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未丈が岳 1553m

2001年(平成13)8月26日
帰路、道に迷い2日間野宿。
ヘリにより救出。
擦り傷、切り傷、虫刺され、かぶれ、打撲など全治10日ほど。
反省点だらけだが幸運だった。

「あの赤い橋を渡ればよいのだ」

道に迷ったのに沢にすべり降りて裸になって泳いだ。なんたる余裕か!
対岸の急斜面をよじ登って路に出たが、そこで左右をまちがえる。ここから全ての災厄が始まった。

ぬれた衣類を乾かす。
落ち着いたものである。
地図もなく無意味に歩く。
小さな滝の脇にタイガーロープ。
どういうことだろう。

沢を尻セードで川原まで下る。そこを蜂が襲ってきた。ズボンは破れた。
人声がするので待っていたが来ないので捜すが錯覚だった。
虫の声、川の音、ときどき人の声、それとヘリの音。みんな幻であった。

深夜2:50頃ヘリの音とオービスのような光。2、3回発光あり。「救助隊が様子を見に来てくれた。夜明けと共に救出される」と思った。全て幻視聴。

足場の離れた岩場を枝につかまって、ジャンプして移動。考えただけでもゾッとする場面である。特別目的地がはっきりしているわけではない。狂った動き、としか言いようがない。
流木にタオルをまいて救出の目印にする。仏像のような人影があり大声で呼びかける。
樹木だった。
朝4:00頃、沢から蝶がわき出して空を埋めた。これは何だろう。今でも疑問である。

勝手に判断して動き回っていたら山影にヘリを発見(3日目の朝)道の脇にある灌木を揺らして発見してもらった(AM10:20)

空中から見た山並みと渓谷の美しさは思わずヘリの窓に近寄ってしまうほどすばらしい眺めだった。3日無駄に動きまわったところをわずか5分ほどで🅿️に到着した。

心配してくれた家族や親戚の手前、元気なところを見せようと、ヘリから「軽快」に飛び降りた(つまらない見栄だ)その後警察との手続きなど詳しい事は記憶にない。

小出警察と消防署に各酒1本後日届ける。鈴木皮膚科でスネにはえ出した植物の除去と消毒をしてもらった。この間、初日のおにぎり(4ケ)くらいしか食べていないのに、空腹感はなかった。

遭難前後と新聞報道

2000年(平成12)7月14日

初めて未丈が岳へ。異常な暑さと水不足と重い荷物で完全にダウン。撤退。足の指の爪が駄目になる。

2001年(平成13)5月10日

残雪で道不明。滑落防止の練習など遊んでいた。失敗して滑落(谷のデブリまで)。ヒジを骨近くまですりむく重症。鈴木皮膚科に通うはめになった。

*️⃣ 遭難 *️⃣ 2001年8月26~28日

2003年(平成15)8月8日

遭難現場検証。電源開発が計画を中止。撤退したので仮設の橋が2ヵ所ほどはずされていた。難なく山頂を往復した。おそまつな道迷いだったとあきれた。

2005年(平成17)7月20日

山ともすっかり折り合いがつき、気持ちよく登ってきた。山に挨拶をしてきたような気分であった。

2008年(平成20 )9月6日

途中、不整脈が出て20分くらい休んだが中止とした。雨に打たれ🅿️で丸裸になって着替え、パンツ一丁で運転して帰る。未丈が岳との最後のおわかれであった。
生涯、忘れられない山である。


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