わざわざ悩むための命題③罪人と妊婦と親友と…
思考が消えないうちに…第三回の思考実験を。
このシリーズの命題は、命題と名はつくものの絶対的な答えを求めるものではありません。
命題を通じて自分の基準に気づいて、その基準は誰かの受け売りなのかそれともオリジナルなのか…など考えるためのトレーニングです。
それではよろしくお願い致します。
前提1
ある日、親友のKは電話をかけてきて焦ったようにこう言いました。
「車の運転中に人をはねてしまった。」
私は、救急車を呼ぶように伝えて対応を促しました。
急行した救急車。
しかし残念ながら、搬送先の病院で跳ねられた男性は死亡しました。
親友Kはショックを受けて絶望的な状態です。
命題1
はねられた男性はなんと指名手配中の殺人容疑者でした。
あなたなら主人公の私だとして今回のことをどう評価しますか。
・友人の責任の程度(例 すくなからずの不注意があったのでは?、容疑者をはねたならそんなに落ち込まなくてもいい など)
・死んでしまった容疑者の命について(例 命は全て等しく扱われるべき、罪人には仕方のない運命、など)
命題2
仮にはねられた命題1の男性が妊婦だった場合、
あなたなら主人公の私だとして今回のことをどう評価しますか。
・友人の責任の程度
・死んでしまった妊婦(赤ちゃん含む)の命について
男性の容疑者の時と違う判断の場合はその理由。命題3
仮にはねられた男性が重犯罪の容疑者ではなく、親友Kに対して執拗な嫌がらせをしてくる近所の住民だった場合。また、そのせいでKは相当に疲労していた。ただしこの場合、その住民には家族がおり、妻、子供2人。このときどのように評価しますか。
・友人の責任の程度
・死んでしまった住民の命について
命題1、命題2と違う判断の時はその理由。
解説
この命題の筋としては容疑者、容疑者が高い確率で有罪判決を受ける日本において、そういう人が死んでしまった場合と、妊婦、嫌がらせしてくる住民(自分にとって実害がある)を比較対象としています。
死は皆に必ず訪れますがそこに人為的なものが加わることで責任追及という発想が生まれます。
また、死んでしまった側にどんな事情があったかをどうしても考えてしまうので、その境目や線引きを読者の方に検討していただけたら幸いです。
これらは裁判では検討される内容ですが、ニュースでみた程度ですと世論によって価値観を歪められることがあります。
誰かを罰したい気持ちを処罰感情と言いますが、一方で命の大事さをうたうのが世の中です。
命題の応用として、臓器移植を任意の人に提供できる時、死刑囚には渡さないかとか、日常的には命をお金に変えてもいいかもしれません。
あなたどんな基準をもっていますか?
斑鳩入鹿