器を大きくするしかないか。
ピンチになっていない。
これまた、先日刺さった言葉。
私は、自分が口を開くと、もっと言えば、自分の価値観や思考性を伝えたときに、それが正論として伝わってしまい、誰かを傷付けたりするのが怖い。だから、なんかうまいこと言えたなぁ~と思う時「刺さったわ~!」と言われると、「あ、ごめんなさい!」って思う時がある。「私があなたを刺して、ごめん。」私は矢も刃物も持っていないけど。。。
相手を傷付けようとしたり、誹謗中傷を言おうとしなくても、言葉で誰かを傷付けていることはある。それは「傷ついた」というたぐいのことを言われないと、気付けない「傷」。私はこれの辺りに関しては本当に無頓着な人間。
傷付くのは、「相手が思い当たるからだ」という人がいた。
明らかに男の人に、「あなた、実は女の人ですよね??」って言っても笑って返されるか、何言ってんのこの人、といってこっちの方がおかしな人になる。
でも、明らかに男の人に見える人に「あなた、実は女の人ですよね??」と同じことを言っても、相手がもし複雑なジェンダーを持っている人だとしたら、相手を傷付けるかもしれない。
この議論からすると、こちらは「あなた、実は女の人ですよね??」と同じ事しか言っていないにもかかわらず「相手次第」で傷ついている。こちら次第ではない。相手の問題である、と課題を分離することもできる面もある。
でも「傷付けないだろうか??」という疑いをずっと持ちながら生きることは、それこそ生きづらい。
もう一方で、「誰かを傷付けないだろうか?」という疑いを持つことで、「傷付く存在」を自分の中で架空に作り出している面もある。疑いはきりがないんだった。
「私はあなたを傷付ける」かもしれないことに覚悟して、責任をもって、口を開くしかないのか。
もしくは、傷付けたらごめんなさいって誠実に謝りたいから、「傷ついたよ~」と言ってもらえるほど、こちらの器を大きくするか。
器を大きくする方が理想的だな。。