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くじら今昔物語②〜ナンタケット、太地、そして糸満へ〜

 この稿では、「くじら物語②」として世界に名高いメルヴィルの『白鯨』と、C .W.ニコルの『勇魚(いさな)』の二つの作品を語っていくこととします。

メルヴィル『白鯨』 


 まず、『白鯨』から紹介します。私は『白鯨』を読むのは2回目です。若い時に、海洋冒険小説だと思い読んだのですが、内容が難解で途中から投げてしまいました。
 今回、本稿のために2回目に挑み、四苦八苦してようやく完読しました。
 
 この小説は、モビー・ディックと呼ばれている巨大で獰猛(どうもう)な白鯨に、片足を噛み取られたエイハブ船長が復讐のため捕鯨船ピークウッド号に乗り込み、アメリカのナンタケット港を出発するところから物語は始まります。

 小説の舞台は19世紀後半ですが、ピークウッド号は蒸気船ではなく帆船なのです。しかも、鯨を仕留める銛(もり)は、近代的な砲ではなく、手製の銛や槍をボートから鯨に投げて仕留めるという旧式の技術なのです。
 江戸の頃の日本の鯨取りの技術とさして変わらないのです。

 当時のアメリカの捕鯨業も、旧式の漁具で鯨に立ち向かっていたのですから、鯨捕りは危険であり、命懸けの事業だったのです。

 母港ナンタケットを出発したピークウッド号は、白鯨を求めて大西洋からインド洋、太平洋へと船を進めていき、そこでとうとう白鯨に遭遇するのです。

 宿敵である白鯨にめぐりあったエイハブ船長と乗組員は、白鯨と3日間に渡り死闘を繰り広げるのですが、結局これを仕留めることができず、船長自身も銛縄が首に巻きつき、大海に引きずり込まれて沈んでしまいます。
 
 白鯨は、その後も攻撃をやめず、ピークウッド号に体当たりして船を沈ませ、この物語の語り手であるイシュメルを除いては、乗組員全員が海の藻屑になってしまうという悲しい結末を見るのです。

 作者のメルヴィルは、かつて捕鯨船に乗り込んだ経験の持ち主であり、この作品は鯨や捕鯨の技術について詳細に述べております。
 技術以外にも捕鯨の歴史、沿革、宗教にまで及んでおり、全くもってスケールの大きい作品になっております。

 メルヴィルは「神巨(おほい)なる鯨(うを)を創造(つく)りたまへり。」(創世記第1章21節)と旧約聖書から鯨のことを引用しております。
 また、物語の登場人物は、聖書にちなんで名付けられています。
 船長のエイハブは、聖書の登場人物であるイスラエル王「アハブ」に、語り手のイシュメルはアブラハムの庶子「イシュマエル」にちなんでいます。
 
 ところで、ピークウッド号の一等航海士の名は「スターバック」です。この名は聖書とは関係ないのですが、有名なコーヒーチェーン店「スターバックス(STARBUCKS)」の由来にもなっております。

C .W.ニコル『勇魚(いさな)』


 次に、C.W.ニコルの『勇魚(いさな)』を紹介します。

 この小説は、ウェールズ生まれのイギリス人で、日本に帰化した作家C .W.ニコルの書いた作品です。

 物語の時代は、風雲急を告げる幕末で、和歌山の太地(たいじ)町の刃刺(鯨捕りの頭領)の息子「甚助」の波瀾万丈の生涯をテーマにしています。

 主人公の甚助は、鯨の捕獲中、海中で捕獲の鯨の鼻に縄をかける作業中に鮫に襲われ、左腕を失ってしまいます。
 
 その後甚助は、紀伊(和歌山)藩の重臣松平定頼から、海外の情報を得る諜報員になることを勧められます。
 
 以後甚助は、琉球から香港、そしてアメリカの捕鯨船に乗り込み諜報活動に従事します。
 鎖国の日本を離れアメリカの捕鯨船に乗り込み、世界の海を航行しているうちに、甚助は次第にスケールの大きいグローバルな人物に成長していくのです。 
 
 私は、小説の題名の『勇魚(いさな)』の意味を知らなかったのですが、『勇魚(いさな)』とは、鯨の古名と記されています。
 
 「勇魚(いさな)取り」は、海、浜、灘の枕詞で、万葉集にも12首掲載されているようです。
 この中から1首だけ紹介します。

 勇魚(いさな)取り海や死(しに)する死ねれこそ
            海は潮干て山は枯(かれ)すれ 
                        (施頭歌)

 歌意:海が死ぬだろうか。山が死ぬだろうか。死ぬからこそ
            海は潮が干て山は枯れるのだ


沖縄の漁港「糸満」


 捕鯨港としてアメリカのナンタケット、和歌山の太地町が出てきましたので、捕鯨港ではないものの、私の郷里、沖縄の漁港「糸満(いとまん)」について述べることにします。

 糸満は、沖縄戦の展開された県の南部に位置しておりますが、戦前戦後を通じて現在に至るまで漁業の町として栄えているところです。

 まず、糸満の漁夫について述べます。

 糸満漁夫は、南国の陽光を終日浴び、漁業に従事するので、肌は赤銅色でたくましく、頭髪は潮に焼けて金髪となり、まるで異国人の風体です。
 
 また、糸満では早くから女性が経済的自立をしており、夫が水揚げした魚貝類を妻が買取って町で売り捌き、収入にしたそうです。
 そのため夫婦の財布は別々だったと聞いております。
 
 私が幼少の頃(昭和20年頃から30年頃)に聞いた話ですが、糸満では貧しい世帯の5、6歳の子供が糸満へ身請けされ、成人になるまで漁師として奉公させられていたようです。

 そのため、親の言うことを聞かない子には「イチマン売い」(糸満に売る)と言ってよく脅されていたものです。

 東北地方では、冷害で農作物が取れなくなった時、娘は花街に身請けされましたが、沖縄では、娘は花街に息子は糸満に身請けされていたようです。

 子どもの人権や福祉がないがしろにされていた時代があったわけです。
 
 
 次の一句は、川柳作家の岸本水府が、花街に売られてきた幼い少女を見て詠んだ作品です。

   売られたは三味線に手のとどくころ 
                     水府

終わりに


 それでは最後に拙作の短詩(短歌、俳句、川柳)をそれぞれ紹介して終わりにします。

  夫からグルクンミジュン買い取りて
          魚売り女(め)となり町練り歩く(短歌)

  山鯨と聞いて箸置く都会の子(俳句)

  闇鍋(やみなべ)に鯨の皮を放り込み (川柳)


注:グルクンは和名を「タカサゴ」と言い、沖縄県の県魚です。
 ミジュンは、沖縄の方言で「イワシの稚魚」のことです。

参考文献
H・メルヴィル、田中西次郎訳『白鯨』(上・下)新潮文庫
C.W.ニコル、村上博基訳『勇魚』(上・下)文藝春秋

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