- 運営しているクリエイター
#嘘をつかず生きる
「違い」を「違う」ままに出来ず、劣等感や優越感を抱いている
私は元来落ち込みやすい。
そうならないためにどう世界を捉えたらいいかを学んだり、なぜこうなったか過去に理由を探しに行ったり、やりたい事をやってみたりした。
そして、最近すごくシンプルに出た答えは、、、
じぶんではない、他の何かや誰かの価値観を基準にして生きてきたから。
「己の姿で生きよう!」「私らしく生きよう!」と決めて、そう生きている人でも、まだ「生きづらさ」を抱えているらしい。。
「いつモヤモヤママじゃなくなるの??」という夫からの問い。
私は地域活動としてChatty+(チャッティプラス)という区民活動団体を運営している。運営していると言っても、頼りになる相棒が居てくれるからこそ、私は運営していると言えている状態なのだけど。ここでは「運営している」と言わせてもらうことにする。
家族達は、私がこの活動に夢中になっていると思っている。もちろん、私のあまりのほとんどを時間はこの活動に通じることに使っている。
それがあってか、最近家族
「自分に嘘つかずに生きる」から「家族にも嘘つかずに生きる」フェーズへ
「自分に嘘つかずに生きる」から「家族にも嘘つかずに生きる」って・・・???
あたし、、、、これやーーーーーって思いましたよ!
自分に嘘つかず、本音を聴いて聴いて聴きまくってきた。その中には耳の痛い本音もある。
でもだいぶ自分の本音聴けるようになったな、そう思っていながら、、、どうもアクセルが全開に踏めないなぁ…と思っていた今日この頃。。。
ずきゅーーーーんとぶっ刺さった言葉。きました。
役に立ちたい自分とありのままの自分と手をつなぐ
役に立つことより、じぶんらしくいられるかどうか、私はそちらの方が人生における満足度が高いようだ。
役に立つことは、誰かがいないと成り立たない。相手が良い反応を示してくれて初めて満足する世界。
じぶんらしくいられるというのは、誰がいなくても成り立つ。じぶん次第で満足度を得られる世界。
じぶんらしくいる結果、誰かの役に立つ、、、そんな究極を私は望んでるよう。でも、今、実際は誰かの役に立つ、そちら
本音はいつも愛で溢れている
イライラしない子育てはない。
ないのに、目指そうとする人がいる事が何か無理が生じさせているように思う。
その代わり、イライラの感情から自分の本音が聞けるママになれた方が、人生も明らかに豊かなはずだ。
じぶんの本音を聴けるママは子どもの本音に耳を傾けられるはずだし。
イライラも喜びも、悲しみも、感情に蓋をしていると、じぶんがどこにいるか見えなくなっていく。ありのままの姿であるはずのものに蓋を
大切なものを大切に出来ない、それが一番悲しい。
忘れないために今日は書く。
昨日も心が揺さぶられるものに触れてきた。
昨日は雨だったのもあり、午前中は3歳娘と家にあるものでこれまでとは違う遊びを思いついたりしていた。実は、最近娘が言うこと。「おやすみのひは、ゆっくり いえに いたいよねぇ~」って。家ばっかりにいるとウズウズしてくる私には「え~~~」となる言葉。昨日もそんなことがあったので、出かけるのをどうしようかと思っていたが、午前中遊びき
「無い」はまだ見ぬ可能性や伸びしろが「ある」ということ
WANT ~したい、~が欲しい
その裏側には「無い」という概念が漏れなく同時に存在する。
「あのバックが欲しい」時あのバックは手元にはなく、「あの国へ行きたい」時あの国へはおらず、「幸せになりたい」時幸せになってはいない。
「無い」という概念を持ったまま、目標を立てるとき、ある程度までは「無い」ものを渇望するためのモチベーションで自分にスイッチが入ることがある。そして次の目標を立てて突き進む
ごきげんか、もっとごきげんかのどちらかw
いつだかも同じようなタイトルで書いた気がする。ま、いーやw
なんでも面白がるしかないw
私は、Facebookの投稿で特にだけど、自分の投稿を自分でいいね!する。いいね!って思うからwなのだけど、、、
こういうことを以前は恥ずかしいとか、空しいとか、思ってただろうけど、今は、ない。
思い通りにいかなくて凹むことはたくさんある。失敗だったかな~と思って凹むこともたくさんある。
○○忘れちゃ
違和感に出会えることを含めて、安心・安全でありたい
安心・安全って何だろう?
子どもにとって、安全地帯でありたい家庭。夫にとっても、私にとっても。
どんなコミュニティでもそこには安心・安全が欲しい。居場所が欲しい。誰にとっても。
対話をするコミュニティ運営をしているが、安心・安全に関して、問われることがある。
いつだったかも書いたが、
対話をするとおよそ二つの事が起こる。
①自分の意見を言ってスッキリする
共感してもらって安心~~(*
角度を変えればモヤモヤが姿を変えて現れる
私は地域活動をしている。
モヤモヤするママ達を集めた座談会をメインとした活動。
先日は、パートナーシップをテーマにした座談会。
1年ほど前から暖めに暖めていたテーマ。当事者でもある自分たちが掲げられなかったテーマでもある。
夫についての座談会というと、容易に想像するのは、愚痴大会になりかねないということ。でも、ぜーーーーーーーったいに、「それだけ」にはしたくなかった。吐き出すこと自体は非常
子どもにHappyを感染させる母親。最強。
昨日、Facebookスレッドで盛り上がった。先日参加したイベントレポートへのコメントがちょいと炎上気味に。そこで、またハッとしたので、ここに書き残しておく。
多くの親が、我が子をじぶんと分離して考えることはすごく難しいことみたいだ。特に母親は我が子と一体の時期がある。まるで100%同じで、100%を分かり合えているような。そんな我が子が、外界に出てきて理由が分からず泣きやまない時、母親達は、苛
器を大きくするしかないか。
ピンチになっていない。
これまた、先日刺さった言葉。
私は、自分が口を開くと、もっと言えば、自分の価値観や思考性を伝えたときに、それが正論として伝わってしまい、誰かを傷付けたりするのが怖い。だから、なんかうまいこと言えたなぁ~と思う時「刺さったわ~!」と言われると、「あ、ごめんなさい!」って思う時がある。「私があなたを刺して、ごめん。」私は矢も刃物も持っていないけど。。。
相手を傷付けようと
「お母さん、この子を「ふつう」にしたいんですか?」
昨日は、こんなイベントへ行ってきた。
私が当事者かどうかはよく知らない。でも、ものすごく生きづらさは抱えながら生きている。いろんなものへ救いを求めてきた中で、昨日このイベントで登壇された方々の方角に、私の生きる道?私の生きる方角?もある、そんな風に感じられた。生きづらい方角を見ている私の顔を優しく「ねぇ、ねぇ。」と振り向かされた気分だ。
言葉はしたためきれず、脳裏に留まってしまい、表には出てき