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随筆(2020/9/4):クソリアリスト、ストレスに死す(そんなやつのどこが適応的なんだ)2.世界が見えすぎることによるストレス
2.世界が見えすぎることによるストレス
2_1.現状認識の解像度を上げることは、ふつう、生き残りのためだ
メチャクチャ当たり前のことを言いますが、リアリストになるには、現状認識がちゃんとしてないと話になりません。
現状認識のなってない状態で、リアリストを自称する人、端的に言って、ヤバイ人じゃん。
そして、リアリストになるのも、現状認識をちゃんとさせるのも、目的があってやることです。
ふつうは、自分が生き残って、出来るだけ辛くないように、出来れば楽しく、生きていくためですね。
そういう専門用語で言うと、「適応」のためです。
我々が生きている世界は、まずは論理や物理の支配する世界です。
洒落の通じない世界を適応的に泳ぎきるには、
「お外の世界で、いったい何が起きた?」
という現状認識は欠かせません。
養育者に育てられているうちは、別に見なくても生きていけるが、それにも限界がある。
限界から向こうの世界では、ちゃんと見ていなければならない。
そんな訳で、適応のために、現状認識の解像度を上げていくべきフェーズが、当面続く訳です。
2_2.解像度の向上が、自己目的化することがある
現状認識の解像度を上げていくことは、現実世界で何らかの行為を実践する、実際にやっていく才能、特に技能に、かなり強烈に効いてくるものです。
技能を「所有」することや、技能の「効率」を上げることをもって、適応していく。という観点からすると、これはもちろん「善い」ことです。
なので、これを受け入れた人は、
「世界に目利きと技能をぶつけて、適正な形に整えて、それらをひたすら上げていくと、これは素晴らしいことである」
というモードになり、結果としてそれらはひたすら上がっていきます。
***
で、
「この世界で人生を辛くなく楽しくやっていく。適応する」
という目的は、当面忘れ去られます。
覚えていても、それは目利きや技能を伸ばすことに、必ずしも寄与しないことがあるからです。
特に、直接の手段ではなく、そのために要請される基礎を固める場合、ここは顕著になってきます。
基礎固めは、どうしても、ニーズからすれば間接的な営みであって、
「それをやって直接的に満たされないなら、現に関係ないやんけ」
と思われてしまいがちだからです。
「前提の前提は前提と同じ、結果の結果は結果と同じ」
という、ある種の結合性を認める場合、
「それは後でちゃんと効いてくる」
と納得できるのだが、それは万人が出来ることじゃあない。
正直、直接的に効いてこないニーズのことは、基礎固めの際には忘れてもよい。
それについてわざわざ、間接的な結合性の回路を回さねばならないの、はっきり言って脳のメモリの無駄遣いだ。
そんなことをしないで、黙々とやった方が、目利きや技能の伸びは速くなる。
そもそも目利き自体が、ニーズではなく、技能のための、間接的なものです。
なので、上と同じ話が、目利き自体にも適用される。
ニーズのことは忘れて、技能の向上を目的として、目利きを伸ばす方が、しばしば習得は速い。
2_3.自己目的化した解像度の向上が、生き残りに効いて来ない、無駄になることがある
こうして、解像度の向上は、自己目的化します。
これには、迷わない、テキパキやれる、というメリットがあります。
しかし、これには実は、あるトラップも潜んでいます。
辛くなく楽しい生き残りを筆頭とした、何らかのニーズのために、外の世界で何かをやっていく。
これには、もちろん、適切な技能が要る。
で、
「ここまで出来れば、差し当たり、問題なく、やっていける」
という適正な要求水準が、たいてい何事にもついて回る。
それを越えた高い技能は、そのニーズを満たすという観点からは、ふつう、無駄なものだ。
目利き? 同じ。
高い目利き、しばしば、無駄。
2_4.自己目的化した解像度の向上が、ストレスを介して、生き残りを脅かすことがある
そんな訳で。
目利きというものは、外の世界に対するものであり、しかもニーズに直結するものではない。ということが分かってくる。
ここから、ある、厳しい事態が、副作用としてもたらされる。
何か。
目利きには、外の世界の見たくねえもんが、もれなく見えてくる。
そういう、嫌なオマケつきのものだ、ということだ。
そらそうよ。
お外にあるもんは、こちらの都合と関係なく、ある。
見えるもんも、こちらの都合と関係なく、見える。
もちろん、嫌なもんも、たくさん、見えてくる訳だ。
***
で、それが、適応を含む、何らかのニーズの実現のために必要なら、それはいいんですよ。
それらは嫌なものだが、もし解決すべき問題が見えているのなら、それはものすごいアド(優位性)です。
不意打ちを食らうよりも、あらかじめ見えていた方が、解決策があらかじめ立てやすくなる訳だ。
解決策を用意して、問題にたどり着いた時にバスッと斬り込めた方が、そうでなく徒手空拳でステゴロキメるより、はるかに安全に決まってる。
そして、これは、解決したら、終わる。もうかかわり合いにならなくて済む。
しかも、これはしばしば、ものすごい経験値のオマケつきだ。それは、ある日、技能に効いてくる。一段上の水準に到達できる訳だ。レベルアップだ!
解決できなくても、解決できないことが分かること自体がアドだ。
それは、端的に、極力避けて通るべき障害として扱えばよいのだから。
障害を見て避けられるなら、それがあらかじめ見えていることは、これはもちろん猛烈なメリットだ。
これらは、避けたら、終わる。もうかかわり合いにならなくて済む。経験値はあまり上がらないかも知れないが…
***
(余談になりますが。
回避の見切りも、早目の初動も、速度も、逃げる技能のうちです。
そして、逃げる技能は、生きていく上で、ふつう考えられているより十倍程度大事なものです。
逃げきれなかった人の傷を見ると、世間はふつうに追撃で蹂躙して追放して、要するに傷を視界から追いやろうとします。
世間の多くの方は、共感能力が高く、痛がりで、ふつうに利己性が利他性より強い。
そりゃあ、他人の傷を見たら、当の他人ごと、視界から追い出そうともしますよね。
なので、逃げないで胸を張って戦って「しかも傷つく」と、端的にバカを見ます)
***
(さらに余談になりますが。
傷ついた人に優しくケアをするには、
・傷を見ても自分が痛まないサイコパス性か、
・傷を見て自分が痛んでも耐えられる忍耐力か、
・自分を高みに置いて、傷を見た自分の痛みを俯瞰して切り離せる、技能としての鈍感力か、
・傷ついた人をとにかく助けてあげたくてしょうがなくなる、かなり強めの利他性の、
いずれかが要ります。
単に共感性が強く、痛みに耐えられなくなり「暴れる」人が、どれほど人助けにおいて「妨害的」になるか。
ああ、なんか、思い出したら、腹が立ってきたぞ)
***
さて。
見えたものが、いつか準備期間を隔てて、しかし近いうちに巡り合う、解決すべき問題や回避すべき障害だったら。
これは、見えること自体はストレスの元ではある。
が、対策が立てられて、しかも近々それは効いてくる。
そうなのだとしたら、これは、有難いことです。
あと、今まで言わなかったけど、解決も回避も出来ないことが分かっているなら、耐久力と体力が許す限り、防御することも出来る訳です。
これは、防ぎきれば、終わる。もうかかわり合いにならなくて済む。
そういうつもりで立ち向かえば、これはこれで、覚悟が決まる。姿勢が据わる。
では、それらが、解決も回避も防御も出来ないものだったら。
「ある」ことだけは確かであり、下手するとこちらに悪影響があるものだったら。
そうでなくても、こちらはそれが「ある」ことを知っているから、単純に嫌な気分になる、という、そういう呪いのようなものだったら。
そんなもん、見えるだけ、嫌じゃないですか。ストレスの元じゃないですか。
自力でナントカ出来るものなら、まあいいさ。
どうにもならないものが、四六時中、拡張された視界に、影を落として映り込んでくる。
これ、ふつうに、消耗するやつですよ。
自分の技能をはるか越えて、世界が見えれば見えるほど、実はドンドコ無駄に消耗していく訳だ。
当然、消耗すればするほど、適応はメタメタに乱れていく。
ええー?
こんなトラップがあるなんて、聞いてねえぞ。
というか、これ、「頑張ったら罰があった」案件じゃねえか。
こんなん、ありかよ?
という訳で、目利きが上がると、適応に悪く効くことが、実はあります。マジかよ!?
(続く)
(ここで続くのかよ。ひっでえヒキだな)
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