日記(2022/8/1):キューネン本要約後の自分の近況(憩ってます)
1.意図的に休むということをした
ここしばらく、公私ともに猛烈に忙しく、テンションを無理やり上げてやっていました。
公の方は公務で、保健所業務です。コロナは第7波になっちゃったし、今流行っているオミクロン株BA.5は
感染力高
症状はやや重い(デルタ株ほどではない)
第3回接種時点での各種ワクチンで予防・症状軽減できる度合いがデルタ株の時ほどには大きくない
という感じで、悪質なので困ります。正直、仕事、パンクしかかってますね。
(とはいえ、ワクチン、打たないよりは打った方が、予防・症状軽減の度合いは目立って高いのです。ふつうに考えたら、打った方がいいでしょうね)
https://www.cov19-vaccine.mhlw.go.jp/qa/0111.html
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私事では、noteで数学基礎論や集合論に関するケネス・キューネンの本の記事を延々と書いていました。
べらぼうに疲れたのですが、数学基礎論や集合論に対する知見は大幅に向上しました。
特に論理学の様々なステージの話(少なくとも「ただの論理学」「記号論理学」「モデル理論」の順で高度化するし、これらの話は数学全体の構成の際には無視できない)が出てきて、これと様々な集合論上の概念とのウエハース構造が分かったのは大きな収穫でした。
ただでさえ論理学と集合論の間は説明同士の行き来が激しいのです。丁寧に読まないと、循環定義の罠に囚われて一歩も進めなくなるでしょう。
キューネン本は、注意深く読むと、そこから脱せられる手段が明記されているので、循環定義の嫌いな人にとっては、非常にメリットのある本です。
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さて、こんなことを果てしなくやっていたので、そろそろまた心身に限界がやってきました。
疲労感で神経が悲鳴を上げ、疲労でパフォーマンスが激減し、まずいことに睡眠の質が悪くなり、どんどん消耗して回復しなくなっていく。
そのうち、遂に、ここしばらくは仕事イヤイヤ期になりつつあったのです。
この土壇場で? ヤバイぞ。
ということで、できるだけリラックスするよう、様々な手段を試みたのでした。
忙しさに慣れると、あれほど欲しかったリラックス状態が、慣れてないので途方に暮れる源になってしまっていたのでした。
なんだそれは。
「ちゃんと」休みを満喫せねばならない。
少なくとも回復して仕事イヤイヤ期を脱しないと、明日も明後日もどんどんキツくなるぞ。
そのうちある日耐えられなくなるだろう。
また逃げるのか? ヤだが?
2.サウナ狂時代
最近は完全にサウナーになっており、サウナと水風呂と椅子寝と、あとこれに(思想抜きの)瞑想を組み合わせることで、自律神経を人為的に副交感神経優位にすることをやっていました。
瞑想と言っても、やることは2つです。
大きく吸って少しゆっくり吐いて、脳がボーッとするまで待つこと。
そして、目の周囲や顎の周囲や肩の周囲などの、特に緊張しやすいところについて、「ああ、凝っているな」と思い、まずは力だけストーンと抜くことです。
ギチギチに内蔵されているパーツを、リラックスでガシャンガシャンとフルオープンにするようなイメージと考えて下さい(ロボットみたいなこと言ってんじゃねーぞ)
これをやると翌朝の疲労の残り具合がまるっきり違うので、正直ここ最近は毎日に近いペースでやっています。
とはいえ、疲れすぎていると帰ってそのまま寝てしまうのですが、これをやると明らかに回復が遅くなります。
ここは実は体の声を聴いたらアカンパターンです。衝動に流されるな、というやつです。
3.強制睡眠
ここしばらくの生活習慣のせいで、最早無理矢理でないと8時間寝ることすら出来なくなっているのでした。
早朝は各種作業のパフォーマンスが高いので、つい「朝早くあれをやろう」と思ってしまうのです。
でも、結果的に「4~5時間くらいしか寝てない」ということが多々あり、これが回復に猛烈に支障をきたす原因となっていたのは明らかなのでした。
途中で起きても無理矢理二度寝三度寝して、8時間ほど寝ると、やはりその日一日の保ちが違います。
4.青い空、白い雲、緑のざわめき、家屋と町並み、散歩道
あと、散歩しながら青空や草木や町並みを見ていると、これが案外精神的余裕が戻ってくるものです。
4月に一度散歩花見を行って以降、時々健康のための歩数を稼ぐために、散歩をしていたのでした。
でも7月頃からは本当に暑くてしょうがない。UVカットクリームを塗っても肌がヒリヒリする。しばらくは無理ですね。
5.積んでおいた漫画を切り崩す
やはり自室で引きこもることが多いです。
「せっかくだから漫画とか読みなさい」という天啓があり、漫画とか読んでました。
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特に、panpanyaの読み切り幻想漫画集とか読んでいました。
最初は、読みやすそうなこのジャンルが、メチャクチャ脳が参っているのでスッと読めなかったのですが、そのうち脳が楽になり始めてからスルスルと読めるようになってきました。
『足摺り水族館』
『蟹に誘われて』
『枕魚』
『動物たち』
『二匹目の金魚』
『グヤバノ・ホリデー』
『おむすびの転がる町』。
panpanyaの読み切り幻想漫画集は
「日常の街並みの中の不思議への入り口」
「謎の道具や商品たちを巡る不思議の旅」
「ある程度懇切丁寧ではあるが煩雑で融通は利かない役所仕事」
「かつての物事が現代ではこう再解釈され活きてくる」
「シンプルな造形の喋る犬やイルカや魚たち」
などが特徴です。
読んでる最中は、散歩の途中で出会った不思議への探求心があり、読み終わった後は物事の妙な一致に納得させられて日常に戻った後の「あれは何だったんだろうなあ」という懐かしむ感じがある。という不思議な漫画です。
日常の感覚が損なわれていると、戻ってくるべき日常もへったくれもないので、不思議の旅をしている感覚もなく、脳がちゃんと受け取れなかったのです。
が、少しずつ心身が本調子に戻ってくると同時に(またこの漫画が心身を日常に戻す効果もあるのだろう)、素直に面白く、もりもり読めるようになってきました。よかった。
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あっ、なんか今調べたら新刊『魚社会』って出てるじゃん。後でまた買おう。
6.快楽と幸福を別つもの、「しっくりとした感覚」
ここしばらく、「あれをやらねばならない」「これも終えねばならない」という強迫観念を解決して解消するために足掻き、これで消耗してきていたのでした。
また、飲食店のノボリやメニューをつい見てしまって、食べたくなってしまったものを食べる、という欲求の充足があり、これが財布に厳しく働いていたのでした。
心身がキツくなると、ストレスや疲労を上書きする痛み止めとして、気持ち良い刺激を追求してしまうのでした。私の場合はとにかく舌の快楽なので、上の話と全く同じになってしまいます。
それは、精神的余裕がないからです。
追い詰められていると、これら3つでしか達成感や気持ちよさを感じられなくなってしまうのです。
もちろん追い詰められている状況ではこの3つしかやりようがない。
そして、そういう快楽は、脳にしっくりこない。
「おかしーな。何で俺は未だにキツイんだろう。納得いってないんだろう」
目の前の快楽は快楽として、「自分」がその快楽を受け止め切れていない。
そのうち、目の前の快楽すら色あせてくる。こうなると、精神状態、かなり本格的にヤバイと言えるでしょう。
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散歩とか、panpanyaの読み切り幻想漫画集とかを読んで、少し感覚が変わってきました。
要は、周囲の環境をよく味わって感じると、そして自分が周囲の環境にしっくりくると、ある程度幸せに近くなるのではないか。
青空や草木や町並みとかは正に「周囲の環境」であり、陽光に照らされたそれは、確かに心地よい刺激でもあると言える。
あとは、散歩の感覚のようなものを抽出強化した町並み漫画も、「周囲の環境」への散歩行為を脳に高濃度で染み入らせるのに効く。
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そして、脳の状態の話もある。
ちゃんと生活して寝ないと、脳が「周囲の環境」としっくり調和してくれない。
だから、ちゃんと生活して寝る。それが大事。
という、生活環境と養生の話になってきてしまいました。
ええー…幸福の話を生活環境と養生に帰着させていいのか…?
それはそれで説得力はあるが、それ「だけ」じゃねーだろ…
(とは思うものの、まあ大事な話でしょう)
7.ていねいな暮らし、やるぞ(ていねいな暮らしか? これが…)
もうしばらく、ちゃんと休もう。散歩もしよう。
そうすればもう少し、しっくりとした幸せの感覚が、戻ってくるかもしれない。
TODOだけでなく、現実逃避でもなく、ちゃんと日々を味わうぞ!
(いじょうです)