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失われたアークの行方とアワ(阿波)の秘密⑰ 

前回、預言者イザヤに率いられたヘブライ人は、アークを持って沖縄上陸したと書きました。「契約の箱」とも呼ばれるアーク(聖櫃:せいひつ)はモーセが神から授かった十戒を刻んだ石板を納めた箱。別名、ソロモンの秘宝。


・ヘブライとアーク(聖櫃:せいひつ)

旧約聖書によれば、パレスチナで牧畜に従事していたユダヤ人(別名ヘブライ)は飢饉に遭遇し、豊かなエジプトに移動して、農耕生活を営むようになります。しかし新たなエジプトの王(ファラオ)がイスラエル人の豊かな生活をねたみ、奴隷として都の造営などに使役。
紀元前13世紀ごろ、モーゼはエジプトで迫害されていた、ヘブライ人を脱出させ、パレスチナの地に先導。

パレスチナは別名、カナンと呼ばれ、旧約聖書で神がイスラエルに与えたという約束の地。

モーセはユダヤ教・キリスト教・イスラム教など多くの宗教において、最重要な預言者の一人。
モーゼは途中シナイ山(2,285m)で神の啓示を受けて、十戒の書いた石板を授かります。この石板と、モーゼの兄・アロンの杖と、マナを入れる金の壺が入った箱が、神とイスラエルの「契約の箱」。
この3つの神器が納められた契約の箱がアーク(聖櫃)と呼ばれるもの。

アークを手にしたものは全世界を支配することができると信じられ、ヒトラーも探し求めました。ヒトラーはオカルトめいたことに興味を持ち、ナチス親衛隊は、チベットで隕石で作られた仏像を持ち帰っています。

モーゼの出エジプトで、ヘブライ民族はカナン(パレスチナ)に移り住み、前11世紀末ごろに統一され、ヘブライ王国が成立。
ダビデ・ソロモン王親子の時代に全盛期を迎えます。
栄華を誇ったヘブライ王国ですが、ソロモンの死後、南北に分裂。

北のイスラエル王国は、紀元前722年にアッシリアに滅ぼされ、南のユダ王国は紀元前586年、バビロンの侵略により滅亡。
アークは南朝ユダ王国のソロモン神殿に安置されていましたが、エルサレム崩壊後、行方不明に・・。

アメリカではインディジョーンズの『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』を始め、アークをテーマにした映画が幾つも公開されています。
ハリウッドでは、アークは四国の徳島県の剣山にある、というのは有名な話とか?!アークに納められた三種の神宝は世に知られ、これまで権力者たちが血まなこになって探し求めてきました。

・ソロモンの秘宝伝説 in 徳島

旧約聖書に記されたイスラエルの12部族のうち、行方が知られていない10部族の失われた10支族が日本に渡来。彼らは徳島に落ち延びて、剣山の頂上付近に国を作り、宝であるアークを隠した。これが、ソロモンの秘宝伝説。

ユダヤの三種の神器(「アロンの杖」「十戒が書かれた石板」「マナの壺」)が「アーク」に納められて、剣山までやってきたそうです。

ユダヤの三種の神器とは、「出エジプト」の時に、蛇に姿を変えたり、水を血に変えたり、海を二つに分けて道を作ったりしたアロンの杖
モーセが神から授かった十戒が書かれている石板
そして食糧を与えてくれたマナの壺

鶴田真由『神社めぐりをしていたらエルサレムに立っていた』

ユダヤの三種の神器が『アーク』と呼ばれる、日本の神輿にそっくりな入れ物に入って、剣山まで運ばれたそうです。

アークの前でお辞儀をするモーセとヨシュア(※アークと神輿は酷似)

剣山は古くは鶴亀(つるき)山と呼ばれ、鶴亀山とかごめ歌には不思議なつながりがありました。

剣山の頂上近くには宝蔵石と呼ばれる巨石があり、そこから200mほど離れた所には、鶴石、亀石と呼ばれてきた大きな岩石が存在します。これらの巨石は古くから、剣山を登頂する多くの人から崇められてきました。
鶴と亀、と言えば、「かごめの歌」の歌詞に登場する2種の「すべった」動物が、思い起こされます。剣山は山自体が「鶴亀山」とも呼ばれることもあり、「かごめの歌」のテーマと一致します。

「かごめかごめ」の意味とは Part II 「かごめの歌」の舞台となる四国の剣山
(※日本とユダヤハーモニー&古代史の研究から引用させていただきました)
「鶴亀山」の別名を持つ剣山

・かごめの歌とアークの関係 

六芒星シンボルのかごめ紋

かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に
鶴と亀滑った 後ろの正面だあれ?

かごめかごめの歌(※地方により歌詞が少し異なる)

「かごめ」とは「khagor + mi」という二つのヘブライ語に分解でき、その意味は「何を囲むのか」「何が守られているのか」「誰を守るのか」となるのだそうです。そして「鶴と亀」は「tsur + kamea」で「お守りの岩」
かごめ歌の「籠の中の鳥」というのは失われたアークをさし、つまり3つのご神器が納められたアーク(聖櫃)をさすとの説があります。

六芒星の象徴を持つダビデの星
(※ダビデの星は、ユダヤ教及び、ユダヤ民族を象徴する印。)

かごめ紋とダビデの星は同じ六芒星を持つシンボル。
童謡「かごめかごめ」の歌詞にヒントが隠されており、『かごめ→籠の目→ダビデの星、夜明けの晩→夜が明ける→よはね→ヨハネ(イエスの使徒の一人)』でヘブライの謎解きとなって、失われたアークがここに眠っているという暗号になります。

剣山の頂上付近には鍾乳洞が多く、過去の発掘調査で鍾乳洞の入り口を人工的に塞いだような跡が発見されており、ソロモンの秘宝が隠されている可能性があるそうです。

剣山のふもとの祖谷周辺では、ソロモンの秘宝が剣山に埋蔵されたとの伝承があり、祖谷では、3つの神宝が遠く伊勢の方から運ばれてきたことを意味する民謡が語り継がれています。
ちなみに伊勢はヘブライ語で、神の救いを意味する言葉。

〈祖谷の民謡〉
九里きて、九里行って、九里戻る。
朝日輝き、夕日が照らす。ない椿の根に照らす。
祖谷の谷から何がきた。
恵比寿大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。
三つの宝は、庭にある。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
先なる車に、何積んだ。
恵比寿大黒、積みや降ろした、積みや降ろした。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
中なる車に、何積んだ。
伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
後なる車に、何積んだ。
諸国の宝を、積みや降ろした、積みや降ろした。
三つの宝をおし合わせ、こなたの庭へ積みや降ろした、積みや降ろした。

前イスラエル駐日大使のエリ・コーヘンさんはソロモンの秘宝を探すため、剣山を含め、徳島を2度公式訪問。
コーヘン氏は剣山系にある磐境神明(いわさかしんめい)神社が古代イスラエル王国の礼拝所(神殿)に似ていると調査を行ったことは、四国放送(日テレ系)でニュースとなり、テレビ東京の古代ミステリー(MCみのもんた)でも紹介されました。

「剣山」という名前そのものが、安徳天皇が奉納した剣を洞窟内に封印したことに由来する、という言い伝えもあり、それを証明するかのように、山頂付近には穴を塞いだという巨大な磐座、宝蔵岩が鎮座しています。

剣山本宮にある宝蔵石神社・御神体の岩

・ミステリー神社・栗枝渡八幡神社

剣山のふもとの徳島県三好市東祖谷下瀬には「栗枝渡八幡神社」(くりしどはちまんじんじゃ)が鎮座します。栗枝渡神社には鳥居がありません。
鳥居がない理由は、当社が安徳天皇の御陵であるので、鳥居を立ててはならないという掟があり、それをずっと守ってきたため。

これまで歴代天皇の御陵と宮内省が認定した場所には、宮内省の看板が立てられていますが、栗枝渡神社には、宮内省の看板は存在しません。

栗枝渡(くりしと)はかつては「栗須徒(くりすと)神社」という名称で、くりすと≒きりすとで、地元の方はクルス堂と呼んでいます。
そのため、栗枝渡八幡神社はキリストゆかりと言われてきました。

社伝によると、剣山を参拝する者は遠い昔から、栗枝渡神社も参拝することになっていたと明記されています。

剣山の名称に潜む救いのメッセージ(古代のロマンに溢れる祖谷の伝承と空海の思い

イエス・キリスト誕生の時に、東方から三人の賢者が訪れたと聖書に書かれていますが、東方から訪れた三人の賢者は縄文系で、彼らはこの東祖谷山村の地から出発したとの説が残っています。
キリストの復活を祝うイースターは『東』をさしますが、これはジャパンを意味するとのこと。

・八幡神とヘブライ

八幡神は、はちまん、ヤハタと読みます。
ヤーは、バビロニアの海神ヤーのこと。
日本総鎮守と名高い大山祇神社は、山の神であり海の神。そしてシュメールの海神ヤーと関わりの深い神社。

八幡はヘブライ系秦氏が信仰したことで知られ、八幡(ヤハタ)という名もヘブライ語で、ユダヤを示す言葉「イェフダ」という言葉が語源。

ヤハタとは、ヤーとハタ、の合体。
海の向こうから来た人々が信じた神が、バビロニア海神「ヤー」。
そして「ハタ」の語源がヘブライ語の「イェフダ」。
いわば、秦氏系ヘブライ人が信仰した海の向こうの神が『ヤハタ」神。
そしてヤハタとは、イエスキリストが『父』と呼んだ、唯一の絶対神
八幡神がキリスト教の神をさすと言われるのは、このあたりの関係性から。

少し話は変わりますが、かなり前に、鎌倉の鶴岡八幡宮にお参りしたことがあります。鶴岡八幡宮の社伝には、八幡神は海の彼方から渡来した神と書かれていました。

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は小高い丘の上に鎮座しています。そこから眼下を見下ろすと、由比ガ浜から陸に上がって、直線でまっすぐの場所に八幡宮は位置していました。
それを見ながら、海の向こうからやってきた人々がこの場所に上陸し、自分たちが信じる神を祀ったのかもしれない。
八幡神が渡来神というのは本当かも?と思ったのを覚えています。


話は戻りますが、「栗枝渡八幡神社」という神社名は、過去には「栗須渡(くりすど)」と呼ばれ、ギリシャ語でキリストを示すクリストスに由来していると考えられています。

そして日本にはイエスキリストの渡来伝承が残っています。
初期のキリスト教は中国で「景教」と呼ばれました。
これは第12代天皇・景行大王の代に、イエスキリストが日本に来たことが由来。(※景行天皇はヤマトタケルの父)

イエスキリストはナザレのキリストと言われ、確か18歳か、19歳までの記録は残っている。ですが27歳までの「8年間」の記録がない。
その8年間に、キリストは日本に来て、神の学、神学を学んだと、竹内文書に書かれているそうです。

神さまが教えてくれた幸福論(神渡良平・小林正観)

そういえば日本語とヘブライ語は似た単語が多いです。
日本の古名である「ヤマト」はヘブライ語で神の民をさす言葉。
ほかにも「そんなことしたらアカンよ」と西の方言で言いますが、この「アカン」は聖書ヨシュア記の中の、宝物を盗んだ人が由来。

怒る時の「コラ!」はモーゼに逆らったリーダーの名前が語源。
(聖書民数記十六章十三節)
ヘブライ語と日本語は、似た意味を持つ言葉が多く驚きます。

アークのことは置いても、ヘブライ人は確かに古代の日本に渡来した、と認めざるを得ないような伝承や史実が存在します。

・失われたアークは日本にあると断言したエチオピア皇帝

『神々の指紋』の著者、グラハム・ハンコックは、「アークはエチオピアの古代都市アクスムにある教会に安置されている」と書いています。
実際、アークがエチオピアにあるという説は有名です。

しかし違う意見も存在します。
ダビデ王統であり、ユダ族とソロモン直系であるエチオピア皇帝。
最後のエチオピア皇帝は、生前、失われたアークが、日本にある可能性を述べていました。

エチオピア王国の始祖は、ソロモン王とシバの女王の間に生まれたメネリク一世の血統。その子孫で、1936年にイギリスに亡命したエチオピア最後の皇帝、ハイレ・セラシュは「ロストアーク(失われた聖櫃)」は東洋日本に必ずある」と生前答えました。

日本からあわストーリーが始まります 香川宣子著(ヒカルランド) 

聖書外伝マカバイ記Ⅱでも「アークは持ち出されて東の日出る島の秘密の洞窟に隠した」と記されています。徳島県にある剣山にはロスチャイルド家の人々も何度か登ったそうです。

アークが眠るとされるエチオピアの古都、アクスムのシオンの聖マリア教会

・アークが眠る剣山とアワ

京都の鞍馬山と、飛騨の位山は、もともとアワ山と呼ばれていました。
アークが眠るとされる剣山は徳島県にありますが、徳島県はもとは阿波(アワ)という地名

徳川家康は天下を取った際、剣山のあったアワ藩に対して『徳島藩』に改名するよう命令を下しています。
また、明治天皇が即位して最初に行ったのが、徳島のシンボルである眉山に神武天皇像を建立すること。神武天皇の銅像は、九州の日向(宮崎県)と四国の阿波(徳島県)の2体しかない珍しいものです。

奈良初期に、朝廷によって全国で風土記が編さんされました。
風土記とは、地方別にその風土・文化その他について記した書物のこと。
その中で阿波国風土記は消され、存在しないという事になっています。

アワには磯上乃古事記という古書が存在します。
これが別名・阿波古事記。

古事記の原本となったホツマタエ(秀真妙)という古文献がありますが、
弘法大師・空海は徳島県の真言宗の寺院「太龍寺縁起」の中で、「秀真(ホツマ)国ここにあり」と書き残しています。
これは、ホツマタエ原初の舞台が『アワ』ということ。

いわば、アワ(阿波)が日本の始まりだと伝えています。
(詳しい内容は、「道は阿波より始まる」の書籍に書かれています。)

私はアークにはあまり興味はありませんが、アワには何かあると思っています。



〈参考サイト〉



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縄文エリー
本だけでなく、実際に現地に行ったりして調べていますが、わからないことが多いです。だからこそ魅かれる縄文ミステリー!縄文の謎解きははじまったばかりです。(*ᴗˬᴗ)⁾⁾💕ペコリン