美しい場所のほうへ

美しい場所がやってくる、

ひとは聴きたい言葉しか聴くことができず、書きたい言葉しか書くことができない。
その不自由の中にこそ、自分という存在が現象し、それを把握することで私たちは愛くるしい感情に巻き込まれてゆく。
言葉はそれを発することで世界を動かしているように見えるが、実際は言葉が発されたときにすでに世界は動いており、
あとになって振り返るまでそうだと分からない。
私たちはどうしようもなく息をして目を見る、そのときに熱を伝え続ける動きを絶やさないでいたい。

自分の心から湧き上がる力だけが私の身体を動かす。
この力を伝えるためにだけ私は生きている。誰かからもらった熱を、他の誰かへと放つ。
放つのは言葉によってだけではない、あらゆる手段を使って、みんなの受容器に働きかけるのだ。

芸術はエンターテインメントではない、その場しのぎを超えたときに真に心は震え、
リズムが刻まれ、生きる希望を生成する。
伝わると信じるときにその回路は開き、私たちはつながることができる。

平凡な記号であるかどうかなど何も関係がない。
私たちはそれほどに道具を持っていなくても、連ねることができる。
連ねていくと、流れができ、流れができると波ができる。

湧き上がるこの力は、私の心から溢れ出て、あなたの心に届くだろう。

私たちはさまざまに分化して、異なる姿で存在するが、話し続ける。
表現しあい続ける、それは甘いことではなく、一瞬一瞬に力を込めるためである。
それが生きることを支え、生きるという意味を変える。

違う姿で生まれ、しかし同じところがあると感じている。
力が伝わると知っている。だから伝えなければならない。伝えたい、伝えたい、伝えたい。

美しい場所がやってくる。

私はなぜ存在するのか。この力があったからだ。
いつかの祖先は好奇心を持ち、あるいは縛られたくなくて、新しい土地を目指し、
気づけば地球上に散らばった。

だがこの湧き上がる気持ち、この力だけが、全てを為したのだ。

空に海に山に石に、骨に肉に草に実に、色に音に触り心地に。
私たちは世界を味わった。そして訪れたに違いない。
力がわれわれを掴むときが。

ここでぼくらは動き始める。
動き始めると見えが変わる。
聞こえも変わる、触りも変わる。五感が変わるのだ。

そこは別のステージ。自由に舞うことで、力はぼくらをつなげてゆく。
ぼくらは心的に大事なものを共有する。
すべてはその力を伝えあって生きるためなのだと思い出す。

場所が美しくなる。

ぼくらは場所をつくっていく。この広い心に生まれた場所を、着実にものとして眼前に出現させてゆく。
そのときにもっとぼくらは感動する。
こんな簡単なことを続けていくことで、生きていくのだと実感する。

美しい場所で存在するのだ。

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