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ルーティンの話。
私は毎朝、コーヒーを豆から淹れている。
1年前くらいから、気づいたら始めていたルーティンだ。
深煎りの豆を、友人にもらったミルで手挽きする。先輩にもらったドリッパーで淹れて、元バイト先の店長にもらったマグカップで楽しむ。
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弟がくれたマシュマロ、何代目かわからないロルバーン
誰かがどこかで、
「朝いちばんの感情が、1日を通して残り続ける」
って言ってた。
そうか、
「自分のためにちょっと手間をかけて、おいしいコーヒーを淹れてあげられた」って気持ちになれるから、私はこのルーティンを続けているのかも知れない。自分に優しくできたって感覚になれるから、毎朝続けているのかも知れない。
事実、適応障害だった頃と比べて、最近の私はごきげんだ。
大学時代、ルーティンワークを続けているバイト先のお客さんの話を聞いて、「同じことの繰り返しはつまらなくて退屈そう」と思っていた。
毎日違うことをして、ワクワク考えて、日々が色んなカラーになった方が絶対楽しいじゃん!と思っていた。
でもそのルーティンが、自分のために、労わって、優しくして、より良く過ごせるようにやっているものであれば、良さが今ならわかる気がする。
「しなきゃだめ」より「してあげる」感覚で。
悪く無いかもね、ルーティン。
もしどこかでお客さんと再会できたら、このことを話そうと思う。