浅草神社と土師氏の関わりは観音から⑬ ~十一面観音の秘密~
明治維新を主導したのは、薩摩藩と長州藩。薩摩藩、長州藩ともに、その始祖は秦氏出自であり、明治維新は秦氏系によって行われました。長州藩主である毛利家の始祖は、秦氏系の土師氏。そして京都に平安京を造営した桓武天皇は、生母が朝鮮半島の百済王族出身でした。
桓武天皇は(母方の)同族だった土師氏を含め、渡来した人々を大切にし、多くの渡来氏族が桓武帝に仕え、平安京で活躍しました。
土師氏の末裔である毛利家が率いた長州藩(山口県)は、明治維新を主導。長州藩出身の藩士たちは、江戸幕府滅亡後、政治の世界に躍り出ます。
現在も、長州藩出身の政治家は多く、山口県からはこれまで、初代総理大臣の伊藤博文をはじめ、内閣総理大臣をなんと8人も輩出。少し前にお亡くなりになった安倍 晋三(元首相)も長州藩の家系でした。
土師氏の祖先は、ヘブライの十二支族のガド族とされています。
土師氏の活躍は政治の世界だけではありませんでした。
今回のテーマは、(秦氏系)土師氏と浅草神社のつながり。そして十一面観音の隠された秘密について。
浅草神社とヘブライのガド族。彼らが信仰した観音の謎を解いていきます。
①浅草神社のご祭神と土師氏のかかわり
東京の浅草神社は土師氏と深く関わりがあります。土師氏の始祖はヘブライのガド族で、ガド族は古代イスラエルの十二支族のうちの一つ。
土師氏は秦氏系で、埴輪(はにわ)の製作や、古墳の造営に従事していた集団。日本に渡来した土師氏は、埴輪による祭祀を広めるために、その子孫は日本各地に散らばり、その内の一人が浅草の地に住み着いたそうです。
浅草には良質な粘土が採れた事から 瓦・日常生活道具・土人形(つちにんぎょう)などの焼き物を製造する「今戸焼き」が発祥しています。
浅草の鎮守様であり「三社様」として親しまれる浅草神社は、 豊作・豊漁、疫病退散を祈ることから、五穀豊穣・商売繁盛・厄除けのご利益があると言われます。
「社」という文字には「土地の神」という意味があり、ご祭神である檜前(ひのくまの)浜成命・武成命兄弟は、もともとは浅草のあたりで魚を獲っていた漁師。 そして土師真中知命(はじのまつちのみこと)は、地域の名士的な存在。 三神は、浅草の土地に根差した神様なので「三社」と呼ばれました。毎年5月に行われる祭りを今でも「三社祭」と呼ぶのは、3人の神さまが由来です。
②土師氏が代々宮司を務める浅草神社
浅草神社と浅草寺は、もともとは一つの寺社であり、 浅草神社の神前で浅草寺の僧侶が読経し、祭礼も一緒に行なわれていました。
しかし明治政府により出された「神仏分離令」により別れてしまいます。「神仏分離令」とは、それまで寺院に一緒にお祀りされていた神社を(お寺から)切り離すこと。これは明治初期に行われた、神道保護と仏教抑圧のための宗教政策であり、その目的は天皇の威信を取り戻し、神道を国教化するためでした。
「神仏分離令」により、明治天皇は神道における「最高神官」に就任。天皇は現人神(あらひとがみ)となり、(神道において)最高神のような存在になります。同時に天皇は日本の『元首』として、政治の世界を司りました。
こうして天皇はスピリチャルと政治(現実)の両面で、比類なき存在として日本を統治。「現人神(明治天皇)」のもと、日本は富国強兵に向かって一致団結し、緊迫した国際情勢のもと、大戦に巻き込まれていきます。
この神仏分離令により浅草神社は、浅草寺から離脱。それ以降、浅草郷の総鎮守として、現在の浅草神社が崇高を集めるようになりました。
浅草神社のご祭神の一人である土師中知(はじのまつちのみこと)は土師氏の出身。そして檜前(ひのくまの)浜成・竹成兄弟は、渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)から派生した一族の子孫。
東漢氏は、中国の後漢霊帝の子孫で、日本に製鉄の技術や土器(須恵器)の生産技術を伝えたとされる一族。平安期の坂上田村麻呂将軍の祖先も東漢氏なので、檜前浜成・竹成兄弟と、田村将軍は同族にあたります。
浅草神社の宮司は代々、土師氏によって世襲されました。
現在の浅草神社の宮司である土師幸士さんは土師氏の遠縁で、跡継ぎのいなかった先代宮司から熱心に頼まれ、令和元年10月浅草宮司に就任。
(現・宮司の)土師幸士さんは第63代目にあたります。
③浅草神社の神紋とガド族の紋章
土師氏は古代イスラエルの十二支族のうちのガド族がルーツ。
ガド族の紋章は、「宿営」の意味をもつ家屋として現わされています。
浅草神社の神紋は、ガド族のシンボルであるテントに似ています。
土師氏の祖先は、相撲の神さまとして知られる野見宿禰(のみのすくね)。野見宿禰は大工をルーツを持つ人物。野見宿禰から、建築や古墳づくりに使う大工道具のノミが生まれました。ノミの工具は、建築物をつくる際、木や石を削るための必須の道具。ヤマト王権や有力豪族が、各地に神社仏閣をつくる際、優れた石工で、大工でもある土師氏は協力したようで、その折に江戸にも来たのかもしれません。
土師氏は古墳造営や葬送儀礼に関わり、日本の祭祀・祭典と深く結びついていきます。浅草神社は1300年以上前の奈良時代に建立されましたが、すでにそのころには、土師氏は浅草に住んでいました。
浅草神社と浅草寺は隣り合っており、浅草寺のご本尊は「聖観世音菩薩」。浅草寺の専堂坊職は「土師家」の血族である「浅井云東」に六十世として引き継がれ、その後も浅草寺に仕えられ、六十二世まで継承されました。
浅草神社だけでなく浅草寺も代々、土師氏が住職を務め、1400年以上にわたって、土師氏との強い結びつきが継承されてきました。
④(秦氏系)土師氏と浅草神社は観音つながり
秦氏は、十一面観世音菩薩を信仰し、京都太秦(うずまさ)にある秦氏の氏寺・広隆寺には十一面観音菩薩の像があります。
広隆寺は弥勒菩薩で知られていますが、十一面千手観音立像も国宝。
秦氏と同族である土師氏も十一面観音菩薩を信心。
大阪の道明寺は、土師氏の氏寺。道明寺は7世紀ごろ、土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺。道明寺は土師氏出身の菅原道真公ゆかりの寺で、こちらのご本尊は、国宝の十一面観音菩薩立像。
秦氏、土師氏のいずれも十一面観音を信仰しています。
平安期の坂上田村麻呂将軍が建立した、京都の清水寺のご本尊も十一面(千手)観世音菩薩。田村将軍の先祖は渡来系の東漢氏で、浅草神社のご祭神の檜前(ひのくまの)浜成・竹成兄弟のご先祖も、東漢氏から派生した一族。
東漢氏を祖先に持つ田村将軍と、檜前(ひのくまの)浜成・竹成兄弟は同族にあたり、いずれも観音菩薩を信仰していました。
浅草寺のご本尊は聖観世音菩薩さまですが、浅草寺から歩いて10分のところに 本龍院という、支院があります、こちらは別名、待乳山聖天(まつちやましょうでん)とも称され ます。
この本龍院は、十一面観音菩薩を本地仏とする聖天様(大聖歓喜天)がご本尊。
待乳山聖天(本龍院)は、十一面観音の化身である大聖歓喜天が姿を現して人びとを救済し、聖天さまとして祀られたのが始まり。
江戸時代まで、浅草寺と浅草神社は一つの寺院で、その支院の待乳山聖天(本龍院)では、十一面観音菩薩が祀られているなど、浅草神社もまた、十一面観音とも縁の深い寺社仏閣でした。
そして浅草神社のご祭神と、平安期の田村将軍は同族で、観音で深くつながっています。
江戸時代まで一つの寺社だった浅草神社と浅草寺。
神仏禁止令で別れましたが、現在浅草神社では、観音像を発見した檜前浜成・竹成の兄弟と、観音像を祀った土師中知の3人がご祭神。
一方の浅草寺では、浅草神社の3人のご祭神が拾い上げて崇めた観音像(聖観世音菩薩)がご本尊。土師氏ゆかりの浅草神社と浅草寺は、観音菩薩と十一面観音を祀り、1400年以上にわたって深い関係を持ち続けています。
⑤龍と水神信仰が、観音信仰になった
秦氏と土師氏をたどると、観音菩薩、そして十一面観音菩薩につながります。観音は水神であり、観音菩薩は龍神を導き、龍神は観音菩薩を守護。
古来より土師氏一族は高度な技術を要する土木工事を担うと同時に、古墳造り全体を切り盛りしました。
今流でいえば、設計・施工・管理一切の担当を担っています。
土師氏は河川堤防を築き、川の氾濫を抑えるなど、治水技術でも健闘。
河川や湖沼の氾濫の象徴である龍や蛇といった水の神は、十一面観音に化身することで鎮められ、治水を果たし、そうして造立された観音像は日本全国に及びます。
優れた土木技術者だった秦氏や土師氏が、十一面観音を信仰したのは、彼ら自身が治水技術者として活躍し、各地に河川堤防をつくった名残りでもありました。
十一面観音の功徳は、苦難除去 怨敵退散 厄除け。六道のうち、十一面観音は、修羅道の苦しみから救う役割を持ちます。
遠いオリエントから迫害を逃れ、日本に渡来したヘブライ系秦氏(土師氏含む)は、十一面観音に救いを求めてたのかもしれません。
⑥追記:ゾロアスター教と秦氏
しかし秦氏らが十一面観音や、観音菩薩を信心したのは、別の理由がありました。それは彼らが、ゾロアスター教徒だったから。
ゾロアスター教は「拝火教」と呼ばれ、火を神聖視します。
ゾロアスター教は『山を神聖視』するところが、日本の修験道との共通点。火を焚きながら儀式をするので、これが日本のお盆に行う火送りや密教の護摩焚きとも、関係していると言われます。
ゾロアスター教は遅くても奈良時代には日本に伝来していました。聖徳太子のブレインだった秦河勝もゾロアスター教徒であり、聖徳太子の母親、穴穂部間人(あなほべのはしひと)の「はしひと」は「ペルシャ人」をさす言葉。京都にある秦氏の氏寺・広隆寺は、秦河勝によって建立されています。
ゾロアスター教は世界最古の宗教で、ユダヤ教やキリスト教のルーツの一つ。新約聖書の最後で、世界の終わりを暗示する「ヨハネの黙示録」。
黙示録では、世界終末に「救世主による最後の審判」が下されると書かれていますが、これはゾロアスター教の世界観が由来のもと。
さきほどの浅草寺別院である待乳山聖天(本龍院)の十一面観音菩薩もゾロアスター教由来との説があります。
そのゾロアスター教への信心が、秦氏を十一面観音(観音)信仰に駆り立てました。長くなったので続きますね。
〈参考サイト〉
(↑こちらは記事はゾロアスター教について書かれています)