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片付けなくても死なないが、気にする自分も面倒くさい

廊下に広げっぱなしのキャリーケースと隅に積まれた段ボール。
帰省から戻った昨夜、夜中の0時近くに帰宅した私は、眠い目をこすりながら絶対に必要なものだけキャリーケースから取り出し、あとは放置したままベッドに倒れ込んだ。それ以外のものはすべて「後で片付ける」と自分に言い聞かせて、深く考えずに眠りについた。

そして翌朝、そのキャリーケースがじっと視界の隅にいる。「片付ける気あるの?」と問いかけてくるようで、なんだか居心地が悪い。でも正直、そんな余裕はどこにもない。今日も朝から仕事だ。

ルーティンが崩れると、どうしてこうも気分が乱れるのか。部屋が散らかっているだけじゃなく、自分自身が崩れてしまったような感覚になる。「あれもしなきゃ」「これもしなきゃ」と思うほどに体が動かなくなるし、胸の奥にはじんわりとしたモヤモヤが居座る。

でもふと、考えた。「そもそも、なんでこんなに完璧を目指しているんだろう?」そう自問しても答えは簡単に出てこないけれど、試しにキャリーケースの前にしゃがみ込んでみた。
全部を片付けるのは無理だとしても、せめてこの中だけでも整理してみよう。
そう思い、散らばった服を一枚ずつクローゼットにしまっていく。
正直、途中で「これ、本当に意味あるの?」と思った。キャリーケースを片付けたところで、廊下の段ボールはまだそのままだし、部屋が整うわけじゃない。
それでも、最後の一枚をしまい終えると、ちょっとうれしかった。

たぶん、私は「完璧」でいないと、自分の価値が揺らぐような気がしているんだと思う。部屋も、スケジュールも、そして自分の存在そのものも。「ちゃんとしている人」でいたい。でも、それがプレッシャーになりすぎて、逆に動けなくなっている場面が多々あると思う。

今日片付けられなかった段ボールや、隣に転がるバッグは相変わらず放置されたまま。でも「少しだけキャリーケースを片付けた」という達成感が、私の心をちょっと緩ませてくれた。「完璧であること」よりも「ちょっとだけ前に進むこと」。それが、今の私にとって必要なことだったのかもしれない。

この記事だってそうだ。完璧な内容じゃないけれど、今日の「できた」にカウントしてもいい。そうやって少しずつ整理していくうちに、部屋も心も、きっと整っていくはず。

段ボール? まだそのまま。片付けるかどうかは、また明日考えればいい。いや、もしかしたら、考えないかもしれない。それでも、まあ、どうにかなるでしょう。

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