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#哲学
つれづれなるままに Part6
インターネットにかぎらず、すべての表現が、まず最初に受け手を刺激することが大切だと気付いた瞬間から、ポルノ化を考慮に入れ始めるとしても、人間の欲望が変わってしまえば、あからさまなそれを考慮に入れる必要はない、はずだ。そしてそういう世界が訪れても不思議はない気がするのに、ぜんぜん訪れない。
ふと気がつくと、また違う朝が来ていて、
わたしはそれほどには変わっていないままに、くだらない悩みを反復して
与えることから始まる。もちろん無理はしなくてよい。
まず、じぶんのできることをやると、与えることができる。
そういうふうに世界はできている。
そのことを何度でも思い出すこと。あなたはすでに与えている。
あなたには分からなくても絶対に何かを与えているのだ。
与えることができたと実感することが遅れても、大丈夫。
たまに、実感することができ、だからあなたは与え続けている。
存在することをやめなくてよいのだ。
じぶんのできることを、りきまずに、やればよい。
何度でも哲学を始めよう(1)
もう一度シンプルな問いに戻ろう。
意味とは何か。
ぼくらは欲望とともに存在している。いつも世界は意味として現れるが、それらは欲望と相関しているのだ。世界は意味に分節されて現れる。しかしそれらはつねに欲望の対象ではない。さまざまな対象が、おもに事物が、現れているが、ほとんどの対象や事物は、ぼくらの欲望に対して中立である。少し遠くのお店に行こうとするとき、よく晴れた青い空は、特にその欲望に対して作