スシローの迷惑行為による株価値下げに端を発する「地の時代」のビジネスと社会構造の限界点
スシローが迷惑客の行為で株価を滅茶苦茶下げてしまったことが問題になっているようだが、どうにも本質的な部分を蔑ろにした枝葉末節な表面上の現象ばかりが取り沙汰されている気がする。
ぶっちゃけこの手の「飯テロ」「バイトテロ」はここ数年日常茶飯事のように起こって社会を賑わせていたし、ホリエモンが指摘するようにこの手の輩は昔からゴロゴロ存在していた。
しかし、昔はインターネットやSNS・携帯電話が身近になかったためにそれが可視化されていなかっただけで、潜在的にこういうことを行う正しい意味での「餓鬼」は昔から一定数いるのである。
それこそバイトテロなんて言い方がされているが、店の中にある余った食材を廃棄するのが勿体無いから賄いを作って店員が食べるなんてことは飲食業界だとしょっちゅうあることだ。
私も飲食店で働いた経験があるからわかるが、飲食店は1週間単位でどれだけの食材が必要かを想定して確保する、年末年始やゴールデンウィークのようなかき入れ時は特にその傾向が強い。
そんな中で材料が余った時、社員やバイトの人たちに店長がまかないをしてくれることは普通にあるし、「食戟のソーマ」でも四宮小次郎がゴボウのキッシュの賄いを出しているシーンがあった。
だから今回の件はあの家庭の躾がなっていないことももちろん問題ではあったが、それ以上にこんなトラブルが発生することを想定した対応策をきちんと考えておかなかったお店側の問題があるだろう。
私もスシローは何度か利用したことがあるか、お世辞にも決して「美味しい」と言えるものではなく、典型的な「安かろう悪かろう」の大衆向けフランチャイズ店という印象しかない。
そのような大衆向けのフランチャイズ店に来る客層なんて高が知れていて、真っ当な食事マナーや常識を身につけて来ている客だけではなく迷惑行為を働くお客様も少なからずいるのではないか。
いわゆる「サイレントマジョリティー(静かな大衆)」というやつだが、その静かな大衆が必ずしも善良な価値観や行動基準を持って行動しているというわけではないようだ。
それが今回スシロー側に大きな損失をもたらす形で噴出しただけであり、それこそ調べればこのような事例はどんどん埃のように次々と出て来るであろう。
民事と刑事の双方から問題に発展した今回の事件を見て、私が一個人として感じたことは「地の時代」のビジネスと社会構造の限界点であり、これはもう以前から感じていた。
2023年は「風の時代の始まり」と言われており、現に社会的な変化がどんどん具現化してかつての地の時代の大量生産・大量消費の社会構造が崩れていっている。
GAFAのレイオフに始まる大量のリストラでもわかるように、地の時代に権威を誇っていたところが今その名誉も地位も肩書きもどんどん失われて役立たなくなっていた。
それはスポーツ業界などもそうであり、野球一筋だった田中マー君が上手くいかずに躓いていて、逆に起業家として準備していたハンカチ王子こと斎藤選手の方が頭角を現している。
YouTuberなんかでもどんどん古参組が解散したり失脚したりしている中で後期から入った人たちの方が頭角を現して世代交代していっているのもその表れだろうか。
だがこれらの変化は何も今年になって突発的に表面化したものではなく、既にコロナに入った2020年から、いやもっとその前から言われていたことなのである。
コロナにしたって既に2009年の時点で「世界を覆うパンデミックが近い将来現れる」ということは言われていたし、テレワークや個人の時代も既に2015年の時点で総務省が公式にその未来予想図を発表していた。
嘘だと言う人や信じられない人は是非公式のリンクを掲載しておくので、各自きちんと熟読してほしい、今社会はこの通信白書で描かれた通りになっている。
それに気づいてきちんと準備していた者とそうでない者とで今世界は二極化してしまっており、きちんとこういう時代が来ることを踏まえて準備していた者だけがこれからは生き残っていけるのだ。
逆にいえば、今回の事件がそうであるように、いつまでも地の時代の感覚を引きずって生きている者は淘汰されていく時代が到来したことを意味するわけであり、今回のスシローの剣もその表れである。
地の時代の大量生産・大量消費の構造がもたらしたものは決していいことばかりではなく、人々から「食文化への有り難み」という本質的に大事なものを喪失させてしまった。
人々は値段は張るが良質な食べ物より、多少不味くても安い方を選んで食べるようになってしまい、それがまた美味の感覚や審美眼というものを失わせてしまったように思える。
それこそ吉野家の「しゃぶ漬け戦略」がそうであったように、ファストフード店の台頭によって我々人間はそもそも「食べ物を当たり前のように毎日食べられる」ことへの感謝と尊敬を忘れてしまったのではないだろうか。
それに加えてIT革命に伴うインターネットテクノロジーの一般層への早すぎる普及とそれがもたらしたネットリテラシーのないバカの大量生産といった諸々が複合的に絡み合って今回の事件が起こったのだ。
だから、今回の事件は単なるバカな家庭の迷惑行為という小さな問題で片付くものではなく、その背景にある様々な社会的要因に目を向け、もっと本質的な目に見えない部分へ意識を向けていくべきだろう。
この事件が我々に教えてくれたことはとても大きく、改めて地の時代の社会がどんなものであったか、これからはどのように生きていくべきなのかを1人1人がきちんと向き合って考える必要がある。
きちんと食べる前に「いただきます」と手を重ねて言い、食べ終わったら「ごちそうさま」と言う人が昔に比べて遥かに減ったように思えるのは私だけだろうか?
食事マナーはその人の家庭の躾や教養・品性を映し出す鏡であり、人間の根源的な三要素「衣食住」を形成する普遍的なものの1つであり、一生尽きることはない問題だ。
ただ、スシローの今回の失脚は確実に我々の中に地の時代のビジネスの終焉と食に対する向き合い方を我々に教えてくれる格好の材料だったと私は思う。