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それぞれの生徒に、それぞれの学び方

不足している教員を少しでも確保するために、全国で教員採用試験を前倒しして、改善を試みたが、ほとんどの地域で結果はさんざんであったらしい・・・
それどころか、受験者は8割減だと・・・

朝日新聞より

少子化の時代にあって、不登校の生徒が過去最大の数になり、先生の成り手はどんどん少なくなっているという現実は・・・
世の中の大抵の人は自分には関係がないと思っているだろうが、そもそも次世代の日本を背負っていく子どもたちが、どのような教育を受けて、どのように育っていくのかは、日本という国の行末にかかわる一大事ではないのか。

先日うちの学習コーディネーターと話をした。
コーディネーターというとカリキュラムを作っている人だと思われるかも知れないが、
うちの場合、授業など、色々なことについていけないと自信をなくしつつある子はいないか、目を配るのがその先生がしていることだ。

自分のクラスの授業で、ついていけないと感じた生徒は、その先生のところに教室を抜けてやってくる。
話を聞いていてとても良いと感じたのは、コーディネーターのその先生は、
答えを教えるのではなくて、どうやったらわからないことがわかるようになるのか、
つまり学び方、問題の解き方が色々あることなどを教えるようにしていて、
そうすることで、生徒はコーディネーターの先生の部屋に入り浸るわけではなく、ある程度わかったとなると、自分から教室に戻っていくという。

「そういうのが当たり前で、そうやって教室を抜けてコーディネーターの先生に相談にきても誰も気にしない感じになるといいね」と話していた。

今や、不登校は全国すべての教育委員会の最大の悩みの種だろう。
岐阜市にもあるが、不登校特例校と言われるもの(今は学びの多様化学校と呼ばなくてはいけないらしいが、そんな言葉あそびはどうでもいい)、
学校の空き教室に「フリースペース」なるものを設けて、不登校の子に居場所をつくるなどがされるが、それは対処療法的なものであって、本来は予防療法というか、不登校になる前の、

「不登校になりそうな状況、クラス全体の進度についていけなくて、自信をなくし始めたころ」

をフォローできれば、その数は減らせるのではないかと考える。

もうひとつ、「個別最適化された学び」も、ここしばらく聞かれる言葉だ。

それが実現すれば、ある意味、理想の学校の姿であると考える。

人は誰もひとりひとりユニークであるから、個性があるから、学び方ひとつとっても、それぞれの生徒に、それぞれにフィットする学び方のスタイルがあるということを認識する必要があるのではないか。

少しずれた観点かも知れないが、ベッドの下に隠れているようなのが好きな猫もいれば、飼い主にくっついて寝るのが好きな猫がいたり、高いところに座っているのが好きな猫もいる。

うちの生徒たちを見ていても、グループでワイワイやるのが好きな子もいれば、一人用のブースを好む子、あえてハイチェア、ハイテーブルを選ぶ子や、ソファで膝の上にパソコンを置いて作業するのが好きな子もいる。

我々大人でもそうではないか。
一人でいるのが好きな人もいるし、一人ではさみしいと感じる人もいる。
私はカフェやファミレスなど、適度に周りに人がいて、雑音が聞こえるくらいの場所の方が仕事がはかどる。
BGMがある方がいい人もいれば、静かな環境を好む人もいる。

そういう本来どの人も持っている個性というものを、もっと尊重しようとすると、学校教育も配慮の余地があるのではないかと思う。

海外では、いわゆる教室の家具類が色々なレイアウトで置かれていたり、ソファやハイチェア、ブース型スペースなど、まずはそういう所から個性を尊重しようというトレンドになっている。

文科省は、個別最適化というコンセプトを
小中学生全員にデジタルタブレットを配布する事で対応しようと考えている。
例えば、計算問題なども、デジタルタブレットを使えば、それぞれに合ったレベルの課題を選ぶ事ができるということなどだ。

しかしながら、不登校児童が増え続けている現状をみれば、「個別最適化」されたシステムがちゃんと機能していないから、苦手意識を強くした生徒たちが「学校へ行きたくない」となっているとも言える。

デジタルタブレットだけでは足りていないようだ。

昔は不登校などという言葉すら聞かれなかった。登校拒否というのはあったけれど、そんな社会問題になるほどの数ではなかった。

なぜ増え続けるのか、その理由の追究は置いておいて、学校としては個別最適化、
「不登校になる手前でフォローする」ための学習コーディネーターの育成に取り組んでみてはどうかと思う。

私はうちの今の学習コーディネーターの先生と色々相談しながら、その効果的な役目を探究していきたいと考えている。

そしてもうひとつ、AIのテクノロジーは、使い方を研究すれば、この個別最適化された学習に、そして教師の数が仮に少なくても、生徒に主体性を持たせながら色々なことを学ばせるのに役立つと思われる。

先日もNYの学校の学長と話していて驚いた。
先生たちにAIの専門家からレクチャーを受けさせているというのだ。
学校としてもAIポリシーなるものをすでに作ったらしい。
すっかり置いて行かれている感覚だ。

講師の先生が言ったらしい。
「学校教育にAIの時代なんて来ないと思うなら何もしなくていいのかも知れないけれど、AIの時代が学校教育にもやってくると、子どもたちはAIの時代を生きるのだと思うなら、教師はそのルール、有効活用方法を教えていかなくてはいけないのではないか」

そのうちAIの時代になるでしょう・・・では我々教師はダメなのだ。
今すぐにでも学び始めないと。
そしてその先生たちをリードする我々経営者やリーダーにはもっと大きな責任がある。

何事も時間とお金を繰り出すのが大変ではあるが・・・生徒のことを思うならとにかく先生たちに色々なことを学んでもらわねばならない・・・

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