福井大学教育学部の考えと展開
福井大学の野望としようかとも思ったが、あまり響きが良くないし、実力不足が甚だしいのでヤメた。
最近実務家教員をかき集めてるなぁとは思っていたが、この質の低さを量でカバーしようとする発想は倒産前のIR頻発企業に似ていて違和感があったんですが、とにかく新規事業の立ち上げを乱発しようとする意図は感じたわけです。
結果はこれだったか。
意外にもググって就職率が国立大学で17年連続1位という情報にもぶつかった。地方国立大学というのは就職が非常にシビアで同様の状況に置かれていた私から分析すると就職先の質は学生そのものの能力に比べて非常に低くならざるを得ない。福井大学はそうした状況でも満足して人生を終えるマインドセットを植え付けることに成功している大学ということになる。それが果たしていいのか悪いのか?それはわからない。しかし、それが幸福感とかウェルビーイングというものの内実だということはせめて大学を出るまでに理解しておかなければならないということである。簡単に言えば。老人の戯言としては一級品ですね。
申し訳ないがしつこいぐらい言っておきます。良い悪いの話ではない。どうあるかではなく、どうありたいかの問題だからである。
こうしたことを踏まえていうなら、福井大学はそこそこの大きさの総合大学である地方公立大学法人であり、具体的に動きを作ろうとしているということなんでしょう。
まあ予算規模はすごく小さいのですが・・・
今の大学経営においては国際卓越研究大学制度と地域中核・特色ある研究大学強化促進事業が予算獲得の二本柱になることは疑いないと思う。これは研究力強化のためと文科省は言っているが、その一要因としては大学を淘汰していこうという目論見が見え隠れする。
どこかのFラン大学の学長がFランだからこそ教育力が高いし、教育内容の自由度も高くなるんだから無くしてもいいんですか?みたいなことを言っていたが、明確に無くして良いと言ってしまいたい。
私自身都会住まいが長くなってしまったから気づいていなかったけれども、今の地方都市の惨状は大学経営を地域活性化に使う以前の話になってきているからである。
おそらく47都道府県の県庁所在地ですらまともにインフラが機能することができないところも出始めるのはないだろうか?大都市圏の大学以外でまともに研究活動を成り立たせることが困難になっていると思う。と同時に18年後の18歳人口が半減するという、まあ少し極端な予測を採用しなくてもすでに私のように子どもを大学にやらなくても良いと考える親世代が少しでもいることを考えると現時点での地方に存在する大学がキャパを充足させることはすでに不可能になってきているという教育と研究以前の問題があるわけです。
このことは文化庁の次長がYouTubeで発言していることと近いですし、クチに出しているということは本心はもっと過激なことを考えていると思って良いということでしょう。
国際卓越研究大学制度に採用されないということは大学として失格という国のお墨付きをいただけるということですけど、この選考過程の作文を軽く見回しているだけでも既存の大学の文化を破壊しようとする勢いを感じます。良い意味でも悪い意味でも。これは独法化の時に感じた流れにすごく似ています。そしてそのバスに乗り遅れるなという大学教員たちの焦りもすごく良く似ています。大学側もアホではないので、すでにこの流れに抵抗して独自路線を突っ走ろうとしている大学も散見されるのですがさてどうでしょう。
なぜなら国立大学法人にしろ、公立にしろ、私学にしろ、潰れる以外で自分自身をシュリンクさせる発想になっている大学にお目にかかったことがないからです。一つ個人的に即効性のある解決策を提案するなら、大胆に若返らせてシュリンクする少数精鋭経営をすることです。もちろん教育と経営は業務として一体化する必要があります。まずは個人的研究を投げ捨てることです。補助金頼みの研究はいずれ先細りますし、価値のない研究を量産することにつながります。その地域において最優先に解決すべき課題について総当たりでカネを集めながら学際的に研究していく発想がない人間は他所に転籍してもらうぐらいでなくては本質的に価値にある研究ができないということです。そこにはもちろん文学や哲学の出番もあるということです。AIやデータサイエンス、バイオテクノロジー、量子力学を含めた実験科学、数理工学だけで社会問題が解決できるわけもないことは一般人でも理解している世の中です。
こうした研究成果の先にさまざま補助金への応募や制度採択があることが重要です。国際卓越研究大学制度に採用された東北大学の構想がどれくらいの効果があるかは非常に不透明です。というか私はできっこないと思っています。口ではPDCAと言いながら日本の補助金行政は未だにPに対してカネをつけています。どう考えてもCに対してカネをつけるべきなのにです。
それは今の科研費の無駄遣い具合からも明らかです。科研費の選定方法はまるでイチロー選手は凄い実績があるから、50越えてるけど大谷選手より上の年200億で15年契約を結びますと言っているようなやり方だからです。それも忖度込みです。無記名審査だというけれど、毎年3割3分越えてて盗塁と出塁率と内野安打の凄さを見れば、多分イチローさんだなということは予想がつくわけです。まして研究者は自分のプロフィールを作ってネット上にあげるのが慣例になっていますのでググれば見当がつくハナシです。
最近の福井大学が文科省寄りの、もう少し言えば教育委員会や文科省傘下団体への近づき方がかなり露骨です。そしてこれは肌感覚ですが教職大学院としての中身を伴わない実績づくりへの執念を感じます。
それは福井大学に限らず、どの教職大学院でも言えることですが院生レベルの教育研究というのは確実な成果というのは残せません。こんなんどうですか?がたくさん並べてあるだけの場所だからです。実践には基本的先行研究が活かされてないし、触れてあったとして非常に少ない偏った先行研究を誤読を交えて自己の解釈に寄せていきます。まだ小学生の物語解釈の方がマシなくらいです。
福井大学ではこの教職大学院における酷い解釈感想文のほぼ全てを惜しげも無く量の力として公表してくれています。こうした人間たちが一端の研究を終えた人間として現場に戻ることはこれまでの言ってきた通り害悪でしかありません。
教員の免許更新制度という稼ぎ頭がなくなった以上これからは教職大学院に頼っていくしかありません。ここまで教員という仕事がダメだというイメージを植え付けられた以上採用試験の合格率は何の腹の足しにもならないからです。
おそらく今回の採択、およびその準備の流れの中で福井大学教育学部は、教育学部界における広島大学の位置を目指していこうとする戦略を練っているのではないかなぁと夢想するわけです。
残念ながらこの発想は、先ほど私があげたシュリンク、少数精鋭とは道筋もゴールも全く重なるところがありません。この私から見れば真逆発想が成功するかどうかは私の構想が正しいかどうかの実験でもあります。
すでに福井大学教職大学院の筋の悪さは述べたところです。誤解なきように言っておけば研究成果がダメなだけで、そこでの教師としての人間形成とかその先に広がる貢献度とかいうものには無限の可能性があるとは思っています。
しかしながら地域性、地方の悪条件、これまでの教育実践の質、量に頼んだ質の悪い実務家教員および退職管理職の活用などなど私にとってアカン要素の見本のような取り組み、そして今回の文科省採択(簡単にまとめるとそもそも日本型学校教育を海外に輸出したくても日本がダメな国家として認定されている以上欲しがるところがないでしょというハナシ)というコスト感覚や先見性のなさはこれからの大学教育にとって後から振り返ったときに面白い酒のつまみになることは請け合いです。
問題はこうした下の大学からステップアップしていく大学教員がいるということです。既得権団体に天上りしていく人間がいるということです。
サバイブという発想が人にとっていかにストレスフルであり、無駄な作業であるかということを国立大学法人は20年経っても学んでいないということです。
実際コモンを作れていないのに、所属する地域社会のコモンを自分たちの存在価値としてあげることが大学の良くないとこだよなぁと思っていたけれど実際コミットして失敗しまくり、ミスリードしまくり、意味あったように作文しまくりではよりイカン!ということに最近気付かされました。
地域にとってなくてもいい、ない方がいい大学になる前に継続的なゴミ拾いとか小さなことからコツコツとやってみてはいかがでしょうか?
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