岩原修爾

登山の記録もしくは遭難の記録 プロフィールを読んでください。

岩原修爾

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最近の記事

越後白山 粟ヶ岳

700円で「美人の湯」という公共浴場に入れる(2004) ここからの粟は美しく夕陽に輝き神々しささえ感じる。もちろん疲れもすっ飛ぶ。

    • 未丈が岳 1553m

      2001年(平成13)8月26日 帰路、道に迷い2日間野宿。 ヘリにより救出。 擦り傷、切り傷、虫刺され、かぶれ、打撲など全治10日ほど。 反省点だらけだが幸運だった。 道に迷ったのに沢にすべり降りて裸になって泳いだ。なんたる余裕か! 対岸の急斜面をよじ登って路に出たが、そこで左右をまちがえる。ここから全ての災厄が始まった。 沢を尻セードで川原まで下る。そこを蜂が襲ってきた。ズボンは破れた。 人声がするので待っていたが来ないので捜すが錯覚だった。 虫の声、川の音、ときどき

      • 県内の山

        ふるさとを代表する山のひとつである飯豊連峰の前衛峰、展望は圧巻。一王子(3合目)三王子(?)四王子(奥の院)とある。 登山口の二王子神社は落ち着いた美しい建築物だ。この山は高校時代に冬季挑戦して撤退した記憶がある。誰と一緒だったか忘れた。それから何年たったか。 1999~2010年、数えたら15回訪れている。 冬場は登山口神社まで50分近く歩くことになる。 秋の奥胎内三光山経由「紅葉のトンネル」がすごい。 春は枯木に猿の集団を見、けものの異様な匂いが漂う。 夏は疲れるだけで申

        • 八ヶ岳

          グループ登山(ワンゲル8名)で2年で南北「制覇」 南の2日間は最悪だった。強風とガスと寒気で低体温症の一歩手前 ・ロープに捕まらないと道から外れる ・鎖場で持ち替えたストックを絶壁のガスの中に落とす ・ザックカバーがめくれて飛んでいく ・根石山荘前を風の中這っていったが倒されて立ち上がれない ・全体に歩くというより這う感じ。景色など皆無 ・根石岳は季節風で通り抜けるところでトップクラスの強風地帯らしい 悪天候過ぎた 並んでいる山をひととおり通過しただけの山旅だった。 翌年の

          尾瀬ヶ原

          1996年7月 贅沢なハイキング 鳩待→山ノ鼻(泊)→長蔵小屋(泊)→三平峠→大清水(アキと一緒) その後 青山68会の団体(12名)、同(9名)親戚兄弟(10名)森田・加藤(3名)などグループハイキングを繰り返す。 燧は長い道のりだが、感動も深い。シルクスクリーンで御池田代の年賀状を作った。

          巻機山

          2001年8月4日 桜坂🅿️で車中泊 登山口に、町の職員?が沢登の注意をしていた。2人組が先行していたので、気軽に出発する。 割引沢とヌクビ沢の出合あたりで天候急変、ヤブの中で立ち往生。ずぶ濡れになり(登頂は断念)ブッシュの中で雨宿りをする。目の前のクルマユリがとても美しかった。 戻りの沢が濁流となり泡を立てて流れており、極めて危険だったので登り返してよさそうな所を渡ろうとした。急流に足を取られ3歩目で転倒。後ろ向きに流れ下った岩にあたって運良く停止したがメガネ、ストックを失

          鳴沢峰

          2006年(平成18)3月 そのまま適当に沢づたいに下る。雪のトンネルをくぐったりして、濡れ放題である。沢がゆるい勾配なので危険はない。 ようやく(約4時間、飲まず食わず)平地に出た時、一瞬のつまづきでタタラを踏み転倒。40~50cmくらいの石に胸を強打する。一週間くらい痛みが引かなかった。

          山の雑記帳

          山の記録帳をみると1995年(平成7)54歳の時に、弥彦山神社コースをヘトヘトになって登ったところから始まっている。高校時代、夏休みに先生の引率で鳥海山と白馬山に登って以来だから相当なブランクであった。 分厚い記録帳は4冊となり、よくぞこれだけ歩いたものだと我ながら感心する。 家族や友人、グループとの山行もあるが、ほとんどがひとりでの山旅であった。方向音痴で、足腰が弱く、準備が雑で諦めが早い性格でと、どう考えても登山には向いてない筈なのに、なぜか夢中になっていた。当然危険な

          山の雑記帳

          飯豊山

          1997(平成9年)9月30日 ガスが出て小雪まじり。手が痺れるほど寒い。景色は何もなし。 湯ノ平♨️~北俣岳の長~い尾根を歩いた。地図をまともに見れない未経験な時期だ。ガスの中にふと小屋がある。これが梅花皮小屋だと気がつかずに入ったのだから論外である。2、3人先客がいて、中は煙が充満、目も開けられない、そんな時代だった。 2000年(平成12)7月23日 駅前にノスタルジアという喫茶店があり、そのマスター(熊木)が石転雪渓のことをさかんに話していた。 早速実行した。 ガス

          御前ヶ遊窟 846m

          沢沿いの道、魚止めの滝から400mもの一枚岩スラブ、岩塔下の入りくんだルート。大きく分けてこの3つの登りをこなせば良いのだ。 何に引きづられたのか、数えてみたら8回も登っている。 そして遊窟まで到達したのは、たったの一度きりである。この山は失敗のオンパレードとして忘れることが出来ない。 1999年5月 スラブの上部でルートを見失い灌木帯に入ってしまう。疲れて気力をなくし、おそれいったことに救助を待とうと考えたり記録を残したりした。投了の気分で横になりひと眠りしたら元気が回復

          御前ヶ遊窟 846m

          平ヶ岳 2139m

          テントを担いで、台風9号のフェーン現象の中、ほとんど熱中症となる。 5分歩いて木陰に倒れ込む状態だった。 台倉清水まで歩いたが、池の岳を目前にして撤退。 2002年7月25、26日

          平ヶ岳 2139m

          苗場山 2145.3m

          台風11号が東北の方にそれた翌日。 曇天霧雨の中を和田小屋で登る。 游仙閣のあるじは、おしゃべりな男だ。有名人らしい(この小屋は今はない) 山頂手前のヒカリゴケはみものだ。 2005年8月27日

          苗場山 2145.3m

          爼倉山 856m

          高校時代に誰と一緒だったか忘れたが4、5人で登った山である。 甘くみていた。最初の徒歩地点で逆の急斜面をよじ登ってしまい、まるで別な尾根に出た。ヤブコギの末、沢に下るという失敗を犯した。 沢は次第に大きくなり滝を回り込もうとして非力を露呈。沢に転落して水の中で一回転す。 季節柄寒かったが怪我をしなかったのは幸運だった。お粗末な話である。1996年11月8日     ★   ★   ★   ★   ★   ★   ★    その後3回ほど訪れているが問題はない。春は美しい花

          爼倉山 856m

          火打山 2462m

          2004年7月2日 AM3:00,(笹ヶ峰着) 仮眠の後5:30に出発 石のガレ場で結構疲れたが、短パン、ランニングシャツでかけ登る若者に驚く。 高谷地から火打まで踏み段が多く消耗する。砂浴びする雷鳥を2mくらいの近くで見られたのは幸運。帰途も山岳マラソンの練習のような若者がいた。刺激になって頑張った。

          火打山 2462m

          妙高山 2454m

          2007年5月3日 新潟発AM3:30 燕温泉着AM5:30燕登山道 光明滝、称名滝あたりで雪道が不明となり、後から来た2人に着いていく羽目になる。(地図の見方悪し。主体性なし。資格なしだ)天狗平という休み場あり。美しい木の下でしばし寝入る。 山頂直下の岩場には切込みもあり鎖もあって安全ではあるが、疲れきっていて意欲減退す。見上げる岩山に圧倒さ!撤退する。天狗堂から一部尻セードで来た道を忠実に下った筈なのに、滝のあたりで道が途切れ、気が付いたら滝の直上垂直の崖に出てびっくり

          妙高山 2454m