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『AI時代』は『データ化できないもの』に価値がでてくるから『科学』することができない『神秘や精神世界』を探求していこうと思った。

人間に残されたのは『創造性』だけだ。

というのは、本当に正しいのだろうか?

『創造』と言われているものが、『今まで脳にインプットされた情報』を元にしてできているとするなら、それは『データ』を元に何かを生み出す『AI』と同じことをしていることになる。

だから人類に残っているのは『創造性』ではなく『志向性』なのではないか。

例えば、自分のデータベースではなく、その外にある何らかの存在に気づき、予感するなど。

 これは、あらゆる神秘主義の哲学者が経験した、『世界を相のもとに見る』や『私はあなたであなたは私である』や『神や自然と一体化した』などというものに相当していると思う。

 これらの神秘的で精神的なものは、科学(見て測る)ことができない。

《志向性》
ある世界に注意を向けて、それを解釈し、意味を与えるような行為

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最近、科学と精神世界についても少し探求しているが、私の志向性は、その両者がどこかで繋がるのではないか?という状態になっている。

産婆師としてこの二つを結んでいくのはとても面白そうだ。

➡︎ 面白そうな入り口🚪

 SFの巨匠であるアーサー・クラークの作品『幼年期の終わり』に出てくるある男は、『彼ら(理性)』の干渉によって『自由になった世界』の中で、
『神秘や怪奇現象などの類』に関する本ばかりをコレクションしていて、それを『彼ら』が狙っていた。

そんな時代がすぐそばにある気がする。


※見出し画像は、肺気胸になったときの僕のしょぼくれた肺です。
※見出し画像は、肺気胸になったときの僕のしょぼくれた肺です。
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