『フレームワークの神話-科学と合理性の擁護』カール・ポパー
はじめに:既存理論をぶった切れ
ポパーは私の尊敬する哲学者だ。今回は、ポパー先生の、科学的発見について論述した本著について記していく。
本著でポパー先生は、日常の議論で”フレームワーク”を共有・合意して使用する我々を、一刀両断する。既存理論の共有や合意なぞ、いらん。
既存理論は、叩き切るためにある!とポパー先生は言う。
ちなみに、巷で”ロジカルシンキング”などという言葉をよく聞く。そんな題名の本もたくさんある。
本当に論理的思考を身に着けたいならば、そのような本は今すぐゴミ箱に捨てて、科学哲学を学ぶことを女史は推奨する。
科学、そして哲学という、最強の論理的学問を学ぶことが一番の近道だ。
実際、経営コンサルタントとして働く女史は、ロジカルシンキングを科学哲学にて育成している。
そして、女史のnoteをどう読むか、こちらを参考にしてくれ。
科学革命:批判して選択せよ
科学の進歩とは、批判を通じて行われる。我々人間は、ありとあらゆるものから知識を得ている。本、先生、女史の記事etc...挙げればきりがない。この知識の移転を、教化と呼ぶ。
教化された知識を、受け入れるか否かは、受者自身の選択である。
受け入れる価値に値するか否か、受者は、知識に対して批判的な態度でその判断に臨まねばならない。と、ポパーは言う。これを、批判的アプローチと呼ぶ。
その名の通り、”この本の科学理論は本当にそうであろうか?この統計は本当に合っているか?現象を全て説明しうるか?”と常に批判的に見るのである。
ある科学理論が発達するためには、その科学理論を覆す、新しい理論が見つかるということである。その新科学理論は、旧理論が説明できなかった事象を説明している必要がある。
たとえば、”カラスは、全て黒い。”という理論(事実)があったとする。これを批判して、覆してみてほしい。どうするか。”黒くないカラスを見つける”がポパーの言う批判的アプローチでの正解だ。そして、この黒くないカラスが、新理論と同義である。
科学進歩のためには、とある理論の批判点を見つけ、覆さねばならないのである。
科学的発見の阻害要因:フレームワークの神話
前章でお伝えした通り、科学的進歩や発見は、既存理論の批判から始まるものである。
故に、ポパーは、フレームワークの神話を批判する。
フレームワークとは、基本的過程や原理のことを表す。
フレームワークの神話とは、合理的で実りある討論は、参加者が基本的な過程に関する共通のフレームワークを共有・合意していなければいけない、とする考え方のことである。
ポパーはこれを、全くの有害であるとする。
ポパーの唱える科学進歩は、これらフレームワークの衝突によって起こりうる。一方で、フレームワークの神話を信じ込んでいる場合、フレームワークが衝突するどころか、参加者全員が既存理論に諸手を挙げて賛同していることとなる。
これでは科学的進歩など一切得ることはできないのである。
科学的発見の始発駅:既存理論と仮説検証
ポパーはこの批判的アプローチを読者に徹底させようとする。
ベーコンという学者を読者様は聞いたことがあるだろう。彼は”心を無にして観察せよ”と主張した。目の前の事象を、ボーッと観察しろ。何か心に浮かんでくるはずだ。と、言う。
そんなベーコンの理論を、丸焦げになってフライパンに張り付いた薄切りの豚肉の如く、三角コーナーにぶち込む。
そしてポパーは、事象を観察する際は仮説を持て!!!と言う。観察とは、仮説検証のプロセスなのである。心を無にするのではなく、”既存理論によると、この事象はこうなるはずであるが、本当であろうか?”のような、批判的な疑問や仮説を熟慮する。そして、実際に事象を徹底して観察し、仮説を検証するのである。
これが、科学的発見の出発点である。
まず、既存の科学理論を学べ。そして、批判的に仮説を立ててみよ。観察して、君の仮説が合っているのか、検証せよ。
こうして批判的アプローチを身につけよ。というのだ。
科学者の責任:自由という特権を活かすこと
最後にポパーは、科学者と、科学者の卵(学生)に、その社会的責任を訴える。
科学者は自由だ。先進国では、科学者は自由に学問をし、好きな分野の研究を行うことができる。先進国では、政府が強制的に科学者を徴収し、武器研究を無理矢理行わせることはない。
だからこそ、この自由を正しく使用し、社会のためになる研究を行え、と訴える。
また、科学者の卵である学生は、さらに自由である。彼らは、既存知識も少なく、知的流行に屈する必要がないが故に、非常に柔軟な発想力を持っている。これを活かして、自分の興味に忠実に従い、徹底的に、そしてあらゆる視点から既存理論を批判してみるべきである。
彼らは、科学ひいては人類の知の発展に貢献すべく、その責任をしかと心に刻み込んでおけ、とポパーは言う。
おわりに:徹底的に批判せよ
女史は、ポパーの言う、批判的アプロ―チが大好きである。最強のロジカルシンキングである。自分が主張するロジックに、一切の批判点がなくなれば、自身のロジックは最強であることを意味する。一方、批判点があれば、その批判点を一つ一つ潰していき、自分のロジックを完璧に近づけていけばよい。
女史は、経営コンサルタントとして、日々働いている。そのため、常にロジカルな思考が求められる。そして女史は、ポパー先生にご教示いただいた、批判的アプローチを常に考えながら、日々の業務をこなしている。
さらに、この批判的アプローチは科学や哲学だけに通じるものではない。
これは、全てのことに通じる。今の政治、経済、日常生活での自分の行動に至るまで、批判的アプローチを適用させてみるとよい。
女史は、日常生活でも批判的アプロ―チを用い、”なぜ自分はこんな行動をとるのだろう。実はこっちの方が正しいのではないか。その理由はなんなのだろう。”のように、既存理論の批判、仮説構築、検証を常に行っている。
発言や行動が一切批判されない人間なんて存在しない。しかし、他者からの批判を素直に受入れ、熟慮し、改善(時には、実は批判は正しくなかった、と切捨てる)をしていくことにより、人間はより良い人間になることができる。女史はそう考える。