御前ヶ遊窟 846m
沢沿いの道、魚止めの滝から400mもの一枚岩スラブ、岩塔下の入りくんだルート。大きく分けてこの3つの登りをこなせば良いのだ。
何に引きづられたのか、数えてみたら8回も登っている。
そして遊窟まで到達したのは、たったの一度きりである。この山は失敗のオンパレードとして忘れることが出来ない。
1999年5月
スラブの上部でルートを見失い灌木帯に入ってしまう。疲れて気力をなくし、おそれいったことに救助を待とうと考えたり記録を残したりした。投了の気分で横になりひと眠りしたら元気が回復し、強引にヤブコギをして上を目指したら尾根筋に出た。ソウケイ新道という帰路の道であった。
2000年9月
T君と2人で行った。魚止めの滝まで行くことができず、もがいて動いている間に、ぬかるみ道から沢へ滑落。T君に引き上げてもらう。腐った草の斜面は大変だった。メガネを飛ばしたり、ストックを落としたり、そのつどTの世話となる。大感謝。
2003年9月
スラブを登りきったその先で道を失う。行き止まりから上を見たら道があるように見えた。よじ登ろうとしたが荷が引っ掛かって無理なので、先に荷を投げ上げた。その後登ろうとしたが、力及ばず、まわり道を捜す。そのうち位置がわからなくなって、すべてを放棄し、スラブを下るという危険を犯してようやく戻った。
ズボンは破れ、車のキイは落とし、傷だらけとなる。平坦地で転倒し、頭より出血。メガネもゆがむ。おまけに熊にまで会い、びっくりして大声で歌う。
登山のノートに「リュックを見つけた方、連絡下さい」と記録。
血だらけの手拭いを巻いたまま林道を1時間歩き、民家で電話を借りて家に連絡。真っ暗闇の中、始めての山道を迎えに来てもらい(スペアキーで動かす)2台連ねて深夜に帰宅。
2003年10月
落とし物を捜しに行ったが不明。ストック、食料、カメラ、ツエルト、スケッチブック、雨具、替着、飲料とリュック、ラジオも皆どこへいったか、猿か熊がいじって谷に落としたか。
2006年6月
上川村山開き。行ってみたら一週間前だった。途中で撤退。
2007年6月
山開き。大勢についていってようやく岩穴、遊窟へ。感動なし。
2009年10月
シジミ沢の出合の風景が異なり、スラブ入口が不明。撤退。
不思議な山だ。
なぜ、これほど執念深く繰り返したのか。
そもそもはスタック新潟の近くのテーラー伊藤氏(山好きで五頭に小屋を持っている)が、いい山だヨと簡単そうに言っていたのがきっかけではあった。
比較的近くて、沢からスラブ、ブッシュ、複雑なルート、帰途のソウケイ新道からの眺望…変化に富んだ山、おまけにいつも静かだ。
道に迷ったり、物を無くしたり、怪我をしたり、こういうことがないと楽しくないのでは少し異常か。
さすがに2009年魚止めの滝の登り口がわからないようでは、もはやおしまい。