自己否定と完璧主義が幸せを引き寄せた!?
ぶえっっっくしょ・・・ガッ◻︎%×$☆♭#▲!?
くしゃみをしたら、舌かんだーーー!
バチクソいたかったわ!!!
こんにちは!
大阪・兵庫で活動するファッションセラピストの上杉いとです。
最近、バチクソ(関西?の方言で“めっちゃ”)をおぼえたので使ってみました☆
汚い方言なので、紳士淑女は使わないでね!
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ブログを書くようになって、約3週間。
最近は「自己否定」について考えるのが非常にたのしいです。これまでは頭のなかで過去の自分を俯瞰して見ていたんですが、ブログでのアウトプットは客観視できるのでよりたのしく感じます。
しかし、ブログの書きはじめは毎日投稿できていたのに、1週間も過ぎると2日に1記事ペース。ブログを書くことはまったく苦になっていないのですが、ほかにもやることがたくさんあるので、なかなかペースを保てなくて・・・
ついに、2日に1記事ペースもくずれてしまった!
けっして怠けてるわけじゃないねん!
ただ、いろいろ用事があって・・・
食事や寝る時間だって必要だし、、、
「あぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「なんで自分が決めたこともできへんのやぁぁぁ!!ダメ人間すぎるやろぉぉぉ!!!」
なんて、思ってませんよ?
「しゃーない。しゃーない。」
「ムリして書いてしんどくなって嫌になるより、たのしく書きつづけられることを最優先しよ!」って思ってます。
完璧主義者は非難されやすい
実はわたし、バリバリの完璧主義者です。
夫に「俺は、いとほど完璧主義じゃないから」とよくディスられます。(ムカつくよね!)
たとえば、掃除とか片付けとか、掃除とか片付けとか、掃除とか片付けとか、掃除とか片付けとか、掃除とか片付けとか・・・
(おっと、いけない。止まらなくなるとことだった)
まぁ、自分が完璧にやりたいがゆえに、ひとにも完璧をナチュラルに求めてしまうので言われてもしかたがないんですけどね。
夫婦のことはさておき、以前のわたしなら、最初に決めたブログの投稿ペースが守れない(できない)自分に苛立ちを覚えていたことでしょう。
しかし、自己否定をほとんどしなくなった現在は、完璧主義傾向が強いままでも「ま、いっか☆」とできない自分を受け入れて許すことができるようになりました。
自己否定と完璧主義の原因はここにあった
わたしの両親は否定的な言葉で子育てをするひとでした。
「おかあさん、のどがいたい」と訴えれば、「あんたがいつも布団を蹴とばして寝てるからでしょ。布団をかけてあげてもまた蹴とばすし。」と呆れられ、
テストで悪い点が多かったときは、「なんでこんなに悪い点数をとるんだ」と1時間くらい叱られてました。
テストで99点をとったとき、ほめてもらえるだろうと報告すると「なんであと1点がとれないわけ?」と叱られ、
褒められたくて1人で家族の料理をつくってみれば、「性格のキツイいとが作る料理は、味もやっぱりキツくなる。」とけなされて、一事が万事、こんな調子で否定されていました。
つらかったのが、「お姉ちゃんはこんなにできるのにね。」とほかの兄弟姉妹を引き合いにだして否定されることでした。
(おとうさん、おかあさん、いとも2人にほめられたいよ。頑張ったね、えらかったね。おとうさんもおかあさんも、すごくうれしいよって言ってもらいたいよ…)
どんなに頑張ってもほめられない。それどころか、頑張るほどに否定されて、冷たいことばを聞くたびに胸が張り裂けそうでした。
ほめられないから、ほめられたい。
否定されるから、否定されたくない。
どうしたら、ほめてもらえるの?
どうしたら、否定されずにすむの?
わたしは完璧にできない、失敗するからほめられないんだ。
みんなとちがってわたしはダメな子だから否定されるんだ。
幼い子どもが一生懸命考えた結果、
まわりと比べてダメな自分を反省しなければいけないと自分のできていないところを気にして自己否定するようになり、また、完璧なわたしになれば、きっとほめてもらえるはずと完璧な自分を求めるようになっていきました。
それはまるで底なし沼・・・
努力しても努力できなくても、わたしはわたし。「どんなわたしでも、わたしを好きでいてくれるひとがいる」
幼いころからこう思えていたらどれだけよかったでしょう。
その真逆の価値観を植えつけてしまったわたしは、失敗をしない完璧なわたしでないと両親に認めてもらえないと完璧主義的思考になり、ほめられるほど優れているものがないからと自己否定を強めていきます。
小5の2学期、成績を上げよう!と思い立って、毎日1時間、早起きして予習したときがありました。
その甲斐あって通知表の◎が1学期よりも大幅に増え、これなら絶対ほめてもらえる!と◎でいっぱいの通知表を母に見せました。
「ねぇ、おかあさん!見て!こんなに◎が増えたよ!」
「ふ~ん。そうだね。」
これだけでした。
(これじゃダメなんだ…。そっか、全部◎じゃないから…やっぱり、完璧な成績じゃないとほめにくいよね)反省しなきゃ!と完璧でない自分をまだまだダメな子だと自己否定しました。
また、中3の通知表で10段階中ほぼ「8〜10」の評価をとったときには、「なんで6があるわけ?」と1つだけあった「6」を指摘されました。
なにも言えないでいると、弟の通知表を見だして「頑張ったじゃん!」と笑顔でほめだしました。あとで弟の通知表を見せてもらったら、「5、6」だけ。
(たった1つでも悪い評価があればダメなんだ…やっぱりわたしは完璧にならなきゃ)
(弟はこんなに悪くてもほめられるのに、、、わたしはほめる価値もない子なの…?)
こういったできごとの積み重ねにより、
【わたしは価値がないからほめられない→完璧になればきっと認めてもらえる→完璧にできない→そんな自分を自己否定→次こそはと完璧を目指す→ 以下ループ】
自己否定と完璧主義的な思考にハマって抜け出せなくなっていきました。
自己否定も完璧主義もなくならない!?
わたしの完璧主義的思考は気質によるところもあるので、一生この完璧主義のわたしとつき合っていかねばならないと思っています。
こころに余裕がなくなると、いまでも自己否定したがるわたしがひょっこり現れます。
完璧主義的思考とタッグを組んで、わたしを底なし沼に沈めようとします。
それでも、今のわたしは過去のときのように、泥のなかでもがき苦しみ、どんどん沈んでいく恐怖に襲われることはもうありません。
それは、
「わたしにも良いところがたくさんある」
「ダメなわたしを知っても、受け入れてくれるひとがたくさんいる」
「完璧でなくてもいいし、完璧主義の自分があってもいい」
ということに気づけたからです。
ひとは必要なときに、必要なひとと出会う
自己否定と完璧主義的思考の沼から抜けだすためには、完全にダメな自分をなくそうとは思わないこと。だめな自分を許し、どんな自分も丸ごと受けとめる。
行きすぎた思考になるから苦しいのであって、そうでなければ、自己否定も完璧主義もプラスに働くいいものになります。
ひとりで解決しようとしていたときは、暗く終わりの見えない道をさまよっているかのような不安に駆られていました。イヤになって何もかも放りだしたくなるときが何度もあったし、すべてを手放したときもありました。
習慣化された自己否定と完璧主義的思考を手放すことは簡単ではありませんでしたが、それでも、あきらめきれなかった思いが光を引き寄せたように思います。
どんなわたしも、なくす必要のない大切なわたし。
そうやって自分を受け入れ、マイナスと感じていた自己否定と完璧主義をプラスにできるようになったのは、「わたしはわたしでいい」と教えてくれたひとがいたからでした。
変わりたい、自分を好きになりたいと暗闇でもがいていたときにわたしを明るく照らし導いてくれたひとがいたから、自分のことを好きだと思えるようになったのです。
わたしがそうしてもらったように、わたしもあなたを照らし、しあわせに導くひとになりたいと、自己否定と完璧主義の自分が原動力になって今があります。
「嫌いだった自分のことを好きになれる」
思いが強かったぶん、好きになれたときのしあわせも大きいです。
自分のことを嫌いと思うあなたに、自分を好きになれる方法があるんだよ、とこれからも発信していきたいと思います。