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ドンヨリ曇り空

7.30 日記

いくら好きな音楽を聞いても、気持ちは上がらない。そんな時がある。

元々不眠症ということもあり、全く眠れない。やっと寝れるのは朝の6:00。

夏休みってこんなにキツかったっけ?と思う。

特にやることもない。バイトをしたいが、全く体力がない。この前ライブに行った次の日、一日中寝ていた。そんくらい体力がない。ショボすぎる。

自分ってなんなんやろう。そんな気持ち。

自分の言葉には説得力も影響力も無く、誰かの人生に触れることはあっても響くことも無く、言葉を発するだけ、綴るだけ無駄なんじゃないかと思う。



こんなとき、本当に死にたくなる。

こんな自分に生きる価値はない。自分の言葉に価値はない。でも当たり前だが死ねるわけがない。わたしは何もしてない。まだ何もしてない。大学すらまともに行けてない。単位もまともに取れていない。
こうゆう奴らをみんなは社会不適合者と言う。
こうゆう奴らはみんな自分のことを社会不適合者と言う。
でもわたしはちがう。ただ何もしていないだけ。できるのに、何もしていないだけ。

みんな何かしらの才能や可能性がある。勿論わたしにもある。ただ行動を起こさないだけで、隠れた活力が有り余っているはず。隠れ手持ち無沙汰。


寝れないとき、東京事変を聴く。命の帳を聴いた。好きな曲のひとつ。盛り上がりたくないときにちょうどいい。心が平穏を求めている。

元気がないとき、エレカシを聴く。ブルーハーツを聴く。でも元気は出ない。「さあ頑張ろうぜ」やら「ガンバレ!」やら、やる気に響くはずの歌が、ただひたすら涙腺に響く。ただひたすら涙が流れる。


外野が、おまえはスマホを観てるから眠れないとか、本読んでるから眠れないとか、そうゆうことを言ってくる。そんなとき、「いや逆ゥー!」って、不眠症の奴なら言うはず。わかってくれるはず。

勿論実家に帰ってきているわけだから、親に怒られる。19で親に怒られる自分がいやらしい。不甲斐ない。セコい。卑しい。浅ましい。不愉快。

こうゆうとき、本当に人生を立て直さなきゃいけない。ピンチはチャンスなのかもしれない。いまこのドンヨリした日々を転機に一気に成長できるかもしれない。
でも、今までわたしはそれを何度も繰り返して来た。良くなったり悪くなったり。しょうもない、波のある人生。荒波ではない。しょうもない波。
だから自分には自信がない。



東京事変のライブ映像を観た。
死にたい自分の為でもあった。この人たちの音楽から、活力を少しでも画面越しに貰いたい。

文字にすると嫌な「死にたい」という言葉。実際死ねないんだから、「死にたい」という言葉が可哀想だな。

わたしに聴かれる音は可哀想なのだろうか。聴かれて幸せだろうか。

人生で何度椎名林檎を観てこんな女性になりたいと思っただろう。いや、なりたくてもなれないし、なる気もない。わたしがなると意味がない。わたしは憧れ続けていたい。


本当に良いものに出会うと、「良い」としか言えなくなる。

よく技術云々をひたすら褒める奴がいる。正直、技術は大事。だがそれ以上に大事なものがあると思う。わたしは浅いものがこの世で一番嫌いだから、そう思うのかもしれない。



昨日今日の空〜を読んで、泣いた。こんな本を今の自分は求めていたのかもしれない。
誰が見ても言い過ぎだと言うかもしれないけれど、今の自分には響いた。こうなりたい、孤独であっても、自分の中に言葉や考え方を持って生きていきたいと思った。


昨日、「FOUL」のライブ映像を初めて観た。かっこいい。衝撃。リアルタイムでこの人たちの音楽を追っていたかった。親が好きだったらよかったのにな
でも自分が好きになって、聴かないと、それこそ本当に意味がなくなっちゃうのかもしれない。

私は本当に格好良い大人は東京事変だと信じている。そこに細かな理由は要らない。

自分が大人になってもずっと東京事変を格好良いと信じていたい。自分のこの感覚を大切にしていたい。ただ素直に、率直に、「かっこいい」これだけでいいと思う。感じたまま。


長岡さんがインタビューで、「世の中のものって人が作ってるから、人と接することが大事なんじゃないかな」と言っていた。

わたしがずっと頭の隅で思ってたことがある。SNSが主流の今の時代では、何でもすぐ情報が手に入る。でも手間がかかった方がその価値は遥かに高い。長岡さんが、同じようなことを言っていた。
そんな経験をしたかった。もう少し昔に生まれて、歩いてレコードショップへ行って、お小遣いでレコードを買いたかった。簡単に音楽が聴けない時代に行きたい。CDやレコードを買わないと、聴けない時代。簡単にライブ映像が見れない時代。不便だが、それはそれで楽しそう。自ら探し求めて、見つけ出して、お金を出して手に入れたものは、きっとその人にとって、その瞬間から宝物になるんだろうな。そうゆう作業が羨ましい。わたしには行動力がないけど、そんな青春時代を過ごしたかったなとか思う。


わたしはSNSをやるのが疲れてしまうタイプなのに、ずっとそこにいてしまう。自分の居場所をそこに設定してしまう。SNSに対しての疑問は多い。モヤモヤすることが本当に多い。みんなスマホを触る時代。
世の中のものは人が作っている。ずっとSNSにいる人生は本当に勿体ない。もっと色んなものに触れた方がいいに決まってる。人と接すれば接するほど、もっとあらゆる角度でいろんなものが知れる。損もあるかもしれないが、得の方が多いだろう。わたしはひとと関わるのが苦手ではないが、好きじゃない。難しい問題。


昨日から「群青日和」を聴きたくなって、というか群青日和のライブ映像をリビングのテレビで観たくて、観れなかったのでさっきパソコンで観た。
ぼーっと、ただこうやって好きな音楽に触れている時間が本当に好きだなと思った。
なんやかんや言うてくる奴はいるけど、本当に好きなものは好きでいていい。



H ZETTRIOを聴いた。

わたしはインスト音楽が好きなので、落ち着く。この時間のジャズは落ち着く。それが騒がしくても、静かでも、心は常に一定のテンションを保ち続けている。
心を無駄にしていると感じたとき、空っぽなとき、わたしは言葉を求めたがる。歌詞が必要。日本語の曲が必要。そう思って、エレカシや東京事変を聞く。
でもインスト音楽はまっすぐ自分に向かって来てくれる感じがする。元気なときもそうでないときも、変わらずに音を聴かせてくれる。そもそもわたしはそこまで歌詞を重要視していないし、歌詞があれば調べたり聞いたりするけど、音だけの音楽が好き。ベースの音が好き。ドラムの音が好き。
ジャムセッションやライブで、楽しそうにお互いを見ながら、互いに邪魔をせず、支え合って、楽しんで演奏する姿。それを観るのが好き。
ジャズセッションがいちばん聴いていて、観ていて楽しい。コードを持ち合わせて、それを基準に、ベース、ドラム、ピアノ、バラバラなのにひとつの音楽として成立させている神技。ジャズってすごい。
ジャズは難しい。わたしもジャズピアノに手を出したことがあるが、クラシックとはまるで違う。
音に何が正解とかない。それがいい。
必ずしも音楽に歌詞は必要ない。むしろ要らないかもしれない。
音楽でなにか表現するのって、いちばん良い方法なんじゃないかな。
心が思うままに、表現できる。音楽家たちが羨ましい。
わたしもギター、ベース、ドラム、ピアノ、サックス、彼らを演奏したい。



あーーー

もう寝ないとな。
こうゆうとき、タバコが吸えたらなとかおもう。

人がタバコを吸い始める理由、「かっこいい」以外にある?

わたしはただただ落ち着かせて無にさせたくて、今吸いたい。タバコが吸えたらどうなるかわたしはわからない。
麻薬とかもそう。やったことがないから、やればどうなるかわからない。人から聞いても、経験者にしかわからないものがあると思う。麻薬のことは今どうでもいいし興味がないけど

タバコを吸えたらどうなるのか。肺がどうとか声がどうとかそんなことを聞いてるわけじゃない。精神的に、心はどうなるんだろう。落ち着くのかな。ホッとするのかな。まあそう踏んでるから吸いたいんだけれども。
むしゃくしゃするとき、イライラするとき、そんなときに使う手段があっても良いんじゃないかと思っている。危ないもの以外で。
タバコを吸ってそのひとが落ち着けるのなら、それでいいだろ。そう思ってるから。
タバコの匂いが落ち着く。中学生の頃からそう思っていた。マセガキとか厨二病って思ってたけど、未だにそう。むしろマセガキや厨二病でいいんじゃないか。
臭いやつは臭いけど、無駄に落ち着くときがある。ふとタバコの匂いがしたとき、あー。落ち着く。そう思う時がある。
自分が来年吸うかどうかとかはどうでもいい。
吸いたきゃ吸えば良い。外野の意見はわたしはどうでもいい。

なんか最近、良くないな。
どうやったら健康に毎日普通に過ごせるんだろう。

アンサーはもうすでにわかっている。

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