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『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』感想(※ネタバレあり)

スーパーマリオのアニメ映画が現在大ヒット中とのことなので先程劇場で鑑賞したので感想・批評をば。
結論からいくと評価はB(良作)、100点満点中70点といったところだが、全体的なまとまり自体は悪くなかったと思う。
ラストのカタルシスが凄く良かったし、とにかく「画面を止めない」ので退屈する時間がほとんどなくジェットコースターのような体感だった。
実は見に行く前に色々危惧はしていた、何故かって「スーパーマリオ」の映画といえば黒歴史となった前例があるから。

そう、今や完全な黒歴史として闇に葬られた『魔界帝国』なのだが、出来以前に「何故マリオを映画化しようと思ったのか?」という疑問が先立つ。
しかもアニメならともかく実写だったから凄く違和感で、改めてマリオは「ゲームだからこそ」の面白さなのだなあということは感じた。
そしてそれは本作を見ても同じなのだが、3DCGが発達したことによりゲームとほぼ同じクオリティでアニメ映画を作れたのは時代の進化を感じるところ。
まあその意味では『トイ・ストーリー』(1995)が如何に革新的であったかということだが、本作は映像技術に関しては別にそこまで革新的ではない。

だが、ゲームのあの世界観をしっかりリスペクトしつつ、原作のキャラをしっかり尊重して良き映画を作ろうとする熱意は画面を通じて伝わった。
欠点もないわけではないが、全体としてはよくゲームの面白さをここまで映像としての面白さに昇華できたものだなあと感心する。
大抵こういうのは失敗に終わるのだが、本作はそれなりにセンスのある人たちが作ったことが伝わってきた。
ただし、原作至上主義の生粋のゲームっ子の私としては疑問・批判点もあるので先にそちらを述べてから良い点を述べていこう。

※ネタバレありなので未見の方やこれから視聴するつもりの方は閲覧注意

批判点・気になったポイント


全体の流れは悪くないが、説明的すぎて無駄が多い

まず、本作は子供向けないしファミリー向けということもあってか、画面が説明的すぎて無駄が多いということであり、映画としてはよろしくない。
2人がブルックリンという町の配管工としての生活があることはいいのだが、前半の「冴えない落ちこぼれの兄弟配管工」の描写は丸々無駄である。
確かにゲームの設定上マリオ兄弟は配管工だが、視聴者が見たいのは「マリオ兄弟のアクション・冒険」であって私生活が見たいわけではない。
特に「弟を巻き込んだ」のくだりは受け手に不快な感情を抱かせる為の説明台詞以上の何物でもなく、こんなところで無駄なドラマを作って何になるのか?

また、マリオがキノコ王国での訓練を受けるシーンも丸々無駄だ、そんなの描写するくらいだったらさっさとクッパ退治に向かった方がいいだろう。
後述する武闘派ピーチの問題と合わせて、前半のキノコ王国のシーンを掘り下げて描く必要はなく、私だったら1カットか2カットで済ませる。
これはルイージも然りで、ルイージたちがわざわざクッパに捕まって処刑にされるまでの描写を長々とすることに何の意味があるのか?
そこはもう素直に「クッパに捕まりました」でいいわけだし、もっといえばそこのポジションはルイージではなくピーチが妥当であろう。

それからドンキーコングが助力として必要なのはわかるが、ディディーや父親たち王国の者たちを仰山出す必要もない
精々必要なのはピノキオ・ドンキー・マリオ・ピーチ・ルイージくらいで、後はクッパ軍団だけでいいのではないか。
ブルックリンの街の人々も無駄だし、ピーチたちのいる世界を無理矢理土管で繋がった異世界にする必然性も全くなかった。
最初から異世界の話として描けばもっと画面はスッキリするし、この話なら50〜60分で十分である

武闘派ピーチは無理矢理昨今のトレンドに合わせようと無理してる感

ピーチ姫はいつ吉○沙○里になったんだよ!!

これはもう映画ファン以前にマリオファンとして、ピーチ姫が武闘派になったところで何が面白いのかさっぱり理解できなかった
何だか原作の設定を捻じ曲げて無理矢理自称フェミの連中やポリコレブーム・コンプラ規制といった瑣末なものに忖度してる感が見え見えで困惑が募るばかりである。
そのせいで割りを食ってしまったのがルイージであり、ピーチを男前に見せたいが為にルイージの方がむしろヘタレなヒロインになってしまっているという本末転倒な結果に。
他のマリオファンがどのように評価しているかは存じ上げないが、少なくとも私はマリオシリーズに「武闘派としてのピーチ姫」を全く求めていない。

ピーチを単なる「囚われの姫」として描きたくない作り手の意図はわかるのだが、ここまで可愛げがないピーチだとクッパがなぜこんな口も態度も悪い姫様に惚れたのかも納得できなくなる。
それにピーチがファイヤーやアイスを使って雑魚相手に無双したところでちっとも画にならないし、それだったらルイージとピーチの役割を逆にした方が良かったのではないか?
別に「戦う女」を描くなとはいわないが、ピーチ姫はそんな役割で意外性を出したところで面白いキャラではないし、これを新解釈のピーチ姫として受容するのは無理がある。
ピーチ姫というのは「クッパに囚われている姫」だからこそあのキャラが映えるのであって、女キャラに戦わせるなら別のキャラにした方が良かったのではないか?

ピーチ姫が戦う描写で連想したのは『スーパーマリオRPG』だが、あれは「クッパがラスボスではなく仲間になる」というイレギュラーだからピーチが戦力として加わる展開にも納得できる。
あれはいつものマリオシリーズと違い、クッパ城がカジオーに乗っ取られてクッパもピーチもマリオも派閥を超えて共闘しなければ世界が危なかったという物語だ。
しかもあのゲームでのピーチの役割は確かに平手打ち・傘・フライパン・爆弾などがあるが、いちばんの役割は「回復」であって、いわゆる「僧侶」の位置付けである。
そのピーチの良さを全てスポイルしてまで作ったバリキャリ感全開のピーチ姫が全く面白くなく、ピーチの活躍をマリオとルイージにもっと与えろという話だ。

ブルックリンの町の人々の民度の低さとオチのデジャヴ感

そしてこれも飲み込めなかったのだが、ラストの街の人々の手の平返しとオチのデジャヴ感は私に嫌な記憶を思い出させてしまった。
まず街の人々の手の平返しの民度の低さは「NARUTO」の木の葉の里の民を思い出させる民度の低さであり、私には衆愚のカリカチュアとして映ってしまう。
特に独立したマリオ兄弟を散々disった職場のお偉方やマリオをdisった父親は我が子が偉業を成したのを自分たちの手柄にしようとしている毒親に見えてしまった。
クッパには是非ともマリオ兄弟やドンキー以上にブルックリンの奴らを皆殺しにすべきではないかと思ったのだが、流石にそこまではできなかったのだろう。

そしてラストのオチは『動物戦隊ジュウオウジャー』(2016)の結末がフラッシュバックしたのだが、あれって要するにマリオたちの故郷がキノコ王国に乗っ取られたということだろうか。
確かに平和にはなったのだろうが、私にいわせればあれはハッピーエンドどころかマリオたちの故郷がピーチたちによる植民地支配を受けたようにしか見えない。
まあブルックリンの奴らは民度の低いクズばっかだったから別にピーチたちが支配したところで心は痛まないが、おかげでクッパ軍団よりキノコ王国の方がよっぽど悪者に見えてしまった。
むしろ作り手としては「真のラスボスはクッパではなくピーチである」という皮肉をあのラストに込めたかったとでもいうのであろうか?

だとすればピーチがああまで武闘派に描かれたことにも納得できるのだが、街の民度がクズだからって強大な国家の支配下に置かれろというのは悪しき弱肉強食の肯定ではないか?
ラストで「できすぎたハッピーエンド?」なんて言われていたが、あれをハッピーエンドだと思える奴がいたとしたら恐らく植民地支配を繰り返してきた国の人々であろう。
所詮は欧米の奴らが作っただけあってか、どこまで行こうと「力こそ全て!」というのが結末なようだ、まあ架空の世界なのだからそれでも構わないのだが。
これが日本よりも欧米で大ヒットする理由も所詮は強者の理屈で描かれた「何かあれば武力で全て解決」というのが根本にあるからであろう。

良い点・文句なしに賞賛できるポイント


クッパの抱える「悪」がきちんと明示された

まずはクッパが抱える「悪」がきちんと明示されたことが大きく、クッパが負けた理由にして諸悪の根源は「承認欲求」なのであろう。
ゲームからしてそうだが、クッパにとってピーチ姫とマリオ兄弟は眩し過ぎる存在であり、だからこそ力を求めて我が物にしようとした。
それがマリオ兄弟との対比にもなっており、やたら卑屈で謙遜していた兄弟の性格はクッパと好対照を成しているのではなかろうか。
あんな武闘派の姫を好きになる理屈はわからないが、クッパは力は強くても心がとても弱いのだということが示されている。

だから自分にとって都合の悪い者たちを人質として捉え、ピーチ姫との結婚式の時に全員を溶岩に突き落として殺そうとしたのだ。
クッパが抱える「悪」とは承認欲求の度が過ぎたかが故の「執着」であり、だからこそ執着なきマリオ兄弟に負けたのであろう。
そしてそれは後述するラストの展開でもいえることであり、クッパは無敵スターを手に入れながらもその力を我が物として使えない
力を欲する余りに心の闇に飲まれたが故にクッパは最後までその力を手にできず、見放されたのが正しいであろう。

ただし完全な悪党というわけでもなく、部下に対する思いやりはあるし人望だってあるのだから中々にレベルは高い。
また、マリオたちがいつ攻めてきてもいいようにあらゆる軍勢を配置していたというのは策略家としての一面も伺える。
マリオたちに負けはしたものの、知勇兼備の悪としての存在感がきちんとあったことに関しては高く評価したい。

マリオシリーズファンへのサービス満点のネタ

マリオシリーズのファンが大喜びしたりクスッと笑ったりするサービス満点のネタが仕込まれていたのも評価高しである。
キノコ・毒キノコ・ファイヤー・アイスだけではなくマリオカートネタまで入れてくれるとは本当にマリオシリーズへの愛を感じた。
レインボーロードの再現とそこのレースのスピード感は凄く良かったし、決して見辛くはなくよくできていたと思う。
あとはタヌキや猫まで細かく使用してくれるなど、盛り込める限りのゲームのギミックをうまく活用していたのではなかろうか。

特に嬉しかったのはタヌキスーツであり、あれは原作の「マリオ3」でだいぶお世話になったので、大活躍してくれて良かった。
マグナムキラーを土管に誘導してしまう機転のきかせ方もうまく、あそこがアクションシーンでは一番唸ったところである。
しかもペンギン王国やコング王国などそれぞれのキャラに何かしらの見せ場があるのも本作の良いところであろう。
ここもやはり実写版の黒歴史の反省点が活かされているからか、無理のないネタの設計になっているようだ。

欲を言えばジーノやマロ辺りも出して良かったのではないかと思うが、流石にそこまでやると権利関係が厳しいか。
あとはスタッフロールが流れた後にヨッシーの卵が出てきたのはサービスショットとして嬉しかった。
まさか「大列車強盗」「あの夏、一番静かな海」などに見られるサイレント映画の手法をここで使うとはね。
とにかくマリオファンなら絶対に見て損はないネタのオンパレードだったのは間違いない。

ラストバトルの迫力とカタルシス

そして何と言っても最大に褒められる点はラストのマリオ&ルイージVSクッパのバトルであり、これは映画史に残る名場面だ。
動きもさることながら、何より「マリオとルイージのツープラトン攻撃」というのがゲームですら実現したことのない画である。
上記したようにルイージがだいぶ粗雑に扱われており割を食っているのだが、その分ラストに見せ場があったのは良かった。
ここでマリオだけが無敵スター無双をしていたら台無しだったが、きちんと「兄弟」で倒すというのがいい。

このツープラトンの無敵スターで倒すラストバトルは私の想像を超えてとてもいいショットを見せてくれたと思う。
まさかマリオでここまでやってくれるとはと思わず嬉しくなり、これはもう評価する以外にない。
クッパの脅威もしっかり描かれていたからこそ、このカタルシスでほぼ全てが帳消しになったといえる。
このラストシーンを作ってくれただけでも、本作の評価は間違いなくうなぎのぼりで良くなった。

私が映画を見る理由はとにかく「こんな画見たことがない!」というのを見たいからであり、改めて「画面の運動」なのだなと。
それは言葉で語れないものを持つ総合芸術ならではの良さなのだが、映画こそ人類が手にした最強のメディアじゃなかろうか。
ネットもいいしテレビもいいけれど、やはり私にとって映像作品としての魅力で「映画」以上のものはないと確信した。

まとめ


映画ファン兼マリオファンとしての評価なので、だいぶ辛口ではあったが、それでもいい作品だったと思う。
90分でも長尺だと感じたしもっと削れるだろうと思ったし、脚本や設定で違和感のある描写もなかったわけではない。
だがそれを補って余りある魅力があるし、本作を通じて改めて「映画」の魅力を思い出させてくれた。
見て損はないなかなかの良品であろう。

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