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随筆(2023/6/11):問題解決のために問題未解決や問題解決不能と果てしなく向き合う_1.問題は、解決できるものばかりではない

1.問題解決は安心と爽快感をもたらす

人生、たいてい、困ったことだらけです。

たとえば、なんらかの問題があり、それがストレッサーになって苦しんだり、あるいは資源入手における参入障壁や、物理的排除をもたらしたりするなど、そういうことで困ったりします。
より具体的には、家庭でトラブルがあったり、家が安心して住めるような環境ではなくなったり、家族が殴ってきたり、そういうのですね。

そして、そうして問題の中には、解決したあかつきには困らなくなりスッキリする。そういう性質のものがかなりあります。

つまり?

問題解決ということは、一般に肯定的なものとされます。
それがなぜかというと、突き詰めれば「ストレッサーや参入障壁や脅威が除去され、困らなくなりスッキリする」からです。
問題解決価値の要は、安心爽快感にある」と言い換えても良いでしょう。

地獄のミサワ『女に惚れさす名言集』で健二(33)さんもそう言っている(そうは言ってないだろ)

2.そこのお前! 問題は解決するまでは未解決だぜ

この観点からすると、構造的な、そして困った話が避けられません。

何か?

当たり前の話ですが、問題解決するまで未解決です。
その間、その問題は、ストレッサーであり、参入障壁であり、脅威であり、ずっとそうであり続けます。


「そこのお前! 問題は解決するまでは未解決だぜ」とレモンマンも言っている(レモンマンって誰や)
しもんきん! しもんきんじゃないか! (誰だー!?)

そして、人間は、これに耐えられないことがしばしばあります。
うんざりして解決の努力を放棄してしまうんですね。
これは当たり前で、やっても何にも報酬がなく、体力気力は持ち出しになって、ただ消耗するからです。
いつか報酬がある? 現に何もないやろ。見てわからんのか。
やっとれっか。こんなん。

そう言いたくなることがずーっと続くと、人間は本当に努力をやめてしまいます。佃煮にするほどよくある、世界残酷物語です。

***

こうした構造的な上位問題を構造的に解決する方法は、ザッと3つあります。

  1. 手短に終わることをやり、小さいながらも達成感を得る

  2. 手強い問題を解決するには、ある程度時間と手間がかかる、と肚を括る

  3. 二面作戦をやると肚を括り、片手間で表の軽量級の問題を片付けつつ、もう片手で手強い問題をコツコツやり、ある日解決する

たいていこれらは組み合わせでやることになります。

***

変な話ですが、長編成長物語の創作上でも、これは使えるやり方です。
手強い問題をひたすら描いていると、読んでてうんざりすることがあります。
なので、表向きは
「小さな問題を解決していたら、次のより手強い問題を解決するために寄与した」
とか、
「いくつかの解決を果たしたら、それらのAND条件により、長らく解決できなかった問題が解決された」
とかのサクサクした話を描き、その裏で
「表向きは華々しい成功を収めつつ、なんか別に難しいことに挑戦してはいるけど、そっちはうまくいかないのよねー」
というのを小さなオチに持っていき、ある日
「実は必要ではあったが、およそ解決できそうにないとしか思われない超特大問題の壁が立ちはだかる。
しかし、不毛と思われた努力により、雨垂れが岩を穿つように、どうやらこのまま壁を崩すことに成功しそうに見える。
さらなる、しかし長すぎないタメの果てに、とうとう壁を突破し、先に向かうのだった」
とすれば、読者へのストレスはかなり軽くなる、という作劇が可能かと存じます。(具体例が思い浮かばないけど)

3.広義の問題解決不能のため、問題解決を断念することもある

なお、もう少し苦い話もあります。

  • その問題が直ちには解決できない性質のものである

  • 問題解決手段を持ち合わせていない

  • 問題解決のために必要とされる条件を欠く

  • 問題解決のための資源が足りない

場合、人間は問題解決を断念することがあります。
こうした状況を、この記事の中に限り、「狭義の問題解決不能」と呼ぶことにします。

そして、もっと微妙な判定基準として、

  • 解決しても消耗に報酬が見合わない

  • そもそも解決の見込みが低いと予想される

  • 解決可能であると信ずべき理由に乏しい

場合も、問題解決を断念することがあります。
これらの状況を、この記事の中に限り、「広義の問題解決不能」と呼ぶことにします。

このとき、当然ながら、問題は解決できません。

***

「それじゃ意味がないじゃないか」と思ってしまう人もいるかもしれません。

一見、それはその通りなのです。
しかし、実はここには、問題解決ということにおける、ある別の重大な上位問題が隠されています。

それは?

「問題解決による安心と爽快感が、果たしてそこまで自分の幸福な生活において有難いものであるか?」

ということです。
もうちょっと細かく言うと、

安心と爽快感は、快楽をもたらしているが、幸福な生活をもたらしているというより、むしろそれがないと自分が不幸であるような気がしているのではないだろうか。
だったら、こんなことをしている自分は、問題解決中毒者ではないか。
そんなことをしても幸福にはなれないし、別のものが必要なのに、安心と爽快感で己の目をくらませてごまかしているのではないか。
だったらその手段では目的には合わない。鍵と鍵穴が合ってない」

ということです。
もちろんこれはヤバイ成り行きだ。人生負けパターンに入りつつあると言っていい。

『胎界主』第二部ラスボスである寓話作家ピュアが、利己的な成長物語を果てしなく追求してそのまま詰んだ黒幕である古代イスラエル王ソロモンを、端末であるタロット・アス越しに煽るシーン

どういうことか?

それについて、次回からつらつらと書こうと思います。乞うご期待。

(続く)

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