとして、障子による薄暗がりが挙げられている。昔ながらの日本建築では、縁側から入った光が障子を通って拡散され、淡い光が生まれる。ガラス戸によって、直接の光をできるだけ多く取り込もうとした西洋建築に対し、障子による淡い光は日本独自の美意識であることを谷崎潤一郎は紹介した。

日本の美意識「陰翳」

 さて、包む、巻く、結ぶへの関心の派生から、日本文化における「重ねる」を見てきた。物理的な重なりだけでなく、時間や空間といった感覚的なもの、あるいはもっと調べれば出てくるのだろうが、言葉の重ね方、意味の重ね方、それらも日本語の特性だったりするのだが、「重ねる」の中に、日本人の美意識、様式美、和の精神がみてとれるのではないだろうか。

 それら「重ねる」に見られる様式美は、自然に対しての自意識的な美、視覚的、娯楽的な美といった、貴族文化や上流階級の中で出てきたものにすぎない、というものでもなさそうだ。稲藁の例、畳や藁で重ねて作られたさまざまな日用品、工芸品などにもみられるように、日常を生きる者たちの知恵と思想が詰まった、きわめて実用的なものにも根付いている概念であり、まさにそのような生活の中から出てくるものこそ、「美しい」のだと私には思われる。


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