先日、2-3年ぶりに富良野に行きました。 目的はもちろん、倉本聰先生。 倉本先生のライブラリーというイベントが約1年ぶりに復活するとのお知らせを、私もとってもお世話になっている、そのイベントの登壇者である久保さんから教えていただき、参加するため始発に乗って羽田から飛び旭川、そして富良野へ。 当初は弾丸、1泊2日で行くつもりだったこの旅、 先生からとんでも無くありがたいお話をいただき 結局3泊4日になりました。 この4日間は、本当に夢みたいな時間でした。 どこまで書いて
生まれ変わったら何がしたい? 自分に関する願いがひとつだけ叶うなら? 私は「高校球児になって、スター選手として甲子園で、選抜と夏の大会で試合がしたい!」 です。 私のホームタウン大阪では民放でもがっつり夏の全国大会が放送されるし、大阪大会も決勝などはテレビで見れました。 個人的に高校野球を身近に感じる環境があったこともあり、 子供の頃からずっと憧れていて、高校球児は、私の憧れのお兄さん像そのもの、アイドルというか、スターでした。 中学生の時には、実力模試で野球の強い男子
先日実家に帰っていた間に、終電で帰宅したときのこと。 父は私と入れ替わりで出張で東京に行っていて不在、 遅い時間だったので母にも先に寝てもらい 私は駅でタクシーに乗ることに。 降りたのは最寄りではないけれど車で7-8分の、便利なもう一つの別の線の駅。 学生時代は遅くなっても人が結構降りていて、 もちろんタクシーもとまっていて、 私はすっかりそのタクシーに乗るつもりでした。 でも降りてみると終電もあってか人もまばら、 タクシーも一台もいない。 コロナもあってなのか、時代
一昨日の夜、注文していたマスクが届いて それが見本と違うような、私の本望ではない色味だったことが少しショックで別の部屋でああでもないこうでもないと話していて、 戻ってきて携帯を見ると 「不在着信 倉本聰先生」という文字が2段。 倉本先生からの不在着信が5、6分前に2件。 マスクの色のことなんて吹き飛ぶ光景。 実はこの日はわけあって私も先生にメールさせてもらおうと思ってたので、「通じた!」と思い すぐにかけ直すも2回出られず。 23時少し前。 普通に考えればもうお休みな
たまにはCAっぽいお話を。 私がチーフパーサー(便の責任者)をしていた時、韓国便で、ある日本人のご夫婦が1番前に乗っていらして色々と私達とも楽しく話をしてくださっていました。 ご夫婦でときどき韓国語を話されていたので、もしかすると何か韓国にご縁のある方なのかな、と思っていました。 そしてもうあと少しで日本に到着、という時に、 後ろから歩いてきた韓国籍の女性が私に何か言おうとしたところで私に倒れ掛かりました。 意識と呼吸はあるもののそのまま倒れ込んでいて、 顔は真っ白。
お芝居の制作の仕事をしていたある時、VIP招待者の名簿を見ながら、出席、欠席の確認をしていた。 名簿に載っているお名前は、それはそれはさまざまな業界の錚々たる面々、 そしてその方々の所属事務所や会社はもちろん、プライベートな連絡先など、見ているだけでドキドキするもの。 ある時、制作プロデューサーから 「かなちゃん、八千草さんに電話して確認してくれる?」と言われた。 私「八千草さんって、あのですか?」 プ「うん、八千草薫さんね。」 私「わかりました、事務所ですね。」
言葉フェチの私、 言葉のセンスが素敵だなぁと思うとワクワクします。 お洒落な、粋な言葉遊びをする人には色気を感じます。 上手な描写や説明を聞くと、きゃあと思っちゃう。 最近は、言葉を扱うお仕事をしてる女友達に、イラストを描いてプレゼントしたら 逆にその感想の語彙力表現力に痺れました。笑 そういうフェチがあるので時に、ある言動を一つの考察対象の素材のように思う時があって 誰かが発した発言を脚本のように俯瞰して見るときがあります。変態。 それによって、あぁこの人の言葉のセンスが
今回もまた倉本聰先生のお話を。 倉本先生には何度も何度もお食事やお酒の席に連れて行っていただきました。 先生を独占してたっぷりお話が聞ける時間。こんなありがたいことある?って、いつも行く前も最中も帰り道も思ってました。 なんてラッキーな人生なんだ。 その時間の中で聞けるお話は、本当に宝物のようなお話ばかり。そしてまた、先生、やっぱり圧倒的にお話し上手なんです。。 はじめてお酒の席にご一緒させてもらったとき、私は26歳、先生はたしか79歳か80歳でした。 全くもって
昨日は良いお天気だったので恵比寿から目黒をお散歩。久しぶりにこの辺を歩くとやっぱり好きだなぁ緑があって人の営みがあるなぁとほっとしていました。 目黒を歩いていたら、歩道の端の方にキャップが落ちていて 遠くからそれを見つけた私は拾って木に掛けといてあげようかなと思いながら近づき だんだん近くなると、結構そのキャップは汚れていました。 「あの帽子、拾ってあげたいけどちょっと汚いかな、」と一緒に歩いていた人に言うと 「汚いよ、やめといたほうがいいよ」と。 そうだよね、、
この前ドライブしながらなんとなくラジオをまわしていたら、画家の千住博さんがお話をされていました。 音楽のお話をされていたんだけど その話がとても興味深かった。 私が初めて千住さんの絵を見たのは高校生の時、母と一緒に京都で。 かの有名な、滝の絵。 確か階段をのぼった上にその絵はあったんだけど それは階段をのぼっていったら突然、巨大な滝の絵があらわれた というよりは 荘厳な滝が音なくそこに出現したかのような そんな感覚でした。 澄んだ水が惜しげもなく上から下に
倉本聰先生と全国をまわっている時、たしか名古屋に入って、先生の控え室に呼ばれていくと 倉本先生が、何か直筆で書いていた。 「もうちょっとでできるから、待ってて。」と言われほんの数分待っていた。 先生は紙の上を、絵でも描くかのようにサラサラとペンを滑らせ 「かな、悪いけどこれをちょっと、急ぎでFAXで送ってきてくれないか。」とその紙を渡された。 送り先もメモにちゃんと書いて。 まだペンで書いた字が乾きたてで、触ると滲みそうだから気をつけて受け取ったのを覚えている。
本日は5時に起きて朝活ができたのでとっても気持ちが良い。 朝って何でこんなに色んなことがサクサク進むのでしょうか 思えば国内線でCAとしてバンバン飛んでた時、毎日のように変な時間に起きてまだ電車も走ってない暗い時間にタクシーで会社に向かって、ついて準備してたらだんだん明るくなって、、飛行機に乗り込んだ頃には結構明るくなってて、気持ちよかったのを思い出します。 誰も動いてない時間に動き出して、今から誰よりも元気なスマイルとエネルギー振り絞ってお客様をお迎えすると思うと、活
この人の話が聞きたい!面白そう!と思ったら大御所でも恐れ多いとされる人にも割と図々しくそれをそのまま言ってしまう私は、 そういうのが滲み出ているのか、「そんな奇跡みたいなことある?」って言いたくなるような奇跡が起きて、素敵な方に生でお話を伺う機会をいただけることがよくあります。言うまでもなくもちろん健全に。人生の後輩として。 ある時、後輩育成にも力を入れていらっしゃる、かなり人気の番組ばかり手がけておられる、相当グルメな放送作家の先生にお食事に連れて行っていただいた時のこ
映画が大好きな私ですが、趣味は結構偏っていて、アクションはほぼみません。 そしてもう一つ、私にとってハードルの高い作品が。。 高校2年生の時、仲良しの女子4人グループがありました。同じクラスで、かつ、同じダンス部同士の3人と、テニス部1人のメンバー。それぞれ性格も違って、特技も違って、すごく居心地のいいグループで、今でも仲良しです。 当時、私たちの学校の近くに映画館があって、高校生3人以上でみにいくと安くなるみたいな割引制度がありました。 それもあって、いつのまにか4
CAになって、まだたったの23.4歳のとき、チーフパーサーという客室の責任者になった。 ものすごくエキサイティングな経験。楽しんでやっていた。 コックピットには毎便、何でも来いのグレートパイロットの方々が乗っていた。 そこへの絶大なる信頼があるからこそ、私もこの人たちに信頼してもらえるような安全な客室にしたいと思っていた。何はなくともまず安全。 「後ろは任せたからね!」と、言ってくださると、やる気がメキメキわいて、同時に、人に任せられる、ということこそ懐が深くて、何よ
富良野で数十日間暮らしたことがある。 作家、倉本聰さんの舞台の仕事で、 東京、関西、九州、北海道、実に多方面から役者やスタッフが集まってきていた。 私は制作プロデューサーのアシスタント。ペンションを貸し切って、男女7-8人でシェアして暮らした。 Show must go onの世界、誰一人休んではいけない中 絶対に発症してはいけないもの、それは インフルエンザ。 コロナが出てくる前、冬の大敵の代表格はインフルエンザであった。 その時すでに数人が発症していて、 先に発症した