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実はさせてもらっている

家族にご飯を作ることが好きで
土日は頻繁に作る。

平日も在宅の時は作る。
めんどくさくなる時もあるが、
できるだけ食材から作るようにしている。

You tubeやテレビや新聞で美味しそうな
レシピを見ると覚えておいてつくる。

食べることは生きることだ。

しかしここではそんなことを
言いたいのでは無い。

1人の時は作らない。
納豆とご飯とドライ味噌汁だ。

野菜も適当に、野菜ジュースなど。

誰か1人いると考えてつくる。
美味しいかな、栄養足りるかな、
塩分キツくないかな。

最近まではめんどくさい。
作ってるのに、洗い物くらいして、
なんで土日に6食全部作らないといけないのか。
と思うこともあった。

なんで1人では作らないのに、
誰かがいると作るのか。

作るとその人のために作っているが、
実は自分のためにもなっている。

その人のために作れるが、
自分のためには作れない。

にも関わらず、時にめんどくさいや
作ってあげてるなどと思うことがある。

1人ではラーメンたべたり、牛丼たべたり
するだけなのに。

実は作らせてもらっている。

このことは他のことにも転用できる。

教えてやっただろうとか
育ててやっただろうとか
ご馳走してやっただろうとか

してあげてるのか、
させてもらっているのか。

1人だとしないけど
誰かがいるとするようになること。

少し何個か例を挙げてみたい。

1人で外出する時は
何を食べるか、だいたいはラーメン。

誰かがいるとお互いの
昨日食べたものから調査する。

その人に合わせたものを食べるが
合うこともある。

自分ではなんでもいいなと思っていたが、
一緒に食べる誰かの意見が
潜在的食べたいものを導くことがある。

実は合わせてあげてるのに、
自分にとって良いことになっている。

役職者が部下の休みのフォローをする。
一件めんどくさいが、どれだけできてるか、
思わぬ抜け穴があったなど。
現実を知る機会になる。

フォローしてあげてるのに、
大きなミスを防ぐことができたり、
その部下の日々の取り組みを見ることが
できたり。

やる気のない後輩に
やる気が出るようにご飯にいったり、
教えてあげたりする。

その後輩のためにやってるのに
その日は美味しいものが食べれたり、
気持ちよく武勇伝を聞いてくれたり、
いつの間にか自分のための時間になり、
させてもらって状態になる。

地域のボランティアに参加したら、
その地域は充実度があがる。

自分は参加したことで満足感を得る。
普段は何もすることがなかったり、
ゲームやパチンコでなんとなくすぎる
休みが満足感を得る結果になる。

させてもらっていることになる。

結局、人に対してしてあげることは
自分にとって良い意味になり、
させてもらっていることになる。

育児も夫婦生活も会社人生も
結局誰かにしてあげていることは
させてもらっていることになる。

その誰かがいることは
とてもありがたいことだ。

何かさせてもらえるのだから。

以上




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