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広島で靴の音を鳴らす。 文学フリマ広島6前日譚前篇

広島に着いた。
2月24日、土曜日のことだ。

新幹線の改札を抜けてコンコースへ至ると、その人の多さに驚いた。
新幹線に乗り換えた小田原駅や途中の名古屋駅では海外の人たちの姿が目立った印象だったけど、
広島では国内の人たち、とりわけ地元の人が多いように思えた。
ただの認知バイアスであることは承知の上でだけど。

僕は広島という街のことが好きだ。

さあ、歩こう。
先日迎えたばかりのOn Cloudmonsterをぎゅむっと踏みしめ、
広島市電高架化工事中の南口階段を降りた。


広島へは、第一回文学フリマ広島のころから訪れている。
けれども新幹線で赴くのは初めてで、前回までは自家用車で広島入りをしていた。
だから広島の玄関と言えば、猿猴川に架かる国道2号黄金橋の長い渋滞であり、
西広島バイパスの延々と続く遮音壁の灰色であり、
アストラムラインと並んで渡る国道54号祇園新橋の、片側3車線の計画道路であり(広い車線と道路橋の間に挟まれた軌道橋との近しさから、広島は他都市と一線を画す計画都市なのだと悟った)、
東雲インターの日産・フォルクスワーゲン・トヨタの三連ディーラーであった。

車で訪れたときの拠点は旧広島陸軍被服支廠にほど近いパーキングで、
ラティスのように交差した小路に平成初期風の閑静な住宅街が広がり、
点在する公園の白みがかった砂に、毎度「遠くへ来た」というささやかな感動を携えたものだった。
(地元神奈川の地面は薄ら暗い灰色、ところにより茶味がかりの地味な色合いなので、旅先で水の抜かれた広い田園を見ると気持ちが明るくなる)

ピンは旧広島陸軍被服支廠。
地図上方の比治山の南に文フリ広島会場の産業会館がある。
幹線道路は縦横に、生活道路は斜めにはしる皆実町の区画すき。

そんなわけで駅に降り立ち、改装工事中の細い歩道を大勢の人間がせかせか流れるなかを歩きながら広島と邂逅するのは、実に新鮮な気分なのだった。

駅前の宿泊地に荷物を置き、あったかコンプレッションをベッドに脱ぎ捨て、再び外へと赴いた。
時刻は午後4時を過ぎたところだった。
これからの具体的な予定は特にない。ただ、やりたいことはあった。

二つ。
ひとつは広島を歩くということ。
もうひとつは知らない店でご飯を食べる。
この二つであった。

広島さんぽめぐりは慣れたものだった。
かつては夕飯を求めて駅前通りのビジネス街を腹を鳴らして行脚したこともあったが、
何年か前に西広島駅(ここで路面電車は鉄道として宮島まで向かう)や宇品港まで歩いたり、
自転車で(自家用車のなかに折りたたみ自転車を搭載しているのだ)五日市駅付近や江波山付近を散策したこともあった。
そしてなにより自分でも暖簾をくぐれそうな店を求めて市街を練り歩いた経験をへて、僕は広島という街と親しくなった。
……で、大抵の場合店に入るのを躊躇して
近所のコンビニでカップラーメンを買って車中で啜ることになるのだった。

「台屋の鼻」から、
京橋川と猿猴川(えんこうがわ)の分岐点。
奥の橋は栄橋。戦前からあるらしい。

駅からまず城南通りを歩いた。背の高いマンションが連なるかと思えば、
唐突に空の面積が広がり、赤レンガの建物が視界に入る。
広島女学院だ。
女学院と、学院に沿ってつづく藤棚のレンガ柱は、季節になれば赤と薄紫のコントラストが華やぐのだろう。
あいにく文フリ広島の時期に藤は咲かないのが残念であるが、
さておきこの風景を見て、かつての記憶がよみがえる。

この道も駅前通り同様、空腹のなかさまよった道であり、
ファミレスもファストフード店も見当たらず、よろよろ歩を進めた道であった。

過ちは繰返さない。と僕は学んでいる。
潔く広島最大の繁華街、本通方面へと向かった。


広島で飯に困ったらどこへ向かえばいいか。
広島さんぽビギナー代表の僕が偉そうに言えたことではないが、
ビギナーならば、広島城の堀を一周する、なんて冒険なんかせず(※)に駅前か本通のどちらかを訪ねればひとまず食にありつくことはできよう。
特に本通とその付近は大変活気にあふれている。
個人店からチェーンストアまで一通り揃っているし、程よく歩ける程度のコンパクトさで気に入っている。

(※)
城、特に今なお残る平城というのは古くから行政の中核であったことが多く、故に官公庁がひしめいている場合が多い。盛岡城とか。松本城もかな?
逆に少し離れた「城下」は商業の中心であり、「台所」的な区域がある。知らんけど。
つまり広島城周辺は食事処空白地帯であったのだ。

さんぽめぐりを兼ねて食事処を探したい方は、
地図中央の東西に伸びる広電本線のある道と、
地図下部の平和大通りに挟まれた区域を歩くと楽しい。
大抵の望むものなら大体ありつける。

白鳥通りから広電本線のある通りを渡り、一本先の路地へ。
平和祈念公園方面へ少し足を進めると、銀行に診療所(不思議と広島市街には診療所が散見される)、コンビニなんかに加えて、居酒屋がいくつか見える。
少し歩けばよさげな店が見つかるかもしれない。

時刻は四時半。
まだ開いてない店もあるかもしれないが、混雑しているなかをひとりで突入する根性を備えていないので、短期決戦が求められる。
とはいえ、今の自分はなにが食べたいのだろう。
流れゆく看板を眺めつつ考える。

焼鳥。
日本酒と合いそうだけど日本酒という気分ではない。

焼肉。
そもそも肉って気分じゃない。それに焼肉だったら地元でも食べられるし。

お好み焼き。
たしかに名物だけど。でもわざわざ広島まで来てお好み焼きを食べるなんてさ、広島はそんな懐の浅い街じゃあねえってのはもう分かってるんだ。もちろんおいしいし今度食べたいけども。でも今じゃあない。僕は旅人であって観光客でも地元の人でもない。観光名物を消費してハイ満足、とはならんわな。僕にも胃袋というキャパシティーがあるからして、ここでなきゃ食べられないおいしいもの、食べたいじゃない。名物じゃなくて「それ」を食べたいんだ僕は。

牡蠣のなめろう。
ふうん……。

などと考えを巡らせながら歩く。
そしてまぶたのウラに残った文言を再び黙読する。

牡蠣のなめろう。

え、なにそれ。
聞いたことがなかった。

いや、もしかするとありふれたメニューなのかもしれない。
牡蠣は広島の特産品だし、なめろうは酒のつまみとして定番だ。
しかし「牡蠣」と「なめろう」ふたつの言葉が組み合わさった瞬間、
舌の裏辺りがじゅわりと反応したのだ。

しかし進む靴の音は止まらない。
これは僕の悪い癖で、どこか魅惑的なものや風景と遭遇しても、
この先にもっといいものがあるのだと思い、ありもしないそれを目指そうとしてしまうのだ。

少し長めに息を吐き、目の前の十字路を右に曲がる。
5歩ほど進んで、まるで道を間違えた通行人のごとく引き返した。

「牡蠣と中華 カンフーハウス」という店だった。
店頭に立つメニューをじっと見つめ、思案顔して腕組みをする。
高鳴る心拍数を抑えながら、価格が飛びぬけて高くはないことを確認する。
僕の脇をカップルの男女が通り過ぎ、店のなかへと入る。
店は縦に細長い形をしていて、ずらりとカウンター席が並んでいるのが見えた。
何組かの客がいて、先程入店したカップルを含めてもなお席は空いている。
たぶん、いける。

歯を喰いしばり、僕は入店した。

牡蠣と中華 カンフーハウス
中央赤ピンの場所。わかりづらいけど。

「カンフーハウス」は、牡蠣料理と創作中華をメインにした店であった。
充実したカウンター席に加え、奥にはテーブル席も見え、さらには二階もあるらしい。
ほの暗い内装はオイルコーティングを施したアカシア材を思わせるもので、
椅子や荷置きの籠や吊り電灯に至るまでヴィンテージ風であったが、
同時に埃っぽさや油脂や錆のない真新しさを感じた。
おそらく新店だろう。

その予感は、注文方法で確信した。
オーダーは口頭ではなくて、オンラインなのである。
いや、オンラインならばこの数年で当たり前の風景となったのは言うまでもないが、この店はスマホアプリを用いたオーダーなのだ。
すなわち各テーブルに置かれたQRコードを読み取り、LINEでともだち登録をしたうえで特設サイトに登録、ログインし、そこからメニューを開いて各種注文をするという手順であった。
このシンプルでかつ煩雑なシステムは、まさにオープンしたてという感じで、不慣れな僕はかなり戸惑った(2敗)。

そんなアクシデントもありつつ、
件の牡蠣のなめろう、
それからローストビーフの青椒肉絲(なんて魅惑的な響きなんだ!)、
白のグラスワイン、アルガブランカクラレーザを頼んだ。

最高においしかった。

牡蠣のなめろうはオイル漬け(だったと思う)牡蠣の濃厚でなめらかな舌触りのあとで、オイスターソースの甘みが口に広がり、息をすると風味が鼻を抜けた。
刻みねぎの触感ももちろんのこと、オーダーに費やされた十数分の空腹も相まって非常に贅沢なひとときを感じられた。

牡蠣と言えば白ワインであるが、アルガブランカクラレーザのすっきりした酸味がなめろうの味を引き立たせる。
と同時に舌をさっぱりとさせ、再びなめろうをつまもうものなら、「一口目」の感動が再来する。なんて素晴らしい組み合わせなのだ。

ローストビーフの青椒肉絲は、その名の通り青椒肉絲の上にローストビーフが添えられた一品であった。個人的には、せっかくローストビーフが2枚あるのだから1枚はそのまま、もう1枚を細切りにしてくれたらローストビーフを求める人も青椒肉絲を求める人も満足できて文句なしなのではないかと思ったわけだが、文句はこの1点だけで、ビーフは赤身がしっかりしていて香り高く、細く切られた筍とパプリカに油が絡まり、噛みしめるほどに汁が滲んでそれはそれは至福なのだった。青椒肉絲は神がつくりし至高の料理……。

食事描写でおなじみの「舌鼓を打つ」などする僕はその傍ら、
やはりシステムに関してどうしても考えることをやめられなかった。
食事自体は最高だったし、最終的に僕は満足したわけだけれども、
疑問を抱きながら食べるのはあまりいいものではないことに気付いた。
せっかく食べるのであれば(特にひとり外食するのであれば)、食べることに集中するのが店と食事に対する礼儀であると僕は思う。

システムを知らずにのほほんと訪れてしまった自分が悪いと言えばそれはそうであるし、
いやしかし評判だけを聞きつけて恋人と向かった先で、実は二人ともLINEを持っていなかった、なんて事態を想像しただけで窒息しそうになる。
その上で、従来の注文方法はある意味で理に適っているのだとも思った。

とはいえ設備費用や従業員教育コストとの兼ね合いもあるだろうし、
常連客からすればさして問題のない話であるわけで、
まあつまるところ、頭をめぐるそういったアレコレも白ワインの酸味できれいさっぱり洗い流せたらと思うのだった。

食事に五感を注げる環境は、それだけで食事を美味しくさせる。

帰り際に、会計をしてくれたお店の人が見送ってくれた。
「あの、ここをどこで知ったんですか?」
おそらく、ひとりで訪ねた客が珍しかったのだろう。
(僕の自意識過剰だと思うけれど、入店してから幾度か、店員の物珍し気な、というより驚き交じりの視線がちくちくした。たぶんこのお店がオープン間もなく口コミも少ないなかどうしてここに来たのかその動機を知りたいためか、あるいは僕がおぞましい霊を引き連れてしまっていたかのどちらかだと思う)

僕は長ったらしく語りたい衝動が途端に湧いたけれども、それを言語にするだけの能力は持ち合わせていなかった。
「あ、いや、ちょっと目について……」
咄嗟に出た言葉をどうにかつなぎあわせて、なんとか言葉を絞り出した。
つなぎあわせようにも、さしたる情報なんてないに等しいわけだけど。

そんなわけで店を出た。
外はすこし暗くなってきたけれども夕方5時過ぎ。
夜はまだ始まっていないし、まだお腹は減っている。
新しい店の開拓は済んだことだし、次は行ったことのある店へ足を運ぼうと思った。


このあと、行きつけのベトナム料理のお店へ行った話や、夜の祈念公園を歩いた話なんかも書きたいところだけれど、毎度のごとく想像以上に長くなってしまったので、今回はここまで。

広島さんぽめぐり、気が向いたらつづきます……!

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