「小説は一人で書くもの、他者からの情報は無視」
ネットが流行っているというと、ここの「note」の若者が図に乗るので言いたくはない。
わたしは、無能な才能のない連中、所謂、「作家」に「小説家」になれない連中が、何か宝物探しに出かけたのが、ネットにこまごまと拡散している子ネズミのような連中だと思っている。
ここ「note」は本心を書く場であればより一層レベルがあがり、子ネズミどもを一掃せずに殺しもしなければエサもやらないという。飼い殺しよりはよいかなあ、とおもう。
だいたいだね、マイクがないので声は聞こえないとは思うが、本気でやりなさいと言いたい。本気でやっている奴で、ちょっとおつむの使い方が疲れているというのか、そういうやつの原稿は先輩として文学者として見ますよ。こっちは、仕事延長線上の遊びも入っているんだから、わたしなんか、ひねくれもののようで面倒見はいいしね。
まず、小説家になりたかったら一人になりなさい。
何も仏門や出家しろといっているわけじゃないのね。
一人で過ごすことに慣れよう。
一人でいて、退屈もせず、過ごすことができれば第一関門突破だな。
次に、人と群れることを忘れろ。群れていたんじゃ小説はかけん。
一人でたのしく日記でもつけろ。
そういうふうに、人に頼らず自己責任において何でもすることができれば、小説は書ける。
人がどんな小説を書いているのかなあ、とか思うのは、人間ができていない。
人は人、自分は自分だよ。
人の書いているものが一切気にならなくなる、境地において、やっと文字を書くことができる。
人と競争するのもダメ。誰誰くん賞をとるのかなあ、なんてもっとだめだ。人に賞をやりたいのか? やりたければ、くれてやれ。その代わり、おまえは、一生涯、賞とは無縁だ。無縁というのはなあ、文學をやめろということ。
オリジアリティだけを信じて書け。
図書館は使ってよし。
こっそり、人と会うなよ?
オリジナリティさえうまく脚色して出せれば、だれでもいいんだよ。
出版社は、もうけて、お金が欲しいだけだろ。
できなければ、ネズミのたまり場へ帰るんだな。
オリジナルのアイディアだけが勝負のキーを握るんだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?