ぐうたらの自分を認めたらまさかの展開に

自己肯定感をあげる為、掃除機かけられて偉い、皿洗えて偉いなど些細なことでも自分を褒める生活をしています。

今日できた事をノートに書きひたすら、偉い!すごい!よくやった!やればできんじゃん!と横に書き続ける。続けているうちに少しずつポジティブに考えられるようになってきました。さらには習慣化も出来ていて本当に心から偉いと最近は思うようになってきました。しかも少しずつ自信がついてきている。最初は思ってもないけどただ書いていただけだったのに、本当すごいな。

ここからが本題なんですが、

もともと、ぐうたら主婦な私です。

根っからの性格の”ぐうたらな私”には褒める所がない。一応のんびりできて偉い。だらだらできて偉いと褒めてはいたのですが、これだけはどうもしっくりこない。罪悪感すら生まれる時があるのです。

自己肯定感をあげる為にありのままの自分を認めようというフレーズをよく目にします。

生きているだけで価値があるんだというアレです。

それ系の動画を見てぐうたらな自分を認めよう。好きになろうと思い考え方を改めました。

ぐうたらな私がデフォルトでその私が頑張って朝起きて家事をしているのだから偉い。ぐうたらしてもそれが私なんだから悪いわけじゃないと考えたら涙が止まらなくなりました。

認めてあげられなくてごめんねってなりました。

心が軽くなって、よし今日からはぐうたらの私と頑張ってる私との共存生活だと思ったら…まさかの展開。

「頭が痛いから動きたくない…私はぐうたらするのがデフォ。だから頑張らなくてもいいでしょ?」

「寒いから動きたくない…私はぐうたらするのがデフォ。だから頑張らなくてもいいでしょ?」

こんな思いが生まれるように。ただ家事をサボったり寝転がったりしただけでもとてつもない罪悪感が生まれたのですがその思いは生まれませんでした。これはぐうたらな私を認めたからなのでは?あってるんだこれでと勝手に思い、ぐうたら生活をしたら翌日もぐうたら…。あれ?これなんか違うぞ…変わりたいはずなのに…。となり考え直すことに。

加減って本当に難しいですね。

旦那に聞いたら、やる事やって自由時間にぐうたらすりゃいい、自由時間は趣味をやる時間?別に自由なんだから趣味を必ずやる必要はなくない?と言われ、そりゃそうだよなとなり軌道修正しました。

白黒思考が原因なのかもしれないです…。この思考本当やっかい。頑張るか頑張らないかの2択って思ったのかもしれない…。どっちも選んでいい、サボりたい時はやらないじゃなく手を抜くっていうのも慣れていかないと。

ありのままの自分を認めて認めたあと、その気持ちに応えてあげる事も大切だけど、習慣化したい事に関しては、はいはいわかった。だらだらしたいね。わかるよ、でも動いて。ってここまでしないとだめなんですよね、きっと。

朝のルーティーンの習慣化が3日ほど途切れましたが今日からまた復活してやっています。3日もやらなかったら振り出しに戻ってるかなと思ったけど有り難いことに普通に出来ました。本当によかった。

だらだらしたい自分がいる。それは悪いことではない。それも私。わかってはいる。がとりあえず、やる事はやろうぜ。

あっているのかはわからないけど、今はこう思いながら過ごしています。

これで認められたのかよくわからないけど、ぐうたらしてるのがダメとか、決めた事ちゃんとやってないとかで罪悪感が生まれるよりは元の自分を否定してないのでいいのかなと思います。


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