引っ越しで気付いた日常にある幸せ
物心ついた時からマンション暮らしで、一軒家に住むことはないと思っていた。持ち家か賃貸か?なんて話があるが、圧倒的に賃貸派だった。
こんな先行き不透明な時代に家買うとか考えられない。少し前までこんなことを言っていた自分が家を建てるなんて思ってもみなかった。
一番のきっかけは昨年、次男が誕生したこと。
4人の子どもたち(15歳、13歳、12歳、6歳)も大きくなり、マンションでは手狭になってきたし、部屋も必要だねって話をしていた頃に5人目の子がお腹にいることがわかった。
さらに今年、小・中・高と3人が進級という引っ越しするには絶好のタイミングだった。
半年ぐらい賃貸〜戸建てまでいろんな物件を見てまわったが、7人家族にフィットするような物件はそうそうない。
どうせだったらのんびりと暮らしたいね。と長年慣れ親しんだ東京を離れ、郊外で理想の暮らしを求め、家を建てることにした。
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子どもたちに相談すると、みんな目を輝かせながら喜んでくれた。
「自分の部屋ができるの?」
「一人、一部屋できるよ」
「家でトランポリン飛べる?」
「夜でも飛べるよ」
「寝るの邪魔されない?」
「部屋に鍵かけたらされないね」
「友達もいない場所になるけど大丈夫?」
「友達なんてすぐできるよ!」
部屋の場所、レイアウト、壁紙の色を決めたりと、子どもたちも新しい生活を私たちと一緒に夢見ていた。
しかし……引っ越しが近づくにつれ、長年親しんだ街や友人との別れを惜しみ、みんな元気がなくなっていった。これも仕方がないことだ。
子どもたちは寂しい思いを引きずったまま、私たちは感傷に浸る間もなく、バタバタとなんとか引っ越しを終えた。
しかし、引っ越し後もトラブルだらけだった。
お祓いにいこう。
奥さんと真剣に相談するぐらい普通の生活ができない日々。ここに子どもたちの入学準備も重なって、朝から晩まで夫婦であくせくと過ごしていた。
せっかく引っ越してきたのに、こんな状況だったものだから子どもたちも食事の時間以外は、自分たちの部屋で過ごすことが多くなった。
家にいたら手伝ってと言われるし、外に行こうにも東京みたいになんでも周りにあるわけではない。
子どもたちも苛立ちを隠せなくなっていた。
「信じられないくらい田舎なんだけど!」
「なんで引っ越したの?前の家の方がよかった」
連日の段ボールの山との格闘、トラブル後の業者とのやりとりなど、子どもたちの行き場のない思いを受け止める余裕さえもなく疲れきっていた。
うーん、何もかもうまくいかない…。
引っ越さない方がよかったのか…。
そんな引っ越し後の重苦しい空気を一掃してくれたのも、また子どもたちだった。
小、中、高それぞれ入学を迎えた三女、長男、長女が投稿初日にして、
「お友達できたよ!当たり前じゃん」
「俺、やっぱり人気者だよね」
「7人とインスタ交換したぜ」
嬉しそうにみんな話をしてくれる。
部活を続けたい。と家族の誰よりも早起きして東京の中学まで通う次女も頑張っていた。
入学の準備から通学路の確認まで、献身的にサポートを続けた奥さんの目には涙があふれていた。
引っ越し後、初めてホッとできた瞬間だった。
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それぞれが新しい暮らしに向きあい、ようやく慣れてたきたかという頃に、我が家にまた試練が訪れた。
保育園に行って3日目の産まれて間もない次男がコロナに罹った。続いて三女、長男、最後に奥さんが高熱を出して倒れた。
さすがにこれにはみんな意気消沈して、家中が暗い雰囲気になった。救いは、次男から奥さんまで驚異的な回復を見せたことだ。
2日で元気になった奥さんが、
「せめて食べることぐらい楽しまないとね」
と復活してすぐにカレーを作り、ナンを作って焼き始めた。
これにはみんな驚いて
「ナンなん?この回復力?」
「ナンなん?パパの顔?ナンみたいやん」
こんな感じで、元気になってからは本当に騒がしい毎日だった。
2週間の療養期間は、長く失っていた家族だんらんの時間を取り戻させてくれた。
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今はここでの生活にも慣れ、ようやくゆっくり過ごせるようになってきた。
子どもたちがこの地に馴染むまでもっと時間が必要だし、前に住んでいた場所より好きになることは難しいかもしれない。
でも、圧倒的に賃貸派だった私が家を建てることを決断したように、その時々で価値観は変わっていくものだ。
最近、また子どもたちが寝る前になると、寝室に集まってくるようになった。前の家では儀式のようなものだった。
それまでスマホいじったり、風呂入ったり、自由に過ごしているのだが、22時半ごろになると自然発生的にやってくる。
こちらは寝るモードに入っているのに、べらぼうに高いテンションでやってくるからたちが悪い。
そして、みんな布団でゴロゴロしながら好きなことを話し、なかなか部屋に戻らない。
日中にもっとしゃべってくれよな。と思うけど、このどうでもいい、じゃれあいタイムが私たちに必要な時間なのだと思う。
理想の住まいが、家族を幸せにしてくれるわけではなくて、こういった六畳一間の安らぎみたいなもので、家族の幸せって作られているような気がする。
前の家では自然に出来ていたことが、また箱を変えて新しい形になっただけだ。
愛すべきは何気ない日常。
大変だった引っ越しは、家族の時間を大切にすることを私たちに考えさせてくれた。
新しい暮らしはまだ始まったばかり。
これからまた、ここでどんな物語が生まれるのか楽しみでならない。