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#100日チャレンジ
夫婦もズレを生み出す究極の人間関係
子どもに対しては気付いていたこと、、、
最近、夫婦ということにおいてハッキリ気付いたかも。
子どもと親は別の存在。別人格の存在。
これと同じことを夫婦において、気付いた。
そもそも、夫婦とはいえ、、、
一緒にいる事で、ズレを生み出す違った人間同士である存在であることを、実はお互いにハッキリと分かっていないが故に、期待をして、期待とは違った行動をしたり、されたりして、
「私ばっかり…
見ないふりをしていたじぶんに直面した
じぶんが主になったコンテンツを提供している「じぶん部」を先日開催した。
みんなでじぶんを探求しようという会だったのだけど、、、、この日は探求の対象が、提供する私になったという、なんとも複雑な気分だった。でも嬉しかった、みんなが私にとりくんでくれるから。
この結果、私はこの日、心地よくないじぶんに目の当たりすることになった。
じぶんに足りないもの、下手なモノ、無いもの、もっと言えば見ないふりを
不甲斐ない自分と手をつないでみるか、逃げるか。
私は辛抱強い。と、思う。
いろんな言い方が出来るが、我慢強い。無理をする。欲求を通せない、通さない。相手の欲求を受けやすい、相手の欲求に反対しない。交渉をしない。
そうそう!恐らく、対等に交渉するという選択肢が普段から湧いてこないのだ。常に、相手は上にいて、相談する相手になっているといったら良いだろうか。
むむっ。。と思う事を前に進めていくためには、その事態をどう受け止め→どう伝えて→どう行
心震え・心動くことに時間を使いたいだけなのです
大切にしたいものを、そのまま大切にする。
ここで言う大切にしたいものは、まず一番に自分。自分の心が震えたり、心動いたりすることに時間を使うこと。ここに後ろめたさがあるがために、ハードルを高くしていたり、罪悪感を抱いてしまったりする。
どんなハードルかって言ったら、自分の大切にしたいものに自分の時間を使うことで、何かを犠牲にしたり、今まで優先していたことを後回しにすることで、誰かの大切なモノを大
愛で溢れていることを見逃している
一昨日、娘と寝落ちて寝ていると、夫が帰って来たのに気付いた。気付いた時には夫はイラっとしていた。
夫はいわゆるONとOFFを見事にする人なので、OFFにならずに家に帰ってくると、だいたい分かる。
一昨日は、ここでは伏せるが、本当に些細なことでイラっとしていたようだった。そして昨日の夜、その些細なきっかけでスイッチが入ったことを謝っていた。そして、どうしてだろう??と話し合った。
極論、愛して
重要なことを後回しにしてる
更新する意味あるの??と思うような内容で、切なくもなるけど、、、投稿することが意地でもあるから、更新。
子どもの七五三を忘れた後は、年末調整を忘れる。。。今日速達で出す。今から書く。
重要なことを後回しにしてるから、、、切なくなる。
いろいろなじぶん
いろんなじぶんがいるなぁと、ふと思った日。
職場のじぶん。家族の前でのじぶん。仲間の前でのじぶん。友達の前でのじぶん。子どもの前でのじぶん。
どれも、本当のじぶんだけど、なんだかなぁと思うじぶんでいる時もある。何かを出さないようにしている様な、、、
ざらざらするものがある。
役に立つだけじゃ疲れる。
先日、和太鼓の体験レッスンへ行ってきた。
えぇ・・・とってもいい気分で帰ってきました。
体を動かして、声を出して、音を出して、体に響いて。
そして、体が思った通りに動かないという感覚を久しぶりに感じたりして、とっても楽しかった。
私の解放の時間。
こういう時間をもっと持ちたいと思った。長い間こういう時間を持たずに生きてきたように思う。
何か役に立つこと、生産性があることばかりで時間が満
期待すること自体は愛に溢れていた件
誰かに、期待をしそうになった瞬間、それは止めた方が良い。私たちは、知れば知るほど、相手に期待するようになっていると思う。
チュートリアルの徳井さんの東京国税局に所得隠し・申告漏れを指摘されたスキャンダルも、知った時は、なんだかがっかりした自分がいた。あんなに頑張って、面白くて、テレビで見ない日はない人になるまでには、ながーーい下積み時代があったろうに、、、なのに、スキャンダル起こしちゃって、、、
期待はじぶんのモノ。
家族ってなんでも話せるもの。家族ってなんでも理解し合うもの。家族だから分かってくれるもの。
手をつないで、お互い好きで、愛し合って、良いも悪いも分かって、結婚したはず。
結婚して、家族になったなら、「○○だろう。」という期待が、夫側・妻側それぞれにあるのだろうと思う。
私はどうしても、妻側の話を聞くことが多くなってしまうが、夫なら大変な時はねぎらって、そこにいるなら手伝って、話を聞いてくれて
ありのままで社会性を包むことは出来ないだろうか??
ありのままと、社会性はいつも対峙してしまうのだろうか??
子どもが行くところ行くところ止めないでいたら、歩道から出て車にぶつかってしまうかもしれない、言いたい事全て言っていたら誰かを傷付けてしまうかもしれない、そのままでいたら変な奴と思われるかもしれない、仲間外れにされるかもしれない、いじめられるかもしれない、、、ありのままでいたら、稼げないかもしれない。
ありのままでいたいと思うことと、社会
「上機嫌でいれば奇跡が起きる」byひすいこうたろう
今日は何も書けなくなっちまった。
ほぼ毎日更新してるので、意地でも更新。
なので、今日は私のお気に入りの話を。
昨年から使っている、ひすいこうたろうさん著 の『しあわせがずっと続く「ゴキゲン」手帳』
こんな1ページから始まるのだけど。私自身「ごきげん」という言葉が気に入りだした後、遭遇した手帳で、本日で2年目。
この言葉が本当なのかどうかは、まだ実際は分かっていない。小さな奇跡はたくさん
己に没頭している「いい顔」を見てニヤニヤした
「いい顔」を見るのが私はとっても好きだ。
先日ふと出会った「いい顔」は、子どもの遊び場で遭遇した8歳くらいの女の子といるお父さんの顔。二人は砂場で、大小たくさんの立派な型抜きをしまくっている。お城やタワーみたいな型抜きから、貝殻や動物をモチーフにした小さな型抜きまで、二人の前にはきれいに型抜かれた、お宝たちがずらりと並んでいる。私にはもはや二人の作品に見えた。
ふと見ると、まさに、そのお父さん
大切なものをもっと大切にしたいのに
娘の七五三を忘れる。
なんとも親としてあかんと思う。
まさに最近の気付きであった、「役に立つ」ことばかりに自分の時間を使っているからこそ起きた事である。
長いこと、役に立つか立たないかという基準での判断をすることが多い、培ってしまったこの癖のまま、お金を稼ぐだけのフルタイムの仕事と、育児と、それ以外に余る時間はわずかである今、それ以外の時間をほぼ(私にとって)「役立つこと」に費やしている。